みことばの花 200805「突然」

みことばの花 200805「突然」

「人間がその時を知らないだけだ。魚が運悪く網にかかったり/鳥が罠にかかったりするように/人間も突然不運に見舞われ、罠にかかる。」
(伝道の書/コヘレト 9:12 口語訳)

新型コロナウイルスが収束していない中、また中国で新型のウイルスが発生したようです。マダニがこのウイルス源とのこと。
熊本の球磨川や山形の最上川の氾濫を起こした大雨災害。みな突然に起きた出来事です。
前もって分かっていれば、準備が出来るのですが、災禍というものは、強盗のようにやって来ます。
「災いは忘れた頃やってくる」とは言われますが、最近の「災いは忘れる前にやってくる」気がします。
これに対して、「しかし兄弟たちよ。あなたがたは暗やみの中にいないのだから、
その日が、盗人のようにあなたがたを不意に襲うことはないであろう。」(Ⅰテサロニケ5:4 口語訳)と御言葉にあります。
何が襲って来ても大丈夫、という人生の土台を据えて置きたい。
実に、死が襲って来ても大丈夫…そう言える世界を聖書は教えています。
今日も主の守りがありますように!

磯部豊喜

みことばの花 200804「かたどって」

みことばの花 200804「かたどって」

「わたしたちは、この舌で父なる主をさんびし、また、その同じ舌で、神にかたどって造られた人間をのろっている。」(ヤコブ 3:9 口語訳)

今日は何の日?というラジオ放送で「1996年の今日、渥美清さん68歳で逝く」とありました。
渥美清さんと言えば「フウテンの寅さん」。世紀を越えて今もBSで放送されています。
渥美さんのように役柄の「寅さん」が定着している俳優あまりいないと思います。
ところで人間は本来何者だったのでしょう。聖書には「神にかたどって造られた」ものであったと書いています。
人は「神になることは」出来ませんが、「神にかたどって造られた」ことを意識して良いと思います。
そうすると生き方が変わってくるはずです。
今日も主の恵みがありますように。

磯部豊喜

みことばの花 200803「持ち続ける」

みことばの花 200803「持ち続ける」

「…もしわたしたちが、望みの確信と誇とを最後までしっかりと持ち続けるなら、わたしたちは神の家なのである。」(ヘブル 3:6 口語訳)

「継続は力なり」…その言葉通りの出来事。昨日、大相撲の照ノ富士関が、5年ぶりに幕内最下位から2回目の優勝を遂げました。
照ノ富士は、大関14場所を終えてから番付は急降下し序二段に。
相撲には10種類の格付けがあります。
上から呼ぶと①横綱、②大関、③関脇、④小結、⑤前頭(=①~⑤は幕内)、⑥十両、⑦幕下、⑧三段目、⑨序二段、⑩序の口。
照ノ富士は、この下から2番目から復活してきました。ケガや病気などで身体を壊し、車いす生活の時もあったという。
「続けてきて良かった」とのコメント。続けていれば花が咲くという教訓を、見事に教えてくれました。やはり「継続は力なり」。
上記聖句に「望みの確信と誇りを最後までしっかりと持ち続けるなら」とありますが、折れそうになっても継続する。
私もそういう人生、キリスト者を歩みたいと願うのです。
主の恵みが今日もありますように。

磯部豊喜

みことばの花 200802「油断」

みことばの花 200802「油断」

「油断することなく、あなたの心を守れ、命の泉は、これから流れ出るからである。」(箴言 4:23 箴言)

583人、981人、1259人、1308人、1570人、そして昨日は1537人。ご承知でしょう。
これは国内での7月27日~8月1日までの新型コロナの感染者数です。わずか5日間で3倍に増えています。
ついに感染の一人もいなかった岩手県にも…。どうしてこのようになったのでしょうか。
緊急事態宣言が解除されて後、もう新型コロナがいなくなったような錯覚がおきてしまったのでしょうか。
解除後に油断してしまったのでしょうか。
振り返ってみると私も外出後に必ず洗剤で手を洗っていましたが、時々それを忘れてしまうことがあることにふっと気づきました。
三密を避けるという原則も緩んでいるような気がします。
上記の御言葉を心に留めたいと思いました。
「油断することなく、あなたの心を守れ」との御声は、あらゆる面で言えそうです。
主の守りが今日もありますように。

磯部豊喜

みことばの花 200801「はい!」

みことばの花 200801「はい!」

「…死に至るまで忠実であれ。そうすれば、いのちの冠を与えよう。」(黙示録2:10 口語訳)

キリストを信じてクリスチャンとなってバプテスマを受ける人に、私は好んでこの聖句を贈ります。
「忠実」という言葉は、辞書には「まごころをもってよく努めること」とか「少しの違いもなく、その通りにすること」とあります。
もっとかみ砕いていうなれば、「はい!」と口と行動で応えることです。
上記の御言葉を語っておられるのは、神の御子キリストです。
キリストの言われることを、すべて「はい!」と答えて行動するとき、「キリストに忠実な者として受け止め」て頂けるという。
そしてそのご褒美は「いのちの冠」。「死に至るまで」つまり人生の終りまで、キリストの御言葉に対して常に「はい!」と答えて生きることの祝福は限りない。
そういえば今日は8月1日。「はい!」と答える日。
今日は第七日安息日、SDA千葉教会では嬉しいバプテスマ式があります。
ハッピーサバズ!

磯部豊喜
・・・・・・・
本日8月1日のライブ配信 URL です。礼拝時に、上記にあるバプテスマ式が予定されています。人生の拠り所を得られた方々の最初の行為をどうぞご視聴ください。
安息日学校(聖書の学び) URL 8月1日(土)10:00 第5課「聖霊に力づけられてあかしする」磯部豊喜
https://youtu.be/uhPgmAstLF8
礼拝説教  URL 8月1日(土)11:00 「新しい人生の出発―バプテスマ」 磯部豊喜
https://youtu.be/IIzNy8gOwOY

みことばの花 200731「バプテスマ」

みことばの花 200731「バプテスマ」

「自分の罪を告白し、ヨルダン川でヨハネからバプテスマを受けた。」(マタイ 3:6 口語訳) 

以前に書いたことがありますが人生には選べるものと選べないものがあります。
まず自分の人生の始まりは、選べない。生みの親や自分に備えられた遺伝子も選ぶことは出来ません。
ですが人生に深く関わりのある次の三つは選ぶことができます。①結婚、②仕事、③人生の価値観。
私はこの三つのうちで最も大切なものは、③人生の価値観の選択だと受け止めています。
さて、上記の聖句は、創造の神を知った人が、そこに人生の価値を見いだし、自らが神に人生の拠り所があると表明する行為で「バプテスマ」と呼びます。
神の御子イエスは、罪なきお方でしたのでバプテスマを受ける必要がありませんでした。
しかし自ら進んで人類の模範としてヨハネからバプテスマを受けました(マタイ3章13~17節】口語訳)。
バプテスマは人生の最良の選択なのです。
今日も主の恵みがありますように。

磯部豊喜
・・・・・・・
明日8月1日のライブ配信 URL です。明日の礼拝時に、上記にあるバプテスマ式が予定されています。人生の拠り所を得られた方々の最初の行為をどうぞご視聴ください。
安息日学校(聖書の学び) URL 8月1日(土)10:00 第5課「聖霊に力づけられてあかしする」磯部豊喜
https://youtu.be/uhPgmAstLF8
礼拝説教  URL 8月1日(土)11:00 「新しい人生の出発―バプテスマ」 磯部豊喜
https://youtu.be/IIzNy8gOwOY

みことばの花 200730「正しいさばき」

みことばの花 200730「正しいさばき」

「わたしは主が苦しむ者の訴えをたすけ、貧しい者のために正しいさばきを行われることを知っています。」(詩篇140:12 口語訳) 

75年前に原爆が投下されました。あの時に降った黒い雨はかなりの広範囲に及んだそうです。
昨日、その黒い雨を浴びた人たちが被爆者と認められるよう求めた訴訟が行われ、原告の勝訴で幕を閉じました。
この訴えは75年間退けられていたのでしょうか。これまでは黒い雨の雨量の大小で機械的な線引きが定められていたとのことです。
小雨と判断された地域の方々は、被爆の影響と思われる症状と闘っていたとのこと。
それにしても75年も経て訴えが認められたというのは驚きです。人の世界に「正しい裁き」は難しい。
ところで上記には、「主が…正しいさばきを行われることを知っている」とあります。
過つことのない天のさばきがあることを覚えたい。地球の歴史が一新する時には、すべての出来事の顛末が明らかにされると私は心から信じています。
それまで信仰と忍耐…が必要です。
主の守りが今日もありますように。

磯部豊喜

みことばの花 200729「免疫力」

みことばの花 200729「免疫力」

「悪に負けてはいけない。かえって、善をもって悪に勝ちなさい。」(ローマ 12:21 口語訳)

ユーチューブで、若いお医者さんの「免疫力をつける方法」という話を視聴しました。
なかなか上手なスピーカーで、「コロナにかかっても大丈夫な免疫力をつける方法3つ」という話でした。
①適度な筋力をつける、②食事(魚と野菜を食べよう)、③複式呼吸を訓練…こういう話だったと思います。
特に③がオリジナルとのことですが、これを視聴し試みた人の投稿に「COPD(慢性閉塞性肺疾患)になった父がこの呼吸方法を練習しているうちに、
結構症状が軽くなった!」とありました。
備えあれば憂いなし。実践したいですね。
ところで免疫力とは、「ばい菌が入って来ても生き残る力」と医師は解説。
これは心にも言える。聖書は「善をもって悪に勝ちなさい」といいます。
善は心の免疫力だと思います。

磯部豊喜

みことばの花 200728「いなずま」

みことばの花 200728「いなずま」

「ちょうど、いなずまが東から西にひらめき渡るように、人の子も現れるであろう。」(マタイ 24:27 口語訳)

ここのところ「空模様が怪しい」。今日は晴れだと思って窓を開けていると、
突然に「ピカー」と光った後に「ドーン」と地響きが届き、急ぎ窓を閉めることが度々です。
「晴れのち曇り、処によってはにわか雨」と、どんな天気でも当たるような天気予報。
今日も「1時間100ミリの雨が降る所もある」とのこと。
ところであの「ピカー」と光る「いなずま」は聖書にもよく記されています。
私は「いなずま」を見るたびに上記の聖句を思い出します。
「人の子も現れるであろう」とありますが、これは、「人の子」なるイエス・キリストが「現われる」との予告です。
聖書はイエス・キリストが再びこの世界に戻って来られることを約束しています。
これは覚えておきたい聖書の珠玉の約束。
罪と死の歴史は終り、真の愛と命の歴史が始まるからです。

磯部豊喜

みことばの花 200727「黄金律」

みことばの花 200727「黄金律」 

「だから、何事でも人々からしてほしいと望むことは、人々にもそのとおりにせよ。これが律法であり預言者である。」(マタイ 7:12 口語訳)

この聖句は、一般に聖書の「黄金律」と呼ばれています。
なぜそうなったのかは分かりませんが、儒教(孔子)「己の欲せざるところ、他に施すなかれ」とか、ヒンドゥー教「人が他人からしてもらいたくないと思ういかなることも他人にしてはならない」、イスラム教(ムハンマド)「自分が人から危害を受けたくなければ、誰にも危害を加えないことである」の教えに似ているからかも知れません。
ですがよく吟味してみますと、キリストの御言葉と他は何かが違うと私は感じます。
他はみな「しない」に重きがおかれていますが、キリストの御言葉には「せよ」という積極性がみられます。
果たして私はどちらの言い回しを好むでしょうか。
「して欲しくないことしない」というのか、「して欲しいことをする」というのか…。
今日も主の恵みがありますように。

磯部豊喜