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みことばの花 200508「取り決め」
みことばの花 200508「取り決め」
「それから彼らは通る町々で、エルサレムの使徒たちや長老たちの取り決めた事項を守るようにと、人々にそれを渡した。」(使徒 16:4 口語訳)
今、私どもの教会ではクラスター発生予防を意識し、新しい生活様式を導入することを考えています。
教団、地区の牧師会もWeb会議なるものを導入してきています。
面倒な時代がついにやってきた…と、IT関係には精通していない古風な私は、この「みことばの花」を配信するのが精一杯。
ですが今、世界は自粛生活に疲れ、新型コロナによる感染が完全に収束していない状況の中で社会生活を再開する方向に舵を切ろうとしています。
三密を保持しつつ、生活様式を変えようとしています。
千葉教会もこれまで試みたことのないライブ配信を行うようになりました。
今、新しい生活様式を取り入れる取り決めが必要です。
「主よ知恵を与えてください」と祈りつつ前を向いて歩きたいと思うのです。
主の守りが今日もありますように。
磯部豊喜
みことばの花 200507「断食祈祷」
みことばの花 200507「断食祈祷」
「そこでヨシャパテは恐れ、主に顔を向けて助けを求め、ユダ全国に断食をふれさせた。」(歴代下 20:3 口語訳)
今日は私どもの教団(全世界的に)をあげて、上記にあるユダのヨシャパテ王のように断食祈祷が勧められることになりました。
断食の時間は午前7時から午後7時までの12時間です。
空腹に挑戦するのが断食。しかし大切なのは、単に断食することではありません。
今回の断食の目的は、新型コロナウイルス感染の終息を願う祈りをささげること。
休会の続く教会もそうですが、社会全体は私どもの祈りを必要としています。
長く続く緊急事態宣言のために休業が続き不安の中にいる方々が大勢います。
医者、看護師、国や県のリーダーのために祈りたい。
今日はこの一点に集中し、体力に無理のない方はどうぞこの祈りにご参加くださいますように。
磯部豊喜
みことばの花 200506「ゆるしとさばき」
みことばの花 200506「ゆるしとさばき」
「あなたはかつて、『主は怒ることおそく、いつくしみに富み、罪ととがをゆるす者、しかし、罰すべき者は、決してゆるさず、父の罪を子に報いて、三、四代に及ぼす者である』と言われました。」(民数記 14:18 )口語訳
上記は、天の神様の御品性を教えるものです。天の神は「怒ることおそく、いつくしみに富み、罪とがをゆるす者」とあります。これがその御品性の中心です。
ところが一方で「罰すべき者は、決してゆるさず、父の罪を子に報い」ともあります。
これは人の罪を神がどのように扱われるのかを教えています。
神は人の罪をゆるされる哀れみ深いお方。ですがいつまでも罪や悪を野放しにはしないお方でもあるという。
「悪人世にはばかる」という言葉がありますが、悪人がすぐに滅ぼされないのは神の忍耐のあらわれでしょう。
しかし神の愛と忍耐を踏みにじり、罪を犯し続ける人には、厳粛なさばきの日がある。
忍耐深い神を心に留め、日々罪を悔い改めて過ごしたい。
今日も主の恵みがありますように。
磯部豊喜
みことばの花 200505「裁くこと」
みことばの花 200505「裁くこと」
「だから、ああ、すべて人をさばく者よ。あなたには弁解の余地がない。あなたは、他人をさばくことによって、自分自身を罪に定めている。
さばくあなたも、同じことを行っているからである。」(ローマ 2:1 口語訳)
「裁く」という言葉は、否定的に取られる言葉でしょうか。
この世界に正しい裁きがなされなくては、希望がありません。
ところが自分を裁判官に置いてしまうことには注意しなくてはなりません。
人を罪に定める権威は私にはありません。正しい裁きは難しいからです。
上記のみ言葉は、他人を裁くことの危険を教えてくれます。
まず裁くことよりも可能な限りゆるすことを優先したい。
磯部豊喜
みことばの花 200504「分かれる時」
みことばの花 200504「分かれる時」
「そして彼らは永遠の刑罰を受け、正しい者は永遠の生命に入るであろう」。(マタイ25:46 口語訳)
先日の新聞に二つの写真が載っていました。
それは大勢の賑わいを見せている海と人のまったくいない同じ海の写真。
この写真を見て、トワエモアが歌った「誰もいない海」の歌詞を思い出しました。
その歌詞の冒頭の言葉は、1番から3番すべてに「今はもう秋 誰もいない海…」とあるあの曲です。
「今はもう秋」ではなく「今はもう春」。春のゴールデンウィークに誰もいない海…。
このような事態は、果たして誰が想像したでしょう。
ところで聖書の中に「誰もいない海」ならぬ「誰もいない地球」の時期があるという。
それは千年期(英語では「ミレニアム」)と呼ばれる期間です。
キリストの再臨が来て、救われる人は天の都に上り、一方で滅びる人もある。
聖書の記す人生の分かれ目は何か?キリストを友とし、愛に生きるか否か(マタイ25章31~46参照口語訳)。
果たして私はどちらに立つのでしょう。
今日も主の守りがありますように。
磯部豊喜