みことばの花 191221「低く」

みことばの花 191221「低く」

「人はかがめられ、人々は低くせられ、高ぶる者の目は低くされる。」(イザヤ 5:15 口語訳)

人は高ぶる人よりも、なぜか自らを低くする人に魅力を感じる。
しかし自分はというと低くなることよりも高くなることを求める。
自分はこんなものじゃない、もっと評価されてしかるべきだ…と思ったりはしないだろうか。
今年もクリスマスの季節がやって来ました。
クリスマスとは何か。それは高いところの神が何と低い位置に立たれた出来事なのです。
神が人になった、このあり得ない出来事がクリスマス。
この神の心を、私の心に刻みたいものです。
今日は第七日安息日、千葉教会ではクリスマス音楽礼拝(11:00)、午後はファミリークリスマス(13:30)、
そして明日はクリスマスコンサート(14:00)と続く。
神が人となられたクリスマスの意義を瞑想する時を共に過ごしたいと思います。

磯部豊喜

みことばの花 191220「治癒」

みことばの花 191220「治癒」

「その時モーセは主に呼ばわって言った、『ああ、神よ、どうぞ彼女をいやしてください』。」(民数記 12:13 口語訳)

今年2月、白血病告白と共に「私は、神様は乗り越えられない試練は与えない、
自分に乗り越えられない壁はないと思っています」と語り、
闘病生活に入られた日本水泳界の星、池江璃花子選手が退院されたとの嬉しい報告を聞きました。
10か月前、池江選手のことを聞き、私は上記の聖句のような祈りを捧げました。
主は多くの方々の祈りや池江選手自身の信仰告白も受け止めてくださったに違いない。
主の御心がそこにあれば事はなる。今日も主の恵みがありますように。

みことばの花 191219「すべての人の息は」

みことばの花 191219「すべての人の息は」

「すべての生き物の命、/およびすべての人の息は彼の手のうちにある。」(ヨブ 12:10 口語訳)

今日を数にいれ今年もあとわずか13日。
今年も多くの日々が過ぎ去っていきました。
教会ではこの時期、クリスマス(キリストの誕生)を意識し、クリスマスに関わる集会が続きます。
ところで2019年が始まる時、そのキャンバスは白紙。
いろいろな出会いがあり、別れがあるとは想像も出来ませんでした。
年が明けて12日目に私の母が「しばらくの眠り」につきました。
また多くの大切な方々を亡くしました。
人生初のライブをしたり、強い台風の直撃を受けたり…予期せぬことがいっぱいありました。
これらを考えると「すべての人の息は彼の手のうちにある」とあるみ言葉が身に染みます。
自分で生きているのではない、ということを幾度も見つめさせられます。
今日も主の守りがありますように。

磯部豊喜

みことばの花 191218「臨終の前に」

みことばの花 191218「臨終の前に」

「信仰によって、ヤコブは死のまぎわに、ヨセフの子らをひとりびとり祝福し、そしてそのつえのかしらによりかかって礼拝した。」
(ヘブル11:21 口語訳)

最近、わたしが関わりを持っている人の中に「人生の最期の日」を意識して、病床生活を送っている方がいます。
この方が「自分の人生の最期にあたって出来ることは何か?」と質問されます。
「一緒に考えましょう!」と答えることしか出来ません。
というのは私にはそのような切羽詰まりがないからです(本当は、人はだれも明日のことは誇れないのですが…)。
さて、上記はそのように問われる人に対する聖書のヒントの一つかも知れません。
「ヤコブは死のまぎわに、ヨセフの子らをひとりびとり祝福し…」
「ヨセフの子ら」とはヤコブにとって孫たちのことですが、これから人生を送る若者たち、これからの人生を送る者たちを祝福した、
そういう選択も、良き終活(人生の終わりのための活動)かと思います。

磯部豊喜

みことばの花 191217「祝福②」 

みことばの花 191217「祝福②」  *は筆者の補足。

「悪をもって悪に報いず、悪口をもって悪口に報いず、かえって、祝福をもって報いなさい。
あなたがたが召されたのは、祝福を受け継ぐためなのである。(Ⅰペテロ 3:9 口語訳)

上記は「祝福」という言葉が聖書に登場する最後の箇所です。
「祝福」とは①前途の幸福を祈り、いわうこと、②キリスト教で、神から賜る幸福、と岩波国語辞典にあります。
悪には悪をもって、悪口には悪口でお返ししたくなる…これが生来の人の思いなのかも知れません。
ですが聖書は違います。「かえって、祝福をもって報いなさい」と教える。
自分を不幸に陥れる者をさえ、その相手の幸福を願うのだと教える。
これは感情的に生きる人にはできない芸当でしょう。
ここに必要なのは意志だと思います。
そういう生き方をすることに決めたという強い決心がなくては難しい。
意志は選択の力。
この意志を貫く時、「(*神からの)祝福を受け継ぐ」という約束があることを覚えていたいものです。

磯部豊喜

みことばの花 191216「祝福①」

みことばの花 191216「祝福①」

「神はこれらを祝福して言われた、『生めよ、ふえよ、海の水に満ちよ、また鳥は地にふえよ』。」(創世記 1:22 口語訳)

昨日「口を閉ざす」ことについて触れましたが、口がついている限り、語ることが人には許されています。
問題は「何を語るか」でしょう。
「人を呪う言葉」などはもっての他ですが、どんな言葉を発したらよいのか…と瞑想しました。
その時に上記の聖句が頭に浮かびました。
これは「祝福」という単語が最初に聖書に出てくる箇所。「祝福」の言葉は、神様が大好きな言葉に違いない。
人を引き下げたり、人を傷つける言葉がこの唇からもれないようにしたい。
むしろ「祝福を語る」者になりたいものです。
「憎しみのあるところには愛を、非道のあるところにはゆるしを、疑いのあるところには信仰を、暗闇のあるところには光を、悲しみのあるところには喜びを…」はアシジの聖フランシスの言葉。
これに「呪いのあるところには祝福を…」を加えたいと思うのです。

磯部豊喜

みことばの花 191215「くちびるを閉じる」

みことばの花 191215「くちびるを閉じる」

「愚かな者も黙っているときは、知恵ある者と思われ、そのくちびるを閉じている時は、さとき者と思われる。」
(箴言17:28 口語訳)

人が一番墓穴を掘る時というのは、どういうときでしょうか。
おそらくそれは「しゃべりすぎる」ときだと思います。
「口がすべって」大臣を失職する人もいます。
人生のトラブルの多くは「言葉のやりとり」からくるようにも思われます。
さて、上記の聖句は実に興味深い言葉です。
「愚かな者も黙っているときは…」とあります。確かに語り始めると「中身のなさ」を披露してしまうことがあります。
そういう失敗をしないためにも「沈黙は金」でしょう。
ですが「知恵ある者と思われる」ために、全員が「沈黙厳守」をしたら物事は進まない。
まずは「しゃべりすぎない」を心掛けたい。

磯部豊喜

みことばの花 191214「実践の難しさ」

みことばの花 191214「実践の難しさ」

「あなたがたは、きっと『医者よ、自分自身をいやせ』ということわざを引いて、…」(ルカ 4:23 口語訳) 

牧師は因果な商売だと思うことがあります。
なぜかというと人に教えることが多い。
人に教えるということは、自分自身にも教えなくてはならないのです。
これは牧師にではありませんがこんな一文を見ました。
「たばこや酒を飲んで心身も心も破壊した人が大勢医者の世話になりにくる。
自分の責任に忠実である医者は、こうした患者にその苦しみの原因をしめさなければならない。
しかし、もし医者自身が、たばこや酒を飲んでいたら、その言葉にどれだけの価値があるだろう。…」
(ミニストリーオブヒーリングp104)
言うことと行うことが一致することは大いなる目標。
今日は第七日安息日、実践の難しさを覚えつつも、牧師の働き(説教)をする者がここにいます。

磯部豊喜

みことばの花 191213「親切」 

みことばの花 191213「親切」 

「彼女は地に伏して拝し、彼に言った、『どうしてあなたは、わたしのような外国人を顧みて、親切にしてくださるのですか』。」
(ルツ 2:10 口語訳) *筆者の補足:彼女(ルツ)、彼(ボアズ)

今私はユニークな讃美歌のCD制作に向けて走っています。
その中で曲の使用許可を得るためにいろいろな方々の助けと親切に触れることがあります。
一度もお目にかかったことがないのに、何の益もないのに、「親切」を注いでくださる方に接して感謝でいっぱいです。
上記の聖句にも「親切」という言葉があります。
モアブ生まれのルツは外国人と結婚しその夫と死別した後、姑のナオミについて行き、
ナオミの国(ユダヤ)での不安な生活を始めました。
ところでそこにボアズという農場主がおり、この人は親戚のナオミと共にいるルツに親切を施します。
「親切」という言葉は響の良い単語です。
小さな「親切」であっても、暗い世の中に光明を灯す力があるように思います。

磯部豊喜

みことばの花 191201「パンを水の上に」

みことばの花 191201「パンを水の上に」

「あなたのパンを水の上に投げよ、多くの日の後、あなたはそれを得るからである。」(伝道 11:1 口語訳)

リチウムイオン電池の開発によってノーベル化学賞を受賞された吉野彰さん(71)の小学生時代の恩師、
津田喜恵(83=旧姓「内藤喜恵」)さんのことを知りました。
担任の内藤先生から「ロウソクの科学」という本を薦められたことが「自分の好奇心をくすぐっていただき、
ノーベル賞につながった」とのこと。
喜恵先生は「ローソクの科学」を薦めたことは覚えていないそうですが「吉野さんご本人の資質と能力をもって勉強されたのでこの結果につながったと思います」といわれる。
上記の御言葉によれば「ローソクの科学」という一冊のパンが成長したということなのでしょう。
人に良いパンをまく者になれたら素晴らしいですね。
今日も主の恵みがありますように。

磯部豊喜