みことばの花 180728「心という容量」

みことばの花180728「心という容量」

「新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れるべきである。」(ルカ 5:38)

温故知新(おんこちしん)という言葉があります。「故(ふる)きを温(たず)ねて新(あたら)しきを知(し)る」、または「故(ふる)きを温(あたた)めて新(あたら)しきを知(し)る」と訓読する。これは孔子の論語にある名言だそうですが、いまひとつ分かりにくい。ところで上記はキリストの残された名言の一つ。新しいぶどう酒(発酵していない酒=ぶどうジュース)は、空気に触れるとやがて発酵します。そうなると弾力のない古い皮袋では、発酵する力に耐えられずに、パ~ン!と音を立てて破れる。ですから新しいぶどう酒は、弾力のある新しい皮袋へ入れるのがベストだという。同じように、真理の言葉も人の心に入るとパ~ン!とはじけるほどの力があります。これを受け止めるには、古く凝り固まった狭い心では耐えられない。新しい柔軟な心を持つことが大切です。今日は第七日安息日、これもただ掟(おきて)だから守る…から、さらに進んで、神を愛するので守る…となって行く(ヤコブ2:8、一ヨハネ5:3参照)。常に「心という容量」を柔らかく広げたいものです。ハッピーサバス!

磯部豊喜

みことばの花 180727「そのとき、…逃げよ」

みことばの花180727「そのとき、…逃げよ」

「そのとき、ユダヤにいる人々は山へ逃げよ。市中にいる者は、そこから出て行くがよい。また、いなかにいる者は市内にはいってはいけない。」(ルカ 21:21)

次のような一文を見ました。「人間は自分が予期しない災害などに遭遇した際に、まさか自分がそんなことにあうわけがない、自分は大丈夫だろうと、それを無視したり軽視したりする心理があります。これは『正常性バイアス』というもので、心の安定を図るために大切なものです。『バイアス』とは偏見や先入観といった意味ですが、この心理的メカニズムがなければ、一々些細な事柄に過剰反応して心が持ちません。ただ大きな災害に遭遇した際には、逆にそのメカニズムのために逃げ遅れるということにもなりかねません。正常性バイアスの一番の問題は、行動しないで逃げ遅れてしまうことです。この対策・対処法としては、普段から手順を決めておいて、その訓練をすることが大切です」。この度の西日本豪雨災害にあって家々は被害を受けましたが、全員無事であった村落がありました。村落のリーダーの方は東日本大震災体験者で四国へ移った後、その村落で災害訓練を導いていました。やはり備えに勝るものはないようです。

磯部豊喜

みことばの花 180726「尊い人」

みことばの花180726「尊い人」

「愚かな者は、もはや尊い人と呼ばれることなく、悪人はもはや、りっぱな人と言われることはない。」(イザヤ 32:5)

上記の言葉をもっと分かりやすく描いている別の訳があります。「その時には、神様を敬わない無神論者は、決して英雄になれません。たとい金持ちでも、人をだます者は、りっぱな人と呼ばれません」(リビングバイブル)。「愚かな者」を「無神論者」と訳す。これは聖書の別の箇所で「愚かな者は心のうちに『神はない』と言う」(詩篇14:1)とあるからでしょう。また「悪人」を「人をだます者」と替えています。「彼らは腐れはて、憎むべき事をなし、善を行う者はない」(詩篇14:1)とある。そうなると上記の「尊い人」とはどういう人のことになるのでしょう。「神様を敬う人」となる。愛の神様を「神として持っている人」は、結果として「善を行なう者」になることでしょう。そしてこのような人は、単なるご利益的な生き方もしない。どんなにマイナスの出来事がやってきても、神をのろうことをしない。それでも神様の最善を信じて神を賛美します。…私も、そういう人に少しでも近づけたら幸いだと願うのです。主の守りが今日もありますように。

磯部豊喜

 

みことばの花 180725「将来」

みことばの花180725「将来」

「パウロも、アポロも、ケパも、世界も、生も、死も、現在のものも、将来のものも、ことごとく、あなたがたのものである。」(Ⅰコリント 3:22)

今日は朝の「みことばの花」ではなく夜の「みことばの花」になってしまいました。朝からバタバタとしてしまい落ち着いて机に座ったのが今という状況です。さて、ノスタルジーという言葉がありますが、これはフランス語で「過ぎ去った時間や時代、ふるさとを懐かしむ」という意味を持っています。私も最近、よく昔を懐かしむことがあります。「昭和のよき時代」などといって懐かしみます。そして今をチョッピリ否定的に考え、将来には憂いが漂ってしまうのです。これが年を取るということなのか、どうか…。しかしパウロが、将来という言葉を使う時は、実に前向きです。「生も、死も、現在のものも、将来のものも、ことごとく、あなたがたのもの」と言います。確かに「過去は変えられないが、将来は変えられる」という言葉もあります。いつまでも過去にとどまるのではく、神の輝ける約束を信じ、希望の将来があることを信じて生きていくのは、大切なことだと思うのです。

磯部豊喜

みことばの花 180724「待つ」

みことばの花180724「待つ」

「この幻はなお定められたときを待ち、終りをさして急いでいる。それは偽りではない。もしおそければ待っておれ。それは必ず臨む。滞りはしない。」(ハバクク 2:3)

毎日酷暑が続いています。連日「危険な暑さ」という言葉で紹介されるのは、私の記憶では初めてです。「なぜこんなに暑いのですか?」と叫びたくなりますが、信仰の言葉では「いつまでなのですか」。一昨日、大切な娘さんを亡くされたご家族に会って来ました。今年成人したばかりの夢あふれる若者。報告を聞いたときに「神様、何故なのですか?」と心の中で叫んでいる自分がいました。ですが自分の心で言い直して「神様、この悲しみはいつまでなのですか?」と今は祈っています。死もなく悲しみも叫びもない神の国を求める心を、今一度磨きたいと思いました。神様は「もしおそければ待っていなさい」と言われます。キリスト者は待つことの向こうの明日(あした)を描く民です。主の愛のみ手を離すことなく、頓挫(とんざ)することなく信仰でつながって行きたいと思います。今日も主のみ手の導きがありますように。

磯部豊喜

みことばの花 180723「希望」

みことばの花180723「希望」

「その日、人は言う、『見よ、これはわれわれの神である。わたしたちは彼を待ち望んだ。彼はわたしたちを救われる。これは主である。わたしたちは彼を待ち望んだ。わたしたちはその救を喜び楽しもう』と。」(イザヤ 25:9)

聖書は希望の書です。なぜかというと、私たちにとってもっとも悲惨な罪とその結果である死から全く解放されることが約束されているからです。それはキリストの十字架と再臨です。十字架は、「わたしはあなたの罪を許している」という宣言です。そして再臨は、十字架でなされた宣言を、心から受け入れる人に新しい命が与えられる希望の出来事です。十字架は信じる者への「永遠の命」の保証、再臨は完全な救いの時と言って良いでしょう。私たちの神は愛の神、希望の神です。上記の御言葉は、キリストの再臨を待ち望む人々が、キリストがこられる時に叫ぶとされている喜びの表現です。共に、主を見上げてこの喜びの中に加わっていただきたいと願っています。主の限りなく愛と守りとが今日もありますように。

磯部豊喜

みことばの花 180722「賜物」

みことばの花180722「賜物」

「罪の支払う報酬は死である。しかし神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスにおける永遠のいのちである。」(ローマ 6:23)

聖書の教えの中で一番おそろしいもの、それは「罪」です。罪とは命の主である神様と関係が壊れている状態です。そして「罪の支払う報酬は死」。無知なために神を愛の神として受け止められない人がいます。しかし間違いなく神は愛です。この世界にはあまりにも悲惨なことが多すぎます。それで「神は愛ではない。神が愛ならばどうしてこんな悲惨なことが起こるのか」とその愛を疑うのです。ですが神様の愛はすでに証明されています。それは愛する独り子を、罪を犯した地球に遣わしてくださった。しかも御子キリストが十字架にまでかかって死んでくださった。この神の賜物(プレゼント)なるキリストを私の救い主であると信じ受けとめる時に、私に永遠の命が始まります。これは約束です。今日もこの神様の愛の約束をしっかりと受け止めて過ごしたいと思います。

磯部豊喜

みことばの花 180721「安息の後に復活がある」

みことばの花180721「安息の後に復活がある」

「そして帰って、香料と香油とを用意した。それからおきてに従って安息日を休んだ。」(ルカ 23:56)

イエス・キリストを信じていた人々の行動がここに描かれています。その日は、彼らにとっても心の重い金曜日でした。愛する主が十字架にかかって眠りにつかれたからです。主が亡くなられて迎えた日が、第七日安息日(今日の金曜日の日没)。これまでの神様を賛美して過ごした安息日に比べると、これほど暗く悲しい安息日はあったでしょうか。ところがこの安息日直後の週のはじめの日(日曜日)の朝に何が起きたか。人生の常識を覆す、驚くべき出来事が起きました。それは主の復活です。安息日は、深い意味において、人生をストップする日です。そして人生をストップした次の日に、新しい人生が始まります。それは復活の日です。安息日に主の十字架の恵みを体験した後、復活の恵みが用意されている日。安息日には、人生の重荷を神様におまかせしましょう。それらはそこで死ぬのです。死ぬので復活がある。死と復活のパックが、「安息の後に復活がある」…という恵み。この主の恵みに触れて第七日を過ごしたいと思います。ハッピ・サバス!

磯部豊喜

みことばの花 180720「信仰は前に進むこと」

みことばの花180720「信仰は前に進むこと」

「もしその出てきた所のことを考えていたなら、帰る機会はあったであろう。」(ヘブル 11:15)

旧約聖書の創世記の中に後ろを振り返ったために、塩の柱になったロトの妻の話があります。身体は前に進んでいるのに、心は滅亡の町ソドムに残っていた女性の悲しい末路が描かれています。これとは正反対の進み方をした人がいます。それはアブラハムという人です。アブラハムは親族のいるカルデアのウル(現在のイラクにあった町)から神様の示されるまま、遠いカナン(主として現在のイスラエル)まで歩を進めました。以来、彼は一度もふるさとに戻っていません。慣れ親しんだ土地を離れるのは、勇気のいることです。しかし彼は、未知の地でしたが、神の示された土地を目指しました。これは彼の心の土地にも言えることです。信仰とは神様の愛と教えの道に従っていくことです。そして従ったら、後戻りはしない。そのような生き方によって、アブラハムは「神の友」(ヤコブ2:23)と呼ばれるまでになったのは実に教訓的な気がします。「手をすき(鋤)にかけてから、うしろを見る者は、神の国にふさわしくないものである」(ルカ9:62)ともあります。今日も主の導きがありますように。

磯部豊喜

みことばの花 180719「猛暑」

みことばの花180719「猛暑」

「第四の者が、その鉢を太陽に傾けた。すると、太陽は火で人々を焼くことを許された。」(黙示録16:8)

「今年の夏は例年よりも暑いかもしれない」と私は予想していました。なぜかというと、今年の冬は、とても寒かったからです。「極寒の冬の後には、猛暑がやってくる」という過去の事例があります。先ほどラジオで「命に危険な暑さなので、気をつけましょう!」との言葉が聞かれました。昨日、岐阜では40℃を越えたといいます。この猛暑を思っていましたら上記の黙示録にある聖句が浮かびました。これは終末的な出来事の予告の一つです。「太陽は火で人々を焼くことを許された」とある。このような出来事をどのように解釈するのか。「人々は、激しい炎熱で焼かれたが、これらの災害を支配する神の御名を汚し、悔い改めて神に栄光を帰することをしなかった」と続きます(9節)。人は苦しくなると神様のせいにしたくなります。しかし災害をもたらす原因は、自然破壊を進める人間が作り出しているのかも知れません。苦しい時、いかに生きるかで人の立っている位置が分かるという。人生の猛暑の中にあっても主の恵みがあることを覚えて過ごしたいと思います。

磯部豊喜