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みことばの花 200403「主のみこころであれば」

みことばの花 200403「主のみこころであれば」

「むしろ、あなたがたは『主のみこころであれば、わたしは生きながらえもし、あの事この事もしよう』と言うべきである。」(ヤコブ 4:15 口語訳)

私の若い時に、「自分は何になっても良いし、何にならなくても良い」と言った人がいます。
なかなか味のあることをいう人だなと感心したものですが、上記の御言葉は、これに似ています。
「主のみこころであれば、わたしは生きながらえもし、あの事この事もしよう」とありますが、特に前の部分「主のみこころであれば」が良い。
聖書を読むとき「神にゆだねる」という言葉に出会います。
「神にゆだねる」という心の持ち方は、「主のみこころならば」で始まる上記の聖句と深い結びつきがあるように思えてなりません。
とても難しいことですが、「主のみこころであれば、生きるも良し、死ぬるも良し」…そういう心境になれたらと素晴らしいと思います。
今日も主の守りがありますように。

磯部豊喜
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4/4 日 千葉教会ライブ配信 URL を送ります。
安息日学校(SS聖書ガイドの学び)10:00第二期:聖書をいかに解釈するか第一課「聖書の独自性」磯部豊喜
https://youtu.be/fYTefPqDzUs

礼拝12:00「あなたも行って同じように」磯部豊喜
https://youtu.be/XKT6J0eeZik

みことばの花 200402「達し得たところに従って」

みことばの花 200402「達し得たところに従って」

「ただ、わたしたちは、達し得たところに従って進むべきである。」(ピリピ3:16 口語訳)

昨日、新聞のコラムの中に「なりたい自分にならなくても、なった自分で生きたらいい」という言葉がありました。
この言葉の発信者は、漫才コンビ「髭男爵」の山田さんという方ですが、幼い時から「ほめられたい気持ち」が人一倍強かったという。
ですが子育ての際に「ほめられるために行動する子になりかねない」と自戒されたそうです。
人は、「誰かにほめられたい」と思う部分があるでしょう。
ですが「ほめられても、ほめられなくても」背伸びすることなく、淡々と与えられた人生を生きられたらいいと思います。
聖書も「達し得たところに従って進む」ことを勧めています。
目標を持つことも大切ですが、まず自分が自分であるということを大切にして歩みたいものです。
今日も主の恵みがありますように。

磯部豊喜

みことばの花 200401「御国が来ますように」

みことばの花 200401「御国が来ますように」

「御国がきますように。みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。」(マタイ 6:10 口語訳)

毎日、毎日、「新型コロナ」報道のない日はありません。
そのせいか、私の書く「みことばの花」も、「新型コロナ」を抜きに書けなくなってしまっています。
昨日は東京で78人が感染との報告。
かつて天然痘が流行った時代がありました。
568年にエチオピア兵が天然痘によって全滅、1713年にホッテントット族(アフリカにいる部族の一つ)が激減、
1738年チェロキー族(米国オクラホマのインディアン)の人口が半減した…そのような記録があります。
しかし1796年にエドワードジェンナーがワクチンを発明し、1980年にWHOは天然痘の世界根絶宣言を行いました。
新型コロナも同様であって欲しいと願うのです。さて、上記の「御国」とは「死も病もない世界」のこと。
今朝は「御国が来ますように」と祈りたい。
主の守りがありますように!

磯部豊喜
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電話祈りの会のお知らせです。千葉教会では、毎週水曜日午前8:30~9:30に電話参加型の集まりを行うことにしました。参加の方法は、①②の
順で行います。①03—4578—0172(最初にかける時間は有料)、②<コード№>をとコールされたら818-273-1108#(後は終わりまで無料)。流れは、私磯部をはじめとして千葉教会のメンバーが司会をします。現在「ミニストリー・オブ・ヒーリング」という本を読んでいますが、本がなくても大丈夫です。どうぞ一度アクセスしてみてください。本日行う予定です

みことばの花 200331「時を見つめる

みことばの花 200331「時を見つめる」

「生るるに時があり、死ぬるに時があり、植えるに時があり、植えたものを抜くに時があり、」(伝道 3:2 口語訳)

昨日は悲しい報道がなされました。茶の間を笑わせておられた志村けんさんが新型コロナで人生の幕を閉じられたとの報せ。
まだ多くのことをし残しておられた方ですから、きっと無念であったと思います。
ですが志村さんの死は、新型コロナがまだ遠い世界ように思っていた多くの人々の目を開かせ、自分の身に迫る事として受け止め始めた人たちも多くいます。
志村さんのご逝去の報せが、多くの人の命を救うかも知れません。
私は人の命が、いかに、はかないものかを思います。
それゆえに時を見つめる目を開く必要を感じます。
どういうことかといいますと、人が時を導き支配するのではなく、時が人を支配するということ。
生まれる時、死ぬ時…それを人はコントロールできない。
ああ、もっと人生に謙虚になりたいと思うのです。
主の守りが今日もありますように。

磯部豊喜
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電話祈りの会のお知らせです。千葉教会では、毎週水曜日午前8:30~9:30に電話参加型の集まりを行うことにしました。参加の仕方は、①②の
順で行います。①03—4578—0172(最初にかける時間は有料)、②<コード№>をとコールされたら818-273-1108#(跡は終わりまで無料です)流れは、私磯部をはじめとして千葉教会のメンバーが司会をします。現在「ミニストリー・オブ・ヒーリング」という本を読んでいます。どうぞ一度アクセスしてみてください。

みことばの花 200330「生き返り」

みことばの花 200330「生き返り」

「…しかし、このあなたの弟は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから、喜び祝うのはあたりまえである』」。
(ルカ 15:32 口語訳)

「生き返り」という言葉には、心地よい響きがあります。
上記の聖句にある「死んでいたのに生き返り」とあるのはキリストの喜びの御言葉。
「死人が生き返る」という出来事は、実際にイエス・キリストに関わる人々の中で見られました。
しかしキリストの喜びは、この「生き返り」が単に身体の復活を指すことだけではありません。
「夢も希望も失せ果てて、死んだような生き方をしていた人」が「命と愛のあふれる人」として、精神的に再生されて新しくスタートすることです。
人は新しくなれる。
私も新しくなれる、そう信じて今日も主の愛を見つめて歩みたいと願います。
主も守りが今日もありますように。

磯部豊喜