みことばの花 200614「ふさわしく」

みことばの花 200614「ふさわしく」

「語る者は、神の御言を語る者にふさわしく語り、奉仕する者は、神から賜わる力による者にふさわしく奉仕すべきである。」(Ⅰペテロ4:11上 口語訳)

上記の聖句をいろどるもの、それは「ふさわしく」という言葉です。
「語る者は…ふさわしく語り」、「奉仕する者は…ふさわしく奉仕」せよと勧めています。
これは背伸びすることを奨励しているのではありません。身の丈のことをしなさいと教えています。身の丈以上のことをすると、疲れます。
人にはそれぞれ賜物があります。賜物は与えられたものですから、そのまま「ふさわしく」果たせばよいのです。
そしてその目的がこう続けて書かれています。「それは、すべてのことにおいてイエス・キリストによって、神があがめられるためである。
栄光と力とが世々限りなく、彼にあるように、アァメン。」と。
自分を喜ばすためではなく、神をあがめるために「ふさわしく」生活する。
そうすれば決して人は、高慢になったり自慢したりしないと思います。
今日も主の守りがありますように。

磯部豊喜

みことばの花 200613「預言」

みことばの花 200613「預言」

「まことに主なる神は/そのしもべである預言者にその隠れた事を/示さないでは、何事をもなされない。」(アモス 3:7 口語訳)

聖書に良く出てくる単語に「預言者」という言葉とか「預言」があります。この真意は「予言」とは異なります。
「預金」の「預」という漢字が使われています。「予言」の「予」は、「予告」の「予」ですから、将来のことを指しています。
では「預言」は何かと言いますと、「神から預かった言葉」です。「預言者」は「神から言葉を預かった者」となります。
ですが相手は神さまですから、将来のことも指し示すことは得意中の得意です。
ですから漢字の「預」に「予」が入っているように、「預言」には「予言」も含まれています。
上記の御言葉は「予」を強調している内容です。神様は将来のことを含めて「そのしもべである預言者」に告げられます。
そしてその的中率は100%なのですから不思議です。
聖書の「預言」に今日も触れるために教会の扉(ライブ配信を含めて)を開いてください。
ハッピーサバス!

磯部豊喜

みことばの花 200612「運動」 

みことばの花 200612「運動」 

「ところが、聞くところによると、あなたがたのうちのある者は怠惰な生活を送り、働かないで、ただいたずらに動きまわっているとのことである。」
(Ⅰテサロニケ 3:11 口語訳

新型コロナによって、運動量の減った人はいないでしょうか。少なくとも私はあまり動かなくなったような気がします。
そのような中、小さなトラクトに次の一文を発見。「長生きしする人たちの共通点は、活動的であるということです。
運動量が週に約7時間の人は、週に30分以下の人に比べて、早死にするリスクが40%低いという研究結果もあります。
運動は体の各組織に刺激を与え、生理的機能の低下を防止するなど、さまざまな病気の予防に効果をもたらす、最良の薬なのです」
(「あなたがもし100年生きるとしたら」より)。
今日からもっとストレッチとか縄跳びでもしようと自分自身の生活を反省させられました。
上記の聖句ではありませんが「怠惰こそ我が敵なり」と日々自分に言い聞かせたい。

磯部豊喜
・・・・・・・
6/13(土)ライブ配信 URLを送ります。
安息日学校(聖書の学び)10:00 聖書をいかに解釈するか 11課「聖書と預言」磯部豊喜
https://youtu.be/OJER18TbFBg
礼拝説教11:00 「ああ、その朝」 磯部豊喜
https://youtu.be/0JvLffOATGQ

みことばの花 200611「応援の力」

みことばの花 200611「応援の力」

「ダビデはペリシテびとに言った、「おまえはつるぎと、やりと、投げやりを持って、わたしに向かってくるが、
わたしは万軍の主の名、すなわち、おまえがいどんだ、イスラエルの軍の神の名によって、おまえに立ち向かう。(サムエル上17:45 口語訳)

昨日書きました炎鵬関と少年ダビデの共通点を今一度紹介したいと思います。炎鵬が小兵ながら強いのにはもう一つ理由があると思われます。
それは炎鵬のファンの一人である和寿君という子供との出会い。
和寿君は白血病と闘っている少年。大きな治療を経て、いまは経過観察の身とのことですが、炎鵬と大の仲良しです。
少年ダビデの場合は、天の神と仲良し。自分を熱く応援してくれる存在がいることを知っていると力が湧いてくるのです。
人には心を強くしてくれる応援団が必要です。人は一人では強くなれない。
今日も私を応援してくださる方が天におられることを信じて過ごしたいと思います。
主の支えが今日もありますように。

磯部豊喜

みことばの花 200610「小さくても」

みことばの花 200610「小さくても」

「時に、ペリシテびとの陣から、ガテのゴリアテという名の、戦いをいどむ者が出てきた。身のたけは六キュビト半。」(サムエル上 17:4 口語訳) 

今大相撲注目の一人に炎鵬という力士がいます。
身長168センチ、体重99キロは角界一の小兵。これまでの生涯戦歴126勝88敗(幕内戦歴は6場所で47勝43敗)は立派です。
彼は子供の頃から相撲をしていましたが負けてばかり。
転機は晃くんという先輩を見てから。晃君も細くて小さい、でも強い。決して後ろに下がらない。
晃君を手本に、彼も恐れずに前に出る相撲を取るようになり大きい人にも勝てるようになったという。聖書に登場するダビデのようです。
少年ダビデは、身の丈6キュビト半(約3メートル)の巨人ゴリアテと闘った。
そして一撃必殺の石投げで勝利しました。
ダビデの勝利の秘訣は、炎鵬に似ています。心を後ろに下げなかったことです。
前向きな心こそ勝利の秘訣なのでしょう。

磯部豊喜

みことばの花 200609「悩みの日」

みことばの花 200609「悩みの日」

「わたしの悩みの日にわたしはあなたに呼ばわります。あなたはわたしに答えられるからです。」(詩篇 86:7 口語訳)

どんなに頑張ってもどうにもならない場合があります。人間の限界といっても良いでしょう。
自分の無力を知るとき、人は悩みを抱えます。これまで人生を送る上で一度も悩まなかった人はあるでしょうか。
たびたび紹介しますが、私の車のナンバープレートは783(ナヤミ)。
自分で選んだのではありませんが、車を入手する時に、付いてきたナンバーです。牧師だって、このナンバーのように悩むのです。
私は毎週、悩んでいます。今週、どんなメッセージを準備したらいいのか…と。
ですが、不思議なことに毎週説教を語り終える度に、「神様ありがとう!無事に終えました」と心で叫ぶのです。
毎週アップアップの説教準備ですが貧しくはあれ、何とか終えています。
悩みの日、主の名を呼んでください。

磯部豊喜

みことばの花 200608「難」

みことばの花 200608「難」

「幾たびも旅をし、川の難、盗賊の難、同国民の難、異邦人の難、都会の難、荒野の難、海上の難、にせ兄弟の難に会い、」。(Ⅱコリント 11:26 口語訳) 

「バイキング」というと何を思うでしょう。いろいろな種類の食べ物が大きな皿に盛られて並んでいる食卓を思うでしょうか。
実は、6月8日は「バイキングの日」だそうです。しかしこれは793年の今日、北欧の「海賊」が登場し記録された日との事。
ところで「盗賊」は昔から存在していました。上記は1世紀のパウロの記録。
この一句には「盗賊の難」ばかりでなく「難」の多い事。この中には「都会の難」という言葉もありますが、東京都を襲う「新型コロナの難」を思います。
私どもの人生は「難」だらけ。夫婦の難、親子の難、職場の難・・・???。
パウロの場合、その「難」を常に守られたのはイエス・キリストでした。
私どもの人生の「難」を守ってくださるのも同様、主イエスだと私は信じています。

磯部豊喜

みことばの花 200607「心の苦痛」

みことばの花 200607「心の苦痛」

「わたしは卑しめられ、苦痛の中にあります。神よ、わたしを高く上げ、救ってください。」(詩編 69:30 新共同訳)

「苦痛」を好む人はいないでしょう。身体の苦痛も辛いものですが、これよりも辛いのは心の苦痛ではないかと思います。
上記の言葉の前後を見ますと、これは明らかに(著者ダビデの)心痛の叫びです。
「嘲りに心を打ち砕かれ、わたしは無力になりました。望んでいた同情は得られず慰めてくれる人も見いだしません」(詩編69:21 新共同訳)。
しかし上記のように叫んだことによって彼は、「神の御名を賛美してわたしは歌い御名を告白して、神をあがめます」(詩編69:31 新共同訳)と気を取り戻しています。
苦痛が襲う時、主はわたしの逃れ場です。
そのことを信じられる人は幸いです。
今週も主の守りがありますように。

磯部豊喜