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みことばの花 200408「初めて」

みことばの花 200408「初めて」

「…ふたりは、まる一年、ともどもに教会で集まりをし、大ぜいの人々を教えた。
このアンテオケで初めて、弟子たちがクリスチャンと呼ばれるようになった。」(使徒 11:26 口語訳)

ここ近年、「初めて」の体験が次々と起こっています。
その数があまりにも多い。昨年は台風災害というものを体験し、私の牧師経験の中で初めて教会での礼拝を休止しました。
あれから半年にもならないのに、今度は感染力の強い新型コロナなるものがやってきて、礼拝が初めて連続の休会となっています。
今朝の新聞の見出しは、大きく「緊急事態宣言」とあり、これも初めて。
さて聖書にも「初めて」の出来事がいくつかありますが、上記はまったく正反対の内容での「初めて」。
教会での集まりに大勢の人々を数え、彼らは初めてクリスチャンと命名されたとある。
今は各家庭に向けて礼拝のライブ配信を行っています。
これまで当たり前のことが、当たり前でなくなっています。
もっと当たり前のことを感謝しなくてはと思います。

磯部豊喜

みことばの花 200407「へりくだる者」

みことばの花 200407「へりくだる者」

「へりくだる者を公義に導き、へりくだる者にその道を教えられる。」(詩篇25:9 口語訳)

この聖句は、昨日の聖句の続きです。「主は道を罪びとに教え」の後に続くみ言葉です。
聖書によれば「義人はひとりもいない」(ローマ3:10 口語訳)のですから、
主は「道を罪びと」すなわち「すべての人」に道を教えておられるということになります。
ところがすべての人が「道を選ぶのでは」ありません。
道を選ぶ人もあれば、道を拒否する人もある。
なぜか?選択は各自の分野だからです。
「へりくだる者」になることを選んで、素直に「道を歩むか」あるいは「へりくだることをしない者」として道を拒否するか。
これが最終的に人の運命を決定します。
本日、人の命を守るために非常事態宣言が7つの都府県に発出されます。
「道が示され」ます。しかし強制力はないという。あとは私どもの選びに任せられている。
「へりくだって」命の道を選択をしたいと思います。
主の守りが今日もありますように。

磯部豊喜

みことばの花 200406「主は恵みふかく」

みことばの花 200406「主は恵みふかく」

「主は恵みふかく、かつ正しくいらせられる。それゆえ、主は道を罪びとに教え、」(詩篇 25:8 口語訳 )

「主は恵みふかく」という言葉は、わたしの好きな言葉の一つです。
恵みとは、何も持っていない人に一方的に与えられるものです。
その人の働きがあって与えられるものは恵みでなく、報酬です。
主、すなわち私どもの神は、「恵みふかい」。
命も能力も知恵も知識も、自分の努力で勝ち得たと考えている人が多いかも知れませんが、
これらも元をたどればすべてが主から与えられたものに過ぎません。
さらに「恵みふかい」主は、「主の道を罪びとに教え」とあります。
人が正しく歩み豊かに人生を過ごす道を教えてくださるという。
しかも我ら「罪びと」にその道を教えてくださるという。
正しく完全無欠な「義人」に道を示すのではない。
これこそが恵みの中の恵みだと聖書は教えてくれます。
今日もその主の恵みが注がれますように。

磯部豊喜

みことばの花 200405「努力」

みことばの花 200405「努力」

「…あなたがたのだれにも負担をかけまいと、日夜、労苦し努力して働き続けた。」(Ⅱテサロニケ 3::8 口語訳)

急逝されたタレントの志村けんさんの生き方を知りました。
多くの人に笑いを提供された背後にある努力を知りました。
表舞台の影に、時間をかけてネタをつくる作業。
「志村さんの笑いはとてつもない知識量から生み出されたものなのです」と語られる西条昇(江戸川大教授)さんの言葉は心に染みます。
この並々ならぬ努力という裏舞台の時間があって、華やかな表舞台というわずかな時間がある。
これはあらゆることに言えることだと思います。
「日夜、労苦し努力して」とある、上記のパウロの言葉も同様です。
努力を惜しまない人になりたいと思います。
今日も主の恵みがありますように。

磯部豊喜

みことばの花 200404「成長」

みことばの花 200404「成長」

「まかれると、成長してどんな野菜よりも大きくなり、大きな枝を張り、その陰に空の鳥が宿るほどになる」(マルコ 4:32 口語訳)

新聞の書籍広告に「55歳のハゲた私が76歳でフサフサになった理由」(藤田紘一郎)というのがありました。
一見、一笑してしまいがちなタイトルですが、このタイトル通りであれば、このことで悩む人には福音(よき訪れ)に違いないと思います。
希望というのは、マイナス的なことがプラスに変えられること。
私も説教家の端くれのひとり。牧師としてスタートした頃、聴衆一人の方から「牧師さんの話はさっぱりわかりません」と言われたことがありました。
また昔、元日本テレビのデレクター経験者のOさんからは、「牧師さんを一流の説教家にしてあげましょう」と言われたことがあります。
裏を返せば、「説教下手」ということ。
成長したい、そして、いつの日か「○○才の説教下手の私が○○才で名説教家になった理由」という本を書きたい?
ほど遠い夢ですが…。
ハッピーサバス!

磯部豊喜