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みことばの花 181111「再起動の日」

みことばの花181111「再起動の日」

「夜はふけ、日が近づいている。それだから、わたしたちは、やみのわざを捨てて、光の武具を着けようではないか。」(ローマ 13:12)

今日は11月11日。この日はいい月、いい日とも読むことが出来ます。日本では「介護の日」だそうです。また中国では、「一人者の日」だそうです。そこで発想を広げて2011年11月11日は何の日かネットで調べてみました。すると「2011年11月11日午前11時11分になる瞬間」という見出しの一文に出会いました。これを調べましたら、この日に11歳を迎えるイギリスの少女が話題になっているとありました。この11年前のこの月日時間に生まれたのでしょうか。また「2011年11月11日に世界はリセットされる」という一文も発見。ここには「100年に一度の再起動の日」とあり、「これは世界はリセットされる?」ともありました。実は本当の「再起動の日」というと、私は上記の聖書にある御言葉(みことば)を思います。この御言葉は、人類歴史の再起動の日を描いています。「夜はふけ、日が近づいている」、…これはイエス・キリストの再臨の日を暗示します。この日に世界はリセットされる、まさに希望に満ちた「再起動の日」なのです。

磯部豊喜

みことばの花 181110「あかりと、油」

みことばの花181110「あかりと、油」

「思慮の浅い者たちは、あかりは持っていたが、油を用意していなかった。」(マタイ 25:3)

11月8日の朝日新聞の1ページです。ここに聖書の言葉が2箇所も記載されていました。一つは英文聖書を訳したのかも知れませんが、「分裂して争う家は立っていることができない」(マタイ12:25)という聖句が記載され、現在の米国の分断を描写して、昔リンカーンが演説で引いたとされる一節が書かれていました。そしてもう一つの聖句が、上記です。そこにはこんなコメントがありました。「…視界が遮られているのは、目を凝らせばある未来が確実に来ることがわかるのに、すべてを先送りにし、その対策に本気で着手できないでいるからではないのか。例えば人口減少、国家財政の破綻、経済成長の限界、放射性廃棄物処理の膠着(こうちゃく)。聖書のこの一節は私たちのそんな無様(ぶざま)も思い起こさせる。」と。今の時代は、油の欠落している時代なのでしょうか。「あかり」は人生に希望を与える神のみ言葉、油は「あかり」を心に灯す「神様の霊(聖霊)」を指しています。聖書の光は油があって正しく理解されます。今日は第七日安息日、「あかりと、油」を求めたい。

磯部豊喜

みことばの花 181109「主の祈り⑪ーなんじのものなればなり」

みことばの花181109「主の祈り⑪ーなんじのものなればなり」

「国とちからと栄えは、限りなく、なんじのものなればなり、アーメン」(「主の祈り」より)

キリストが弟子たちに教えられた「主の祈り」は、マタイによる福音書では6章9~12節に記されています。ルカによる福音書11章2~4節にもあります。ところでこれまで並行して紹介してきました定番の「主の祈り」の言葉には、マタイにもルカにも書かれてない一文が足されています。これは旧日基讃美歌564番にある。どうして聖書に記されていないこの一文が、ここにあるのか私には分かりません。ご存知の方がおられたら教えていただきたいのでありますが、この一文を添えると、「主の祈り」をささげる時に、何となくストンと落ちつくのです。「国と力と栄えは、限りなく、なんじのものなればなり、アーメン」と唱えて、「祈った~」となります。この言葉は、「すべてのものが、神様、あなたのものです!」という信仰の告白。「自分のものは、自分のものだ…」と固く主張する自分がいますが、私の命も実は神様からの預かりもの。命の与え主のものであると言えるでしょう。ですから、今日もこのような信仰の告白をもって、主をみあげて歩みたいと思います。

磯部豊喜

みことばの花 181108「主の祈り⑪ー悪しき者」

みことばの花181108「主の祈り⑪ー悪しき者」

「わたしたちを試みに会わせないで、悪しき者からお救いください。」(マタイ 6:13)

上記は定番の「主の祈り」では、「我らをこころみにあわせず、悪より救いだしたまえ」となります。「悪」は「悪しき者」から出てきます。では「悪しき者」とは何者なのでしょう。聖書に聞くならば、ルシファーという天使長がいました。はじめは、聡明で欠点もなく美しい存在であったのですが、「わたしは天にのぼり、…いと高き者(神)のようになろう」などと心のうちで言ったとあります(イザヤ14:13,14参照)。そのために、彼は仲間に引き入れた天使たちと共に、地に投げ落とされたと聖書に書かれています(黙12:7~9)。地球に落とされ「悪しき者」になった彼は、人間を誘惑するように働いているという。この祈りは、この事実を前提にささげられます。「悪しき者」の仕事は、「私たち人間を試みる」ことです。そして多くの場合、彼の試みは成功を収めています。ですからこの「悪しき者」の誘惑に勝つためには、上記にように祈ることが必要です。「悪しき者」は、「高ぶり」とか「憎しみ」などのように私の心にその舞台を持っています。しかしこの祈りをささげるとき、「悪しき者」は何も出来ずに、守られます。

磯部豊喜