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みことばの花 200108「私の自分史①…私は何者?」

みことばの花 200108「私の自分史①…私は何者?」

「人は何者なので、これをみ心にとめられるのですか、人の子は何者なので、これを顧みられるのですか。」(詩篇 8:4 口語訳)

私は牧師になるまで、ユニークな人生を歩いてきました。
まず今日は、私という人間の育った背景をご紹介したいと思います。
私の生まれは葛飾柴又、姓は車、名は寅次郎ではありませんが、生まれは山口県下関、姓は泉、名は豊喜でありました。
しかし「泉」という姓を名乗って生きて来たのは、わずか6年間。
小学校1年生の時に養子縁組によって「磯部」と名乗るようになりました。
どうしてこういうことに…。
ところで「私は何者?」なのか。
大人に成長するにつれ、このような問いかけをしながら生きて来たような気がします。
しかしこれは私ばかりではないと思います。
上記の聖句の「人」や「人の子」を私と置き換えて読んでみてはどうでしょうか。
「私は何者なので、これをみ心にとめられるのですか…」と。
神のみ心にとめられない人は一人もいないのです。

磯部豊喜

みことばの花 200107「このようなことは」

みことばの花 200107「このようなことは」

「…このようなことは昔からあったことがなく、後の代々の年にも再び起ることがないであろう。」(ヨエル 2:2 口語訳)

一昨日(1月5日)のこと。

私は先に1月2日に起きた出来事(早朝に妻が亡くなり、
その亡き妻の写真を見て淋しさと悲しみのうちに後を追うようにその夫も夕方に心臓が停止して亡くなった)を受け、
そのご家族のご意向によりこの家族との関りがあった私が、送り人の一員としての役割を担うことになりました。
式は火葬式のみでしたが、母がクリスチャンでしたので司式をさせていただきました。
夫婦の棺(二体)を前にして、司式をするのは初めての体験です。
事故とかで同時に亡くなったのではないのです。
私自身にとってはまさに上記の聖句のような経験です。「このようなことは」二度とないと思います。
昨年の暮れは、同一日に葬儀と結婚式の司式をしたり、「このようなことは」二度とないであろう体験をさせられています。
本当に私たちは「明日のことも分からぬ身」であることを実感します。

磯部豊喜

みことばの花 200106「誕生日」

みことばの花 200106「誕生日」

「生るるに時があり、死ぬるに時があり、植えるに時があり、植えたものを抜くに時があり、」(伝道の書3:2 口語訳)

昨日、かつて姉だった人(血のつながった姉)から何度か電話が届いていました。
そこで返信しましたら「あなたを産んだ母が亡くなった」との報せでした。
私には二人の母がいます。
一人は育ての母。この母は、昨年の1月12日の朝に、しばらくの眠りにつきました。
そしてもう一人は生みの母。昨日は、この母が亡くなったという報告(幼少時代より、会うことなく人生を終えた)。
私は本日誕生日、66歳を迎えます。
自分の人生とは何か?自分の人生を思い出し、自分史のおさらいをしようかなと思います。
昨年の秋の講演会で「なぜ私は牧師になったのか」という話をしました。
ゆっくりペースで、「みことばの花」にも自分の生まれた日からの小さなドラマをときどき挟んでみたいと思います。

磯部豊喜

みことばの花 200105「悲しむ人々」

みことばの花 200105「悲しむ人々」

悲しむ人々は、幸いである、/その人たちは慰められる。」(マタイ5:4/新共同訳)

年初早々に「○○さんが亡くなりました。
急いで訪問したら、今度はご主人が倒れて目の前で救急車に運ばれてしまいました」という悲しみのメールを受けました。
人が死ぬことは、悲しいことです。
しかしキリストはこのような悲しみを持つ人に、特別な慰めを注いてくださいます。
「喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣きなさい。」(ローマ12:15 口語訳)との聖書の勧めを心にとめて生活したいものです。

磯部豊喜