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みことばの花 181030「主の祈り(2)」

みことばの花181030「主の祈り(2)」

「天にまします我らの父よ、ねがくはみ名をあがめさせたまえ。み国を来たらせたまえ、みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ、我らの日用の糧を、今日もあたえたまえ。我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく、我らの罪をもゆるしたまえ。我らをこころみにあわせず、悪より救いだしたまえ。国とちからと栄えは、限りなく、なんじのものなればなり、アーメン」(マタイ6:9~15の書き換え)

これが昨日、約束しました「主の祈り」の全文です。これを私たちクリスチャンは、お祈りの後などにお題目のように唱えます。この祈りの言葉には私どもの心の中を暖かくしてくれるものがあります。ですがしばしばこの「主の祈り」についてこのようにも言われます。「主の祈りは最も祈られる祈り、されど最も祈られていない祈りでもある」。これはどういうことかといいますと、回数的には良く祈られている。ですが、心を込めて祈られていない祈りでもある可能性が高いと。この祈りの内容をよく確かめつつ、心のメモリーに入れて置くならば、きっと本当に祈られる日が来るに違いないでしょう。この祈りの中身をじっくりと瞑想してみたいものです。

磯部豊喜

みことばの花 181029「主の祈り」

みことばの花181029「主の祈り」

「だから、あなたがたはこう祈りなさい、天にいますわれらの父よ、御名があがめられますように。…」(マタイ 6:9)

上記は「主の祈り」と呼ばれる祈りの冒頭の部分です。「主の祈り」は、イエス・キリストがその弟子たちに教えられた祈りです。その祈りの一文には多岐にわたって、素晴らしい祈りの内容が含まれているのでこれまで天の神様に祈ったことのない人も、これを唱えることは有意義だとされています。私の担当している千葉教会にはシャローム若葉というディ-サービス老人介護施設が併設されていますが、その職場でも毎朝、朝礼においてこの「主の祈り」が職員の皆様に唱えられています。しかし意味を本当に知って祈られてはいないかも知れません。ところで、千葉教会員のMさんが、「わたしは就寝する前に、この『主の祈り』を唱えてから眠るのです」と話をされたので、私もそれにならうことにしました。就寝前の「主の祈り」、なかなか良いものです。心が天に近づく至福の時となります。明日は、普段唱えられる「主の祈り」の全文を紹介します。

磯部豊喜

みことばの花 181028「愛を学ぶ」

みことばの花181028「愛を学ぶ」

「主は、わたしたちのためにいのちを捨てて下さった。それによって、わたしたちは愛ということを知った。それゆえに、わたしたちもまた、兄弟のためにいのちを捨てるべきである。」(Ⅰヨハネ 3:16

「鉄は熱いうちに打て」とあります。忘れないうちに書き留めたい。昨日、銚子に行って、素晴らしい一文を知りました。ロバート・グラウニングという英国詩人(1812-1889年)の遺された詩の一文です。タイトルは「信仰の道しるべ」となっています。そして内容は、「人生とは、喜びと悲しみ、希望と恐れより生じるすべてをもって、まさに神の愛を学ぶという賞与を得る貴い機会なのだ」。人生には、私たちの心を暖めてくれる日もあるし、心が凍えるような経験をする日がある。しかし、この明暗に包まれる人生を、よくよく吟味すると「神の愛を学ぶという賞与を得る貴い機会」となるという。詩人がこの詩を書かれた背景に、「老ヨハネが弟子たちにキリストの愛を語る場面での言葉」とありました。上記はキリストの愛を語った使徒ヨハネの言葉です。私の人生に起こるいろいろな出来事に背後に、どのような神の愛が語られているかを学習したいものです。今日も主の愛のみ顔を見つめることが出来ますように。

磯部豊喜