みことばの花 190119「三つの安息日」

みことばの花190119「三つの安息日」

「パウロは例によって、その会堂にはいって行って、三つの安息日にわたり、聖書に基いて彼らと論じ、」(使徒17:2)

イエス様もその弟子たちも第七日安息日を大切にしました。それは世界創造の記念日だからです。
ところで上記はパウロの行動について書かれた一節です。
パウロと言う人は、キリスト教の教えに貢献した人だと言われますが、パウロが大切にしていたものの一つが安息日だと思います。
彼は天幕作り職人として宣教に励んだ、いわゆる自給伝道者です。
その彼が特に福音を伝えるのに励んだのは、第七日安息日だったようです。
「三つの安息日にわたり」という言葉がその事実を伝えています。
今日は、第七日安息日。
私もこの聖なる日に、声高く福音を宣べ伝えたい。「イエスはキリストである!」と…。

磯部豊喜

みことばの花 190118「益」

みことばの花190118「益」

「しかし、わたしはほんとうのことをあなたがたに言うが、
わたしが去って行くことは、あなたがたの益になるのだ。」(ヨハネ16:7より)

昨日、「稀勢の里(きせのさと)引退」を目にしました。
「稀勢の里」は、最も愛された横綱の一人でしょう。「引退」の決意表明を前にして、多くの人が涙していました。
横綱白鵬を63連勝でストップさせた力士でした。肩を大けがしたにも関わらず、千秋楽で勝利し逆転優勝を成し遂げました。
横綱としてはとても短く、桜のように咲き散った力士でしたが、ドラマチックな横綱。
この稀勢の里の姿に、わずか3年半ほどの公生涯を終えて、天に戻られたイエス・キリストを私は思います。
キリストは「わたしが去っていくことは、あなたがたの益になる」と言われます。
他者の益を常に考えて天寿を全うする、そいういう人になりたいものです。

磯部豊喜

みことばの花 190117「再会」

みことばの花190117「再会」

「そして、行って、場所の用意ができたならば、またきて、あなたがたをわたしのところに迎えよう。
わたしのおる所にあなたがたもおらせるためである。」(ヨハネ 14:3)

今日は24年前に阪神淡路大地震の起きた日です。日の経つのはとても早いですね。
あの日の朝のテレビ画面の様子は、今も私の目に焼き付いています。
多くの涙が流されました。人は死に、そして別れる。
ですが上記の御言葉に人生の最終的な解決があります。
主イエスが再び来られる時に、再会の朝が来る。キリスト者の希望です。

磯部豊喜

みことばの花 190116「無理に」

みことばの花190116「無理に」

「そこへ、アレキサンデルとルポスとの父シモンというクレネ人が、郊外からきて通りかかったので、
人々はイエスの十字架を無理に負わせた。」(マルコ 15:21)

ある人の処刑に見物人ではなく、突然に関係者になってしまう…こういう経験を積んだ人がいます。
シモンと言う人。彼はユダヤ教の大祭の一つ、過ぎ越しの祭りのためにユダヤにやってきた。
ところが一人の男が頭に茨の冠を被せられ、十字架を肩に背負い、坂道を登っていく様子をみて
「いったいどんな罪をこの男はしでかしたのだろう」と同情の眼差しで立ち止まります。
すると男は重い十字架につぶされて倒れてしまいました。
その時に、「お前、この十字架を背負え」と言われてしまいました。無理に十字架を負わせられた。
しかしなぜか、シモンは後にクリスチャンになっている。
嫌な経験、しかしそれは祝福の経験となった。
私も人生の苦みを「無理に」負わせられることがあるかも知れない。
しかしそれは祝福の道であると覚えたい。

磯部豊喜

みことばの花 190115「家族愛」

みことばの花190115「家族愛」

「見よ、兄弟が和合して共におるのは/いかに麗しく楽しいことであろう。」(詩篇 133:1)

上記は、わたしの好きな聖句の一つです。「兄弟が和合して共におる」…ある教会在任中に教会員向けの教会新聞を発行したことがありました。
その題は「和合」。「和合」というのは分かり易くいうと、「仲良く暮らす」ということです。
これは共同体の原点だと思います。家族にしても教会にしても「互いを大切にし合う」この一点に尽きます。
そのためにはお互いの存在を「尊敬」することが肝要です。
決して上から目線で見下ろすことなく、近くにいる相手にとって何が一番、良いことなのか、親切なことなのかを考える…
そのような生き方が出来たらと思います。
「いかに麗しく楽しいことであろう」とありますが、こんな世界が天国なのでしょう。
今日も主の愛が一人一人の上にありますように。

磯部豊喜

みことばの花 190114「明日のこと」

みことばの花190114「明日のこと」

「あすのことを誇ってはならない、一日のうちに何がおこるかを/知ることができないからだ。」(箴言27:1)

「予定は未定である」というのは本当です。昨日は、姪の結婚式が行われました。
式はほぼ予定通り、まさに順調でした。天候も快晴でした。前日の久々に訪れた雨天を思えば、見事な結婚式日和でした。
いつもこのようであれば良いのですが、「明日は〇〇へ行くぞ!」と張り切っていたのに、予期せぬ突発的なことが発生して、
その結果、予定していた場所へ行くのを余儀なく中止。こういう日もあるのです。
人生の明日というものは不透明です。
それですから神様に「今日の日一日を最善に祝福してください」と祈るのです。
今日も主の守りがありますように。

磯部豊喜

みことばの花 190113「神の記憶」

みことばの花190113「神の記憶」

「女がその乳のみ子を忘れて、その腹の子を、あわれまないようなことがあろうか。
たとい彼らが忘れるようなことがあっても、わたしは、あなたを忘れることはない。」(イザヤ49:15)

サインズ誌に、Kさんの家族探しの話は感動的(2019年1月号の羅針盤)でした。
2011年の東日本大震災で家族3人を失われたKさんは、4月に父、6月に妻の消息を知った。
残るは次女。何としても娘を探したい。遺留品の除去作業の手伝いを申し出た。
やがて娘のジャージを発見。5年後にマフラー、そして歯が三つ残された小さな骨を見つけた。
娘だと直感。DNA鑑定で、次女だと断定された。
この父のように、神は私のことを決して忘れないという約束を心に覚えたい。

磯部豊喜

みことばの花 19012「忘れない」

みことばの花19012「忘れない」

「わが悩みを見て、わたしをお救いください。わたしはあなたのおきてを忘れないからです。」(詩篇119:153)

今年も私が仲良くしそうなのが、もの探しの時間。
「あれどこやったのか?どこにおいたのか?」…探し物をなぜするのかというと、
心に念じて「これはここに置いたぞ!」との自己確認を怠ってしまうからです。
さりげなく置いて、そして忘れてしまう。
ところで、忘れたものを思い出す助けをする薬があるといいます。
メリスロンという薬。本来は「抗めまい薬」です。この薬、6mg8.5円というから高くはない。
この薬は記憶をよみがえらせる効果もあるというので、認知症の特効薬になるかもと言われます。
受験生にどうか…という声もありますが…、受験生はまず覚えることが大切。
さて、私どもの生活において「忘れてはならない」ものがあります。
上記はその一つで神様の「おきて」です。
今日は第七日安息日です。忘れてはならない愛の「おきて」を学びたいと思います。

磯部豊喜

みことばの花 190111「あの嫁が」

みことばの花190111「あの嫁が」

「そこでナオミはその子をとり、ふところに置いて、養い育てた。」(ルツ4:16)

「あの嫁が」…この後に続く言葉は、とても重要です。
昨日は「実にこのルツによってナオミも幸せに導かれている」という言葉を書きましたが、今日はその事実を紹介します。
ナオミの傍から離れなかった嫁ルツが子(ナオミにとっては孫)を宿したことに触れて、ルツの人物評価が聖書の中に登場します。
「女たちはナオミに言った。『主をたたえよ。主はあなたを見捨てることなく、家を絶やさぬ責任のある人を今日お与えくださいました。
どうか、イスラエルでその子の名があげられますように。その子はあなたの魂を生き返らせる者となり、老後の支えとなるでしょう。
あなたを愛する嫁、七人の息子にもまさるあの嫁がその子を産んだのですから。』」(ルツ4:16)。
嫁ルツは「七人の息子にもまさるあの嫁が」と言われるほどのお嫁さんだった。
こういう嫁、姑の関係は素敵ですね。

磯部豊喜