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今週のお花(11月3日)
みことばの花 181103「主の祈り(6)ーみこころ」
みことばの花181103「主の祈り(6)ーみこころ」
「みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。」(マタイ 6:10)
「みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ、」が「主の祈り」として祈られています。ここに「みこころ」という言葉が登場します。「みこころ」とは「神様の御意思(お考え)」です。わたしはしばしば「こうあって欲しい」という願いを祈りの中で訴えます。ところがすべてが期待通りににならない場合があり、その時はガッカリします。ですが決してガッカリしないで済む「祈りのマジック」がこの短い祈りの言葉に隠されています。それが「みこころ」。神様のみ心を、常に最善だと信じる。「神のなされることは皆その時にかなって美しい」(伝道3:11)とか、「すべての訓練は、当座は、喜ばしいものとは思われず、むしろ悲しいものと思われる。しかし後になれば、それによって鍛えられる者に、平安な義の実を結ばせるようになる」(ヘブル12:11)とあります。今はつらくても、後に「ああ~このことの為だったのか」と分かる事があります。神様は私の人生のキャンバスにいろいろな色を配合し、最後は美しい絵を描かれる。これがきっと「神のみこころ」なのでしょう。今日は第七日安息日、神様の御心を見つめたい。
磯部豊喜
みことばの花 181102「主の祈り(5)ーみ国」
みことばの花181102「主の祈り(5)ーみ国」
「御国がきますように。」(マタイ 6:10)
「主の祈り」では「み国を来たらせたまえ、」と祈りますが、上記は同じ内容の聖句です。「み国」とは何でしょうか。それは「神の国」であって、「永遠に続く愛と平和の世界」です。しかし人は目に見えるこの世界しか知らない。この世界には、戦争があり、殺人があり、盗人がおり、分裂があり、人は一生涯、平和な人生を送ることは難しい。つらいことのある世界ゆえ自殺者も後を絶たない。自殺をせずとも人生の終りには死が待つ。そこでキリストは「ただ、御国を求めなさい。」(ルカ12:31)と言われました。この「み国」は、愛があふれ、永遠の命と平和がある世界。ところでこの「み国」は、キリスト抜きには語れないのです。キリストは、「また『見よ、ここにある』『あそこにある』などとも言えない。神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ」(ルカ17:21)とも教えられました。イエス・キリストを私の心の中に受け入れる時に、「神の国」は始まります。「神の国」は、愛の広がりという空間軸と、永遠と言う時間軸が共にある豊かな世界なのです。今日も愛と永遠の神イエス・キリストを求めたい。
磯部豊喜
みことばの花 181101「主の祈り(4)ーあがめるべき方」
みことばの花181101「主の祈り(4)ーあがめるべき方」
「天にいますわれらの父よ、御名(みな)があがめられますように。」(マタイ 6:9より)
通常ささげられる「主の祈り」では、「天にまします我らの父よ、ねがくはみ名をあがめさせたまえ」が冒頭の祈りの言葉。「我らの父よ」の次は、「ねがわくはみ名をあがめさせたまえ」です。ここには崇められるべき方が、誰であるかがはっきりしています。それは「天の父のみ名」です。聖書の中に「そのみ名は聖にして、おそれおおい」(詩篇111:9)と書かれていますが、その名称は軽々しく扱ってはならないのが神様のみ名です。崇められるのは、天の神様のみ名であって、自分の名はもちろんのこと、国家の首相の名でもなければ、人気歌手や俳優の名でもありません。人を尊敬したりファンになるのはよい、でも崇めてはならないと思います。それは人であって神ではないからです。真の神は、私たちを創造されたお方。しかも愛そのもののお方です。それゆえに唯一「崇められるべきお方」。牧師であっても、親であっても、神様の位置に自分を置いてはならない。人は誰であれ創造主の前にへりくだって歩むべき存在なのです。
磯部豊喜
みことばの花 181031「主の祈り(3)ー我らの主」
みことばの花181031「主の祈り(3)ー我らの主」
「天にいますわれらの父よ、」(マタイ 6:9より)
昨日の新聞の第一面に「独メンケル氏、党首辞任へ」とあり、「21年、政界引退」とも書かれていました。その背景には、メンケル氏が行なった政策に「シリアなどから欧州に押し寄せる難民の受け入れを決め、100万人以上が入国したが、これに反発する声が強まった」とされます。今米国のトランプ氏を筆頭に「母国第一主義」という考え方を持つ人物を各国のリーダーに選ぶと言う動きが世界に見られます。上記の記事に並んで、「ブラジルのトランプが当選」との文言もありましたがこれもその一つでしょう。ところで聖書にある主の祈りの冒頭には、「天にいますわれらの主よ(天にますます我らの主よ)」」と語られています。「私の主よ」ではなく「我らの主よ」です。天の神様の目には、国境も人種もない。キリストの系図を遡(さかのぼ)ると、「…アダム、そして神に至る」とあります。これによれば全人類は、みな一人の祖先アダムから始まっており、本来はみな親戚である兄弟姉妹なのです。このようにすべての人類を結びつける思想が「主の祈り」の冒頭にあるのは考えさせられます。
磯部豊喜
