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みことばの花 181107「ゆるす者は、ゆるされる」
みことばの花181107「ゆるす者は、ゆるされる」
「わたしたちに負債のある者をゆるしましたように、わたしたちの負債をもおゆるしください。」(マタイ 6:12)
この祈りの言葉より「主の祈り」は後半に入ります。定番の「主の祈り」では、「我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく、我らの罪をもゆるしたまえ」です。これまでの祈りは、神様と私と言う縦軸の祈りでしたが、人に対する横軸の祈りがささげられます。「わたしたちに負債のある者を(我らに罪を犯すものを)、ゆるしましたように(我らがゆるすごとく)」と祈ります。キリスト教がキリスト教であることの大きな特長の一つは、そこにゆるしがあることです。ある説教家の言葉を思い出します。「天国はゆるす者と、ゆるされる者が集うところだ」と。確かに、仮に私が天国に入れたとしても、もし心の中から誰かへの怨念が消えない限り、そこに天国はない。また誰から憎まれていると感じるならば、そこにも天国はない。この祈りは「神様からゆるされる」ためには「ゆるすこと」が前提となっています。ところで、私の心にゆるす力がない場合はどうしたら良いのか。「ゆるす力を、私にください」と神さまに祈り求める。その祈りを始める時に、奇跡が起きます。私の心が優しくなる。試してみませんか。
磯部豊喜
みことばの花 181106「主の祈り(9)ーもう一つの食物」
みことばの花181106「主の祈り(9)ーもう一つの食物」
「我らの日用の糧を、今日もあたえたまえ。」(マタイ6:11)
昨日、「日用の糧」すなわち「日ごとの食物」のことを書きましたが、書いている時に、私たちの身体を生かしてくれる食物以外の食物が、私の脳裏を過(よ)ぎりました。それは心の食物。キリストの有名な言葉、すなわち「人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである」(マタイ4:4)を思い出しました。私たちは二つの食物で実は生かされています。人は口から入る食物に預かったとしても、人生が満たされるとは限りません。「衣食足りて礼節を知る」とありますが、「衣食足りて生きがいを得る」とはならない。人はやはり心が満たされる必要があります。実に神のみ言葉には、心を養う不思議な力があります。「あなたは我が目に尊く」(イザヤ43:4)と言われたり、「わたしはあなたを忘れない」(イザヤ44:21)などのみ言葉の響きに触れますと心に涙の川が流れます。ゆえに「わたしの渇いた心に、今日もみ言葉をあたえたまえ」と祈るのです。
※今千葉教会では、教会員10人による「キボウのトビラⅡ」講演会を11/4-8、11-15(毎夕18:30-19:40頃)の10日間行なっています。ご都合の良いかたはお出かけください。
磯部豊喜
みことばの花 181105「主の祈り(8)ー日ごとの食物」
みことばの花181105「主の祈り(8)ー日ごとの食物」
「わたしたちの日ごとの食物を、きょうもお与えください。」(マタイ 6:11)
上記は定番の「主の祈り」では、「我らの日用の糧を、今日もあたえたまえ。」となっている個所です。「日用の糧」が口語訳聖書では「日ごとの食物」と訳されています。リビングバイブルには「私たちも必要は日々の食物を、今日もお与え下さい」とあります。これは分かりやすいですね。人が生きることに必要な物は「衣食住」ですが、これらはすべて物質で出来ています。これらの物質をたどるとすべて自然の中にあります。人間はすでに自然の中にあるものに細工を施して、自分の生活に便利なものを作っています。特に食物はその最たるものです。日ごとの食物…は、雨とか太陽の光とか適度な風(空気)がなければ育ちません。しかしそれらの背後に、目に見えないお方の恵みの手が添えられています。それは神様のみ手です。人が飢えて死なないように、恵みの雨、恵みの光、恵みの風(空気)を送ってくださいます。本当にありがたいことです。
※今千葉教会では、教会員10人による「キボウのトビラⅡ」講演会を11/4-8、11-15(毎夕18:30-19:40頃)の10日間行なっています。ご都合のつくかたはお出かけください。
磯部豊喜
みことばの花 181104「主の祈り(7)ーみ心が、地にも」
みことばの花181104「主の祈り(7)ーみ心が、地にも」
「みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。」(マタイ 6:10)
いま一つ、「みこころ」について瞑想していましょう。「神様の御心」は天国の心です。そこには聖なる愛の律法があります。神様の律法は天の住民の生活の原則。神様の御意思(お考え)を知ることは、この地上においても大切なことだと思います。天における住民(たとえば聖い天使たち)は、神様の愛の律法を、神への恐れから守るのではなく、僕としてではなく、あたかも神の子であるかのように喜んで受け止めて、その律法の精神を受け止めて奉仕します。創造主なる神様を心から尊敬しているからです。この心をもって奉仕することが、地上でも行なわれますようにと祈る。創造主の心と私の心が一つになるという祈り。「わたしはみこころを行なうことを喜びます。あなたのおきてはわたしの心のうちにあります」(詩篇40:8)といって、神を愛する、これが「主の祈り」です。神への服従は苦役とはならない。今日も神の「みこころ」を心から求めて生活したいものです。
磯部豊喜
