みことばの花 200527「不思議なみわざ」

みことばの花 200527「不思議なみわざ」

「彼は大いなる事をされるかたで、測り知れない、/その不思議なみわざは数えがたい。」。(ヨブ 5:9 口語訳)

最近私は人との出会いに「偶然」はないと考えるようになってきています。
「奇遇」という言葉があります。
「思いがけないめぐりあい」という意味ですが、昨日の続きになりますが、
Kさんのご主人様は昔21歳の時に木更津教会でバプテスマを受け、後に名古屋出身のKさんとご結婚。
実は私も21歳の時に木更津教会でバプテスマを受け、後に名古屋出身の家内と結婚しました。確率にすると非常に低いと思います。
そして千葉教会に導かれてKさんご夫妻とお会い出来ました。このような巡り合わせが、意外と私の身に起こります。
「偶然」といえばそうなりますが、人との出会い、巡り合わせに上記の聖句のごとく神様の不思議なみわざを感じます。
主が今日も不思議をお恵みくださいますように。

磯部豊喜

みことばの花200526「清くなるため」

みことばの花200526「清くなるため」

「神がわたしたちを召されたのは、汚れたことをするためではなく、清くなるためである。」(Ⅰテサロニケ 4:7 口語訳)

キリスト者になるということは、素晴らしいことだと私は信じています。
キリスト者で誇れることは、何か。それはイエス・キリストという清らかな方を知っていることです。
先週、千葉教会員のKさんのご主人様がお亡くなりになり、昨日告別式の司式をさせて頂きました。
Kさんのご主人様もクリスチャン。ずっと体調を崩しておられた奥様の介護に付きっきりの晩年を過ごしておられました。
私が家にお訪ねしますと、いつも変わらぬ態度で、やさしく歓迎してくださいました。
そういう優しく愛妻家のご主人様でしたから、この方のお宅にお訪ねすることは私の楽しみの一つでした。
こういう方の告別式を終えて、私も司式をする身ながら教えられました。
「清くなるため」、というキリスト者としての人生目的を再確認したのです。

磯部豊喜

みことばの花 200525「夜いかに過ごすか」

みことばの花 200525「夜いかに過ごすか」

「眠る者は夜眠り、酔う者は夜酔うのである。」(Ⅰテサロニケ 5:7 口語訳) 

長かった緊急事態宣言の解除が今日正式に発表されるようです。
これまで自粛ムード一色でしたが、これから徐々に解消されていくと思います。
ですがまだ新型コロナは完全に日本から、世界から消えてしまったわけではありません。ここに注意が必要。
そこで一番気になるのが、夜をどう過ごすか。上記の御言葉は、夜酔う人への警告かも知れません。
私は「酒は避け?たほうが絶対に良い」と考える一人です。
アルコールは心を司る脳にすぐに達して精神的にいたずらをします。また肝臓にも負担を与えます。
酒が入ると、気が晴れて良いコミュニケーションが図れると世間は言います。
ですが酒を飲まなくても良いコミュニケーションは十分に可能です。
問題は、夜どのように過ごすか。夜はしっかりと眠れば、翌日に良い目覚めができるでしょう。
私は酒の代わりに、心をさわやかにしてくれる「聖書の御言葉を味わう」ことをお勧めします。
今日も主の守りがありますように。

磯部豊喜

みことばの花 200524「確かな相談相手」

みことばの花 200524「確かな相談相手」

「主よ、どうぞわたしにみ心を留め、わたしの訴えをお聞きください。」(エレミヤ18:19 口語訳) 

上記は旧約聖書に登場する預言者エレミヤの言葉です。
エレミヤは、真実に神の言葉を語ったゆえに、それを良く思わない人々からひどい仕打ちを受けます。
「彼らは言った、『さあ、計略をめぐらして、エレミヤを倒そう。
祭司には律法があり、知恵ある者には計りごとがあり、預言者には言葉があって、これらのものが滅びてしまうことはない。
さあ、われわれは舌をもって彼を撃とう。彼のすべての言葉に、心を留めないことにしよう』。」(同18:18 口語訳)と。
このような圧迫を受ける時、人の心は意気消沈することがあります。
ですが、エレミヤの強みは、気持ちを訴えることのできる確かな相談相手があった事。
すべてのことをご存知の相談相手を持つ人は幸いです。
今日も主の恵みがありますように。

磯部豊喜

みことばの花 200523「結果」

みことばの花 200523「結果」

「よく聞きなさい。それと同じように、罪人がひとりでも悔い改めるなら、
悔改めを必要としない九十九人の正しい人のためにもまさる大きいよろこびが、天にあるであろう。」(士師記 18:6 口語訳)

この話はキリストのたとえ話の一つ。迷子になった小羊を探し求めてそれを見いだした羊飼いの話です。
物語には、起承転結がありますが、見事にそれが構成されています。
「あなたがたのうちに百匹の羊を持っているものがいたとする」(起=話の始まり)、
「その一匹がいなくなったら」(承=話の続き)、
「九十九匹を野原に残しておいて、いなくなった一匹を見つけるまでは捜し歩かないであろうか。」(転=話の変化、逆転)、
「そして見つけたら、喜んでそれを自分の肩に乗せ、家に帰ってきて友人や隣り人を呼び集め、
『わたしと一緒に喜んでください。いなくなった羊を見つけましたから』と言うであろう。」(結=話の結果)。

その結果に注目したい。私どもに人生にも同様のことが起こる。結果をしっかりと見据えて行きたい。
今日のライブ配信もこの聖句を取り扱う予定です。

磯部豊喜
・・・・・・・
新型コロナによる緊急事態宣言が徐々に解除されてきています。関東の4都県はまだですが、あともう一歩!
本日5月23日(土)のライフ配信URLを送ります。どうぞ開いてみてください。
※時間外でもOKです。また過去のものはSDA千葉教会にアクセスして視聴が出来ます。
安息日学校(聖書の学び) 10:00 聖書をいかに解釈するか ⑧「天地創造―基礎としての創世記(その1)
https://youtu.be/i_jaXW3d9n8
礼拝説教 11:00 「私は迷子だった」 磯部豊喜
https://youtu.be/DSIbUyMTMZI

みことばの花 200522「やさしくふるまう」

みことばの花 200522「やさしくふるまう」

「むしろ、あなたがたの間で、ちょうど母がその子供を育てるように、やさしくふるまった。」(Ⅰテサロニケ2:7 口語訳)

わたしが結婚を考えている人のカウンセリングをするとき、これから人生を共にする二人に質問することがあります。
それは「どうして二人が出会ったのか」、ではなく「どうしてあなた方は自分と生涯を共に歩む相手がこの人だと思うのですか?」
するとかなりの高率で返ってくる答えは、「彼はやさしいから」「彼女はやさしいから」。
人はやはり「やさしさ」に心の拠り所を持つのだと思います。
上記はパウロが人と接する時に心掛けていたことは「やさしくふるまう」事であったようです。
人はさみしい心を持っていると思います。その心を温める、そういう人になれたら素晴らしいですね。
パウロのごとく「やさしくふるまった」と言えるような人になりたいものです。
今日も主の守りがありますように。

磯部豊喜

みことばの花 200521「エレイネ」

みことばの花 200521「エレイネ」

「その日、すなわち、一週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人をおそれて、自分たちのおる所の戸をみなしめていると、
イエスがはいってきて、彼らの中に立ち、『安かれ』と言われた。」(ヨハネ 20:19 口語訳)

今朝は、新約聖書に登場する「平安」を紹介したいと思います。
新約聖書はギリシャ語で書かれていますが「平安」は「エレイネ」という言葉です。
さて、弟子たちは「ユダヤ人をおそれて」いました(自分たちの師であるキリストが十字架に架けられて殺されたゆえ)。
心が不安に満ちていたその時に、十字架にかかって死んだはずのキリストが、何と閉まっているはずのドアを越えて入り「安かれ」と語られます。
この出来事は弟子たちを驚かせたことでしょう。
しかし確かに主イエスであると確認できた時、弟子たちは喜びと平安に満たされます。
「主は生きておられる」。この感動は、キリスト教が全世界に広まる導火線になりました。
今日も生ける主の平安がありますように。
「エレイネ(平安)」の主は今もいつも私のそばにいてくださいます。

磯部豊喜

みことばの花 200520「シャローム」

みことばの花 200520「シャローム」

「彼にこう言いなさい、『どうぞあなたに平安があるように。あなたの家に平安があるように。またあなたのすべての持ち物に平安があるように。」
(サムエル上 25:6 口語訳) 

上記には「平安があるように」という言葉が連呼されています。
イスラエル初代の王サウルに追われる身になっていたダビデがその危機ゆえに、ナバルという人に贈り物を懇願し家来を差し向けた時の言葉でした。
しかし強欲なナバルはこれを冷たく断ります(妻のアビガイルはダビデを助けました)。
「平安」と訳された言葉の原語は「シャローム」。「シャローム」とは他に「平和」とか「やすらぎ」とも訳せる言葉です。
イスラエルでは、挨拶に交わされる言葉。この「シャローム!(平安があるように)」は、現在の私たちが求める言葉でもあると思います。
新型コロナは、私どもの心から「平安」奪っているような気がします。
真の平安はどこから来るのか。天地を造られた愛の神から来ます。
日々「シャローム」の心でいたいものです。
主の平安が今日もありますように。

磯部豊喜

みことばの花 200519「敵に勝利!」

みことばの花 200519「敵に勝利!」

「また、悪魔に機会を与えてはいけない。」(エペソ 4:27 口語訳) 

上記の聖句は、私の人生において思い出のみ言葉の一つです。
かつて人間関係に行き詰った時、この聖句は私を救い、平和な心に導いてくれました。
私はクリスチャンになって、まだ日の浅い頃、ある人と深い心の溝が生じた時がありました。
その日は、穏やかならぬ一日を過ごしました。私はその人に対し怒っていました。
しかしよくよく考えるとその人とのすれ違いが起きた原因は、実は私自身にあったと気づいたのです。
この時「悪魔に機会を与えてはいけない」という聖句が、私の心に強く迫ってきた。
勇気をもって相手に「謝る」ことが出来ました。その後、その人との関係が修復されたことは言うまでもありません。
この時、「心を揺さぶる敵に勝利した!」、という平和な思いに満たされたのでした。
今日も主の恵みがありますように。

磯部豊喜

みことばの花 200518「ピンチはチャンス」

みことばの花 200518「ピンチはチャンス」

「それは、あなたがたがあかしをする機会となるであろう。」(ルカ 21:13 口語訳)

「機会」という言葉は、善をなす時にも悪をなす時にも使用される言葉です。
マタイ26:16には「その時から、ユダはイエスを引きわたそうと、機会をねらっていた」とありますが、
ユダは彼を愛してやまなかった主イエスを裏切る「機会をねらっていた」ことを記録しています。
しかし上記のルカ21:13は違います。キリストを信じる者たちが迫害を受ける際に、それが「あかしをする機会となる」と語っているのです。
迫害はキリスト者のピンチの時。しかしこれが逆に「あかしとする機会となる」と言う。
私どもの人生に訪れる危機(ピンチ)が「神の栄光をあかしする」機会(チャンス)になる。
そう考えると私の人生を包むピンチも決して悪くはないと思います。
確かに「ピンチはチャンス」なのです。
今日も主の守りがありますように。

磯部豊喜