みことばの花 180815「カレブ(3)」

みことばの花180815「カレブ(3)」

「主がこの言葉をモーセに語られた時からこのかた、イスラエルが荒野に歩んだ四十五年の間、主は言われたように、わたしを生きながらえさせてくださいました。わたしは今日すでに八十五歳ですが、今もなお、モーセがわたしをつかわした日のように、健やかです。わたしの今の力は、あの時の力に劣らず、どんな働きにも、戦いにも堪えることができます。」(ヨシュア 14:10,11)

あれから45年の歳月が経ちました。カレブの年齢は85歳。しかし神様に忠実なカレブは、心身ともにいまだ若者のようです。いよいよヨシュアをリーダーとしてイスラエル人がカナンを征服する機会が訪れました。カレブは続けて語っています。「それで主があの日語られたこの山地を、どうか今、わたしにください。あの日あなたも聞いたように、そこにはアナキびとがいて、その町々は大きく堅固です。しかし、主がわたしと共におられて、わたしはついには、主が言われたように、彼らを追い払うことができるでしょう」(同12節)。彼が望んだのは、大きく堅固な町の人々を追い払うこと。心ばかりでなく足腰が丈夫でなければこのようなことは言えない。そういえば、人は「1時間座ると22分寿命が縮まる」と聞きました。座業は足を弱くします。カレブはきっと心と共に足腰も鍛えていたのだと思います。

磯部豊喜

みことばの花 180814「カレブ(2)]

みことばの花180814「カレブ(2)]

「しかし、彼とともにのぼって行った人々は言った、『わたしたちはその民のところへ攻めのぼることはできません。彼らはわたしたちよりも強いからです』」(民数記 13:31)

昨日の続きです。カレブはヨシュアと共に、全知全能の神がおられれることを固く信じてカナンに前進することを進言しました。ところが他の10人の斥候たちの提案は否定的なものでした。その10人の言葉が上記です。私はこの聖書の箇所を見るとき、多数が必ずしも正しいとは限らないということを学びます。しかし多数決によってイスラエルの方向性が決められました。これは今日も同じです。この場面で正しい人は、神を見上げることに忠実なカレブとヨシュアの二人でした。神の世界には、ときどきこのような少数派に正しい判断がみられることがあります。結果としてイスラエルはカナンに住むことが出来ず、40年間もの間、荒れ野をさ迷う事になります。そして40年の間に、神を信頼しなかった10人は荒れ野で倒れ、神に完全に従ったカレブとヨシュアの二人だけは、40年後にカナンの入植に再び挑戦する機会が与えられます。カレブとヨシュアのように神様を信頼する選択をして行きたいものです。

磯部豊喜

みことばの花 180813「カレブ(1)」

みことばの花180813「カレブ(1)」

「そのとき、カレブはモーセの前で、民をしずめて言った、『わたしたちはすぐにのぼって、攻め取りましょう。わたしたちは必ず勝つことができます』」(民数記 13:30)

研修旅行に行った韓国から無事に帰ってきました。この度の研修は、熱く心に触れるものがあり、私も涙を誘われた時もしばしばありました。キリストを知らなかった人が、キリストに出会う時の感動がそこにありました。さてそのようなプログラムの中で、最終日に組まれていたのが韓国のクリスチャン劇団「スランミ」の歌劇です。美しい讃美と踊り、そして聖書のメッセージを織り交ぜながら、それは見事に構成されていました。今回の演劇は旧約聖書に登場する「カレブ」が主役。神は、下劣な宗教を信奉していたカナン人を追い払うためにイスラエル人にその地への入植を進めるために、指導者モーセを通して12人の斥候を送ります。しかし10人は強そうなカナン人を見て、その地に入ることを尻ごみします。それに対してカレブとヨシュアは違いました。特にカレブは、我らには神がおられるから必ず勝つことが出きると進言しました。信仰とは全能の神様を見る心です。本物の信仰者は決して弱いのではなく強いのです。

磯部豊喜

みことばの花 180808「困難」

みことばの花180808「困難」

「自分の中に根がないので、しばらく続くだけである。そののち、御言のために困難や迫害が起ってくると、すぐつまずいてしまう。」(マルコ 4:17)

「根無し草」という言葉があります。これは①地中に根を張らず、水に浮いている草、すなわち浮き草を指す。②浮き草のように漂って定まらない物事や、確かなよりどころのない生活をたとえた言葉。…だという。上記のみ言葉を読んで、私の脳裏に浮かんだのがこの「根無し草」でした。「自分の中に根がない」とは、土台が不安定な人の心を指しています。人生の軸がぶれてしまう生き方。軸がしっかりと固定されていないと、風に吹かれて、右往左往してしまうでしょう。人生の軸を神の言葉に置いていない人のことが描かれています。み言葉を人生の軸と置いていないので、困難や迫害が起こると、すぐつまづいてしまう。どこから風が吹こうとも「それでも、神は愛なり」と言い切れる、ぶれない人でありたいと願います。台風13号が近づいています。今日も主の守りがありますように。

磯部豊喜

みことばの花 80807「舵」

みことばの花180807「舵」

「また船を見るがよい。船体が非常に大きく、また激しい風に吹きまくられても、ごく小さなかじ一つで、操縦者の思いのままに運転される。」(ヤコブ 3:4)

私どもの人生というものは、先頭に立つ人の影響がいかに大きいかを実感します。いよいよ全国高校野球の100回記念大会が始まりましたが、この世界にも監督の生き方やゲームの舵取り次第で勝敗の有無が決定される場面が実に多い気がします。選手同士の実力が伯仲している場合は特に監督の手腕は大きい。いえ多少の実力差がある場合でも、舵取り次第で弱小チームが強豪チームに勝つことさえあります。今回、下克上とか言われて注目されている高校があります。白山(はくさん)高校です。チャンスがあれば、選手たちもそうであるが、まずどんな監督なのか見てみたい。ところで人生の小さな舵(かじ)は、私という個人にも当てはまります。それは私自身の舵取り。それは「心」。私という人間は私の心で運転されている。私と言う人間が神様に祝福されるか否かも、この心次第なのであろう。「キリストの心を心とせよ」というのは、私という人間の舵取りをキリストにゆだねよということ。一生の課題かもしれませんが、こういう舵取りが出来たならば幸いです。

磯部豊喜

みことばの花 180806「夾竹桃(きょうちくとう)」

みことばの花180806「夾竹桃(きょうちくとう)」

「モーセは青銅で一つのへびを造り、それをさおの上に掛けて置いた。すべてへびにかまれた者はその青銅のへびを仰いで見て生きた。」(民数記 21:9)

一昨日土曜日、私の担当することになった袖ヶ浦教会へ行きました。その教会に赤と白の花が置かれていました。その花の名は「夾竹桃(きょうちくとう)」。この花はあの広島の原爆の後にも生き抜いて最初に花を咲かせたという。この花を調べてみました。たしかに「排気ガスなど公害に強い花」だと書かれていました。この花の原産地はインド。しかし強い毒性があることに由来して、「油断大敵」「危険な愛」「用心」という花言葉もあるとのことです。しかしこの漢字を良く見ると「夾竹桃」の「夾」は、十字架のキリストが描かれた文字に見える。十字架を中心に人が三人磔付けられています。そういえばキリストは上記のみ言葉にあるように、ご自身は全く清らかで罪なきお方でしたのに、青銅のへびに代表されるお方として人の罪を背負って死なれました。人の罪(死に至る病)を背負ってのろいを受けて死なれた。そして夾竹桃のように復活し、命の花を咲かせました。このキリストを信仰をもって仰いで見上げる人は、死から命へ移ることができるのです。確実な約束です。

磯部豊喜

みことばの花 180805「ロートルⅡ」

みことばの花180805「ロートルⅡ」

「『神がこう仰せになる。終りの時には、/わたしの霊をすべての人に注ごう。そして、あなたがたのむすこ娘は預言をし、/若者たちは幻を見、/老人たちは夢を見るであろう。」(使徒 2:17)

昨日の続きです。PFCキャンプで見た夢、それは5つほど。一つは、「ダニ」の夢。このダニは夢の中でどんなにつぶそうとしても頑丈で生きているのです。二つは足の先に「タワシ」が足の裏に触るのです。蹴ってみたくなりましたが、ストップして起きました。するとなんと反対側に寝ていた若者が180度向きを変え、頭をこちらへ向けて眠っていた。ああ、蹴飛ばさなくて良かった。三つ目の夢は、講演会の準備中の夢。あと30分しかないというのに買い物に行った。そして帰ろうと車に戻ると、何と車はありましたが中のシートがごっそり誰かに盗まれている。椅子なし車でも運転して会場に戻る途中で目覚めた。四つ目は、人の庭に入って、小水をばら撒く自分の姿。だれもいないと思っていたら、目の前の道路に人影が。急いで途中で止めた。目を覚ましてトイレに直行。夢を見る人を聖書は老人(ロートル)のしるしという。しかし唯一、まともな夢もありました。それはイエス・キリストの再臨の夢。キリストの再臨の日に、人は死から甦り、永遠の世界に招かれるのです。これは確かな確かな夢でした。

 

磯部豊喜

みことばの花 180804「ロートル」

みことばの花180804「ロートル」

「『神がこう仰せになる。終りの時には、/わたしの霊をすべての人に注ごう。そして、あなたがたのむすこ娘は預言をし、/若者たちは幻を見、/老人たちは夢を見るであろう。」(使徒 2:17)

7月30日~8月3日までの5日間、私の管轄下にある九十九里教会の子供たちを引率して、全国PFCキャンポリー(教会内での子供育成クラブ)に参加して来ました。今回の参加者(約130人)の中で高齢者の順でいくと、私はどうやら6番目。プログラムの中で登山があり、これに参加した人の中では3番目。かつてロートルという言葉が流行りましたが、そのグループの中で年長の人を指しているとばかり思っていましたが、調べますとこの言葉は中国語で「老人」を指すとのこと。気持ちは万年青年。ですが引退会見の故千代の富士関ではありませんが、今回登山をしてつくづく「体力の限界!」を悟らされました。ついでに期間中、見ているものは「夢」ばかり。そういえば聖書に「老人たちは夢を見る」とあります。やはり正真正銘のロートルなのか。しかし「わたしの霊をすべての人に注ごう」との約束もある。ここに希望を持って、今日の聖なる第七日安息日を過ごしたいと思います。ハッピーサバス!

磯部豊喜

みことばの花 180730「パウロよ、恐れるな」

みことばの花180730「パウロよ、恐れるな」

「『パウロよ、恐れるな。あなたは必ずカイザルの前に立たなければならない。たしかに神は、あなたと同船の者を、ことごとくあなたに賜わっている』。」(使徒 27:24)

ユーラクロン台風は、船に乗っている者たちにとって命をさらわれるような厳しい状況をもたらしました。この船は、パウロの「出港をしないほうがいい」という忠告を聞き入れなかったために危害を被(こうむ)ったのです。それでもパウロは、「元気を出しなさい。舟が失われるだけで、あなたがたの中で生命を失なうものは、ひとりもないであろう。」と断言します。昨晩に、彼の仕えている神様が天使を送って「パウロよ、恐れるな。あなたはカイザル(当時のローマ皇帝)の前に立たなければならない。たしかに神は、あなたと同船の者を、ことごとくあなたに賜わっている」という声をパウロは聞いていたからです。果たして、このパウロの言葉のとおりになります。後にパウロは殉教死することになりますが、この場面で彼は死ぬことはありませんでした。彼はローマ皇帝の前で、主を証する前に眠ることは許されていなかったのです。今日も主のみこころがなりますように。

磯部豊喜

みことばの花 180729「ユーラクロン」

みことばの花180729「ユーラクロン」

「すると間もなく、ユーラクロンと呼ばれる暴風が、島から吹きおろしてきた。」(使徒 27:14)

先の台風8号は、日本に豪雨災害と言う甚大な被害をもたらしました。まだ復興行き届かない中、今後は台風12号。関東直撃との情報がありましたが西側に曲がり、東海地方へ。関東方面から西側に曲がる台風はこれまで見たことがありません。1951年よりの観測では初めてのことだそうです。今は大阪あたりを走っているのではと思います。12号で再び人命が失われないように今度は真剣に祈っています。聖書の中には、「有楽町」に似ている名で「ユーラクロン」という名の台風が登場します。これは、パウロが囚人として護送されるローマ行きの船に乗っている時に出会った台風でした。船は帆をおろして流されるままになります。「幾日ものあいだ、太陽も見えず、暴風は激しく吹きすさぶので、わたしたちの助かる最後の望みのなくなった」(使徒27:20)とルカは書いています。この有様の続きは、後に配信する予定の「みことばの花」をお読み下さい。

磯部豊喜