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みことばの花191119「自慢2」

みことばの花191119「自慢2」

「…愛は自慢せず、高ぶらない。」(Ⅰコリント 13:4/新共同訳)

(昨日の夢の続きです)。
ところで生徒の見ている前に細い道があり、右側に深い池があった。
そこに足元のおぼつかないS校長先生がすべって落ちてしまったのです。
全身が水中に入り見えなくなった。誰も水の中に入ろうとしない。
そこで私は飛び込み、S校長先生を無事に救出するのですが、
子供たちの前での出来事ゆえ、少しばかり「自慢」の思いが頭をもたげるのです。
目覚めて後、私は自分の姿を教えられたのです。
そもそもS校長先生を先に行かせて一人で歩かせた私に問題があった。
なぜ脳梗塞の後遺症に置かれているS校長先生の足を支えるように手をとって歩かなかったのか。
私は大事な式に綿パンを身につけていること以上に、自分の心の中にある綿パンに気づいていなかったのです。
この夢は実に「愛は自慢せず、愛は高ぶらない」とある聖句を私の心に刻むものとなりました。
今日も主の恵みがありますように。

磯部豊喜

みことばの花 191118「自慢」

みことばの花 191118「自慢」

「…愛は自慢せず、高ぶらない。」(Ⅰコリント 13:4/新共同訳) 

今朝、はっきりと思い出せる夢を見ました。
こんな内容です。夢の舞台は、私が再び三育小のチャプレンに返り咲いて新入生を迎えるという場面でした。
そこにS先生という素敵な校長先生がおられるのですが、脳梗塞を患いその後遺症のために足がおぼつかない姿でした。
その校長先生は新入生を迎えるにあたり牧師でありチャプレンである新任の私に敬意を表し、先頭で歩かせようとするのです。
ところが私はその日、背広を着ておらず上着こそはワイシャツなのですがズボンは白い綿パンを身に着けている。
とても先頭を歩くには恥ずかしい。それで遠慮して、「校長先生こそが先頭を歩くべきです」と引き下がります。
内容は謙譲の言葉。
ですが恥をかきたくないというのが私の本音。…(この夢の続きは明日に)

磯部豊喜

みことばの花 191117「命の木」

みことばの花 191117「命の木」

「都の大通りの中央を流れている。川の両側にはいのちの木があって、十二種の実を結び、その実は毎月みのり、その木の葉は諸国民をいやす。」
(黙示録22:2 口語訳)

ここに「命の木」という言葉が出てきます。
この「命の木」は天地創造時に地球に置かれていました。
しかもこれは不老長寿の木であったと思われます(創世記3:22参照 口語訳)。
昔、秦の始皇帝は不老長寿の薬を求めていましたが、創世記を読んでいたら「いのちの木」のことを知ったことでしょう。
心から主イエスを信じ、主とつながる生活するならば、天において「命の木」を食べ不老長寿生活に入れるとみ言葉は約束します。

磯部豊喜