みことばの花 200606「詩篇122篇1節」

みことばの花 200606「詩篇122篇1節」

「人々がわたしにむかって『われらは主の家に行こう』/と言ったとき、わたしは喜んだ。」(詩篇 122:1 口語訳)

東京アラートという言葉が飛び交うようになりました。
緊急事態宣言が解除された途端に、感染者が再び増えてきています。
このまま増加するとまた緊急事態宣言が出てしまうと困ります。
さて、この数か月全国の教会は休会をしていましたが、徐々に集会を再開するようになってきています。
千葉教会も今日から再開です。
上記の詩篇122:1の聖句は、私の教会の週報の表に記載している聖句です。
教会が休みの間、「教会は何のためにあるのか」とずっと考えて来ました。
天の創造主なる神と交わる(礼拝する)ために教会はある。
しかしこれはライブ配信でも可能です。
では何のために、教会はあるのか。信仰共同体が教会です。「
われらは」と上記の聖句にあります。
「一緒に天国に」に教会存在の理由を私は見るのです。

磯部豊喜

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今日の礼拝説教の URLが手違いで変わってしまい、失敗しました。
下記が新しいものです。よかったらこれからの時間でも大丈夫です。どうぞご覧ください。
変更のURL https://youtu.be/8Kj-mCgAZsc

みことばの花 200605「あなたの名を」

みことばの花 200605「あなたの名を」

「ヤコブよ、あなたを創造された主はこう言われる。イスラエルよ、あなたを造られた主はいまこう言われる、『恐れるな、わたしはあなたをあがなった。
わたしはあなたの名を呼んだ、あなたはわたしのものだ。』」(イザヤ 43:1 口語訳)

ここ数日、名前について考えましたが、自分の名と同じ名前の人と出会ったらどう感じますか。
5,6年前になりますが、私は生まれて初めて漢字は違っても同姓同名の人に出会いました。
教会の姉妹機関である東京衛生病院で、健康診断に行った時のことです。
「イソベトヨキ」さんと言う名が呼ばれて、私ともう一人の人が同時に返事をしました。同姓同名でした。
この時、もう一人の「イソベトヨキ」さんと親しくなったのは言うまでもありません。
人は自分の名前が呼ばれると嬉しいものです。ところで私の名をしっかりと間違うことなく呼んでくださる方が天におられます。
上句はその御言葉。「ヤコブ」や「イスラエル」のところに自分の名〇〇を置き換えて読んでみませんか。
今日も主の守りがありますように。

磯部豊喜

みことばの花 200604「豊か」

みことばの花 200604「豊か」

「わたしがきたのは、羊に命を得させ、豊かに得させるためである。」(ヨハネ10:10下句 口語訳) 

今日も手前味噌の話で失礼します。私の名は「豊喜」ですが、この名前が付けられた由来は確認したことがありません。
ただ、子供の頃はあまり好きではありませんでした。その理由は、何といっても字数が多い。
豊は13画、喜は12画。これに磯部が加わると磯は17画、部は11画。合計すると53画。時間勝負のテストにはハンディを抱えます。
「読み方も」「トヨキ」は記憶しにくいのか、ときどき「豊吉(トヨキチ)」と記憶される場合があります。
ですが、クリスチャンに導かれた今、この自分の名を誇れるようになりました。
上の聖句はキリストのみ言葉ですが、「豊かに」とあります。とても良い響きがします。
愛の豊かな人になりたい。この名前は今、私の一つの目標になっています。
今日も主の恵みがありますように。

磯部豊喜

みことばの花 200603「喜び」

みことばの花 200603「喜び」

「いつも喜んでいなさい。」(Ⅰテサロニケ 5:16 口語訳)

10年くらい前こと、ある教会の知り合いの方から、「牧師さんのお名前は豆尽くしですね」と教えてもらったことがありました。
私の名は豊喜。確かに豊に下方に「豆」、喜を真ん中に「豆」があります。
当時50年以上もこの名と付き合ってきましたが、その事実を知りませんでした。以来、「豆」がそれまで以上に好きになりました。
さて、上記の聖句は「喜び」の奨励です。
ところが「いつも喜んでいなさい」とあるこの一句は実行の難しい言葉ではないかと思います。
ですが「神があなたをいつも喜んでおられる」ということが分かると「いつも喜ぶ」ことは不可能ではないと思えるようになりました。
神は私の存在を「喜んでくださっている」という信仰を磨きたい。
確かに神は私の存在を喜んでくださる。生まれた赤ん坊を喜ぶ親のように!

磯部豊喜
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毎週水曜日午前8:30~9:30に、電話祈祷会を千葉教会発信で行っています。参加の方法は、①03-4578—0172(この部分は有料)、②案内放送が流れる、③818-273—1108#を(固定電話は無料、携帯電話はカケホ以外は有料なのでご注意)。聞くだけの参加でも結構です。

みことばの花 200602「久しく食べた」

みことばの花 200602「久しく食べた」

「彼女は行って、エリヤが言ったとおりにした。彼女と彼および彼女の家族は久しく食べた。」(列王上 17:15 口語訳)

他県から他県への移動自粛を含む緊急事態宣言が解除されたことで、私ども夫婦は久しぶりに千葉県を脱出し娘のところへ行きました。
そして約3か月ぶりにその娘と一緒に食卓を囲むことが出来ました。
非日常に遭遇するとこれまでの日常の有難さを実感します。
しかし新型コロナがまだ終息しているわけではありませんので、これから先は、非日常が日常と交互に入れ替わる可能性があります。
いえむしろそういうことが日常になるのかも知れません。
上記の聖句は、飢饉のために食生活をさえ切り詰めなくてはならない家族が久しぶりにまともな食事をとったことが記されています。
これも久しぶりに日常を取り戻す家族の姿です。
これからの時代、何が起こるか分かりません。
将来をしっかりと見据えながらも、あまり悲観的にならず、瞬間、瞬間の喜びをかみしめ、感謝すべきことを見つめて歩みたいと思います。
今日も主の恵みがありますように。

磯部豊喜

みことばの花 200601「不思議にたえないこと」

みことばの花 200601「不思議にたえないこと」 

「わたしにとって不思議にたえないことが三つある、いや、四つあって、わたしには悟ることができない。
すなわち空を飛ぶはげたかの道、岩の上を這うへびの道、海をはしる舟の道、男の女にあう道がそれである。」(箴言 30:18、19 口語訳)

先日、「みことばの花」の読者の一人の方が、「不思議なみわざ」(200527)を読み、
その返信としてご自分が奥様と出会った時の思い出(慣れ初め)の物語をお寄せくださいました。
以前は全く知る機会もなかった赤の他人同士が、出会ってそして夫婦になる。み言葉は、これを「不思議にたえないこと」の一つだと述べています。
「不思議にたえないこと」となると、それを偶然の出会いと考えるか、神の導きと受け止めるかは、その人の解釈。
私は後者を信じます。後者を信じると、きっと人生の終りまでロマンスは続くと思います。いえ、きっと天国に至るまで…。
ところで「この人とはこの地上だけでもうたくさん」、と考えている人はいませんか。
そのような方にはノーコメントです。
今日も、可能な限り人生パートナー(結婚相手に限らず、傍にいる方)を、大切にしてお過ごしください!

磯部豊喜

みことばの花 200531「出会いは必然?」

みことばの花 200531「出会いは必然?」

「彼はまず自分の兄弟シモンに出会って言った、『わたしたちはメシヤにいま出会った。』」(ヨハネ 1:41 口語訳)
(*メシヤ:訳せばキリスト)

先日、人との出会いは偶然か必然か、という一文を書きました。そのことを頭に巡らしていた時、次の言葉に出会いました。
「出会いは必然です。神様が与えてくれる出会いはきっかけで、その出会いを運命に変えるかどうかは、自分次第なのです」(サインズ2020年6月号p30)。
さて、上記の聖句は、自分の兄弟シモン(ペテロのこと)に語りかけたアンデレという人の言葉です。
イエス・キリストに直接に出会った人は大勢いました。ですがその多くはイエス様をメシアだとは認めませんでした。
このアンデレとシモンは、違っていました。イエス様に出会った時、偶然に出会ったというのではなく、人生の中心にこのお方を受け止めました。
その結果、彼らの運命はまったく変わったのです。これは偶然が必然にかわる出会いだったのだと思います。
出会いを大切にしたいものです。

磯部豊喜

ことばの花 200530「…ように」

ことばの花 200530「…ように」

「『父と母とを敬え』。また『自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ』」(マタイ 19:19 口語訳)

聖書は、正反対のことを教えているかのようにみえる箇所があります。
「自分を愛する者を憎まれる」(サムエル上19:6 口語訳)、「その時、人々は自分を愛する者、金を愛する者…」(Ⅱテモテ3:2 口語訳)と、これらは「自分を愛する」という言葉には否定的です。
ところが上記の場合は違う。調べてわかったこと。それは上記の聖句には「ように」が付いている。
「自分を愛するように、あなたの隣り人を愛する」。「隣り人を愛する」という目標が置かれる時、「自分を愛する」は輝く。
「ように」が大切だということが分かりました。
「自分を愛するように」、この「ように」を覚えて生きたいものです。
ハッピーサバス!  *サバス=第七日安息日のこと

磯部豊喜

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本日5月30日(土)のライブ配信URLです。またライブ配信は、「聴覚しょうがい」の方でも視聴できるように、パワーポイントを用意しています。※時間外でも視聴は可能です。また過去のものはSDA千葉教会HPにおいて視聴が可能です。よかったら覗いてみてください。
安息日学校(聖書の学び) 10:00 聖書をいかに解釈するか ⑨「天地創造―基礎としての創世記(その2)」
https://youtu.be/edUIYsY92GY
礼拝説教 11:00 「孤独にはしない」 磯部豊喜
https://youtu.be/NSb4ara4WY4

みことばの花 200529「ヨシュア」

みことばの花 200529「ヨシュア」

「主はヨシュアに言われた、「きょうからわたしはすべてのイスラエルの前にあなたを尊い者とするであろう。
こうしてわたしがモーセと共にいたように、あなたとともにおることを彼らに知らせるであろう。」(ヨシュア 3:7 口語訳)

聖書に登場する人物の中に「ヨシュア」という人がいます。
モーセやダビデは、聖書を持っていない人にも知られていますが、「ヨシュア」を知る人は、意外に少ない。
しかし聖書を読んでみますと、ヨシュアはイスラエル民族をカナンの地に定着させるという、とても大切な役割を果たしています。
モーセはイスラエル人をエジプト奴隷から解放した人物でした。しかし彼はイスラエル民族を現在のイスラエルの地に定着させることは出来ませんでした。
モーセの後を引き継いだのがヨシュアで、はじめはモーセの従者に過ぎない若者。
しかしその彼を神は「イスラエルの前にあなたを尊い者とする」と言われました。
主が共におられるならば、無名の者でも人々の役に立つようになれるのです。
大切なことは、人の役に立ちたいと思い続けることなのかも知れません。

磯部豊喜

みことばの花 200528「いずれまた」

みことばの花 200528「いずれまた」

「死人のよみがえりのことを聞くと、ある者たちはあざ笑い、またある者たちは、『この事については、いずれまた聞くことにする』と言った。」。
(使徒 17:32 口語訳)

「善は急げ」といいます。
ですが今その善に巡り合っていても、人はそれを善なる事とは思わず、善にあずかることを先へ延ばすことがあります。
上記の聖句はその一つかも知れません。
パウロがギリシャのアテネに滞在している時、天地創造の神がおられること、また死後に復活があるという話をしました。
最初のうちは面白がって聴いていたのですが、最後は「いずれまた聞くことにする」と言ってパウロの善なる話をさえぎってしまいました。
パウロは「永遠のいのち」の希望を語っていました。
しかし神の善き光をおとぎ話のように受け止める人は、この時代のアテネの人々ばかりではない。
善いことを知ること、善い事に取り組む機会は二度と来ないかも知れない。
今を大切に生きたいと思う。

磯部豊喜