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みことばの花 200518「ピンチはチャンス」
みことばの花 200518「ピンチはチャンス」
「それは、あなたがたがあかしをする機会となるであろう。」(ルカ 21:13 口語訳)
「機会」という言葉は、善をなす時にも悪をなす時にも使用される言葉です。
マタイ26:16には「その時から、ユダはイエスを引きわたそうと、機会をねらっていた」とありますが、
ユダは彼を愛してやまなかった主イエスを裏切る「機会をねらっていた」ことを記録しています。
しかし上記のルカ21:13は違います。キリストを信じる者たちが迫害を受ける際に、それが「あかしをする機会となる」と語っているのです。
迫害はキリスト者のピンチの時。しかしこれが逆に「あかしとする機会となる」と言う。
私どもの人生に訪れる危機(ピンチ)が「神の栄光をあかしする」機会(チャンス)になる。
そう考えると私の人生を包むピンチも決して悪くはないと思います。
確かに「ピンチはチャンス」なのです。
今日も主の守りがありますように。
磯部豊喜
みことばの花 200517「万事についての教え」
みことばの花 200517「万事についての教え」
「わたしは、あなたがたもこのように働いて、弱い者を助けなければならないこと、
また『受けるよりは与える方が、さいわいである』と言われた主イエスの言葉を記憶しているべきことを、万事について教え示したのである」。
(使徒 20:35口語訳 )
孤独にならない秘訣。それは誰かを愛することです。寂しい時は、誰かに愛されたいと思ってよい。
しかしそこから誰かを愛する方向へ舵を切ることが出来ればもっと素晴らしい。
上記の御言葉には「受けるよりは与える方が、さいわいである」との主の教えの説明に加え、「万事について教え示した」という解説があります。
主の教えは、必ずしも物を与えることを言っているのではない。むしろ心を与えることを言うのでしょう。
人の益になること、人のために生きること。この選択をする限り人は決して孤独にはならない。
イエス・キリストは時折一人ボッチになったが、決して孤独ではなかった。彼には愛を注ぐ人がたくさんあったからです。
今日も主に愛されていることを受け止め、今日会う人に愛を注いで行きたいものです。
磯部豊喜
みことばの花 200516「何によって、何のために」
みことばの花 200516「何によって、何のために」
「すべてわが名をもってとなえられる者をこさせよ。わたしは彼らをわが栄光のために創造し、これを造り、これを仕立てた。(イザヤ 43:7 口語訳)
「人は何によって生きるか」。これは今日私がライブ配信で語る予定の説教題。
人生とは、行く先を後で考える見切り発車のようなものだと知ったのは今から45年前のことです。
自分で選んだのでもないのに、当初はわたしの知り得ぬ夫婦の下に生まれてこの世のメンバーに加えられていた。
成長するにつれ、「人は何のために生きるのか」は私の絶えざる質問となった。
創造主なる神を知るまで、私の生きる意味、目的は分からなかった。
しかし今は上記の中にある「わが栄光のために」が、私の心の鞘にしっかりと収まっているのです。
磯部豊喜
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本日5月16日(土)のライブ配信URLです。 どうぞ開いてみてください。
※時間外でもSDA千葉教会ホームページで開くことも出来ます。
安息日学校(聖書の学び) 10:00 聖書をいかに解釈するか ⑦「言語、聖句、文脈」磯部豊喜
https://youtu.be/eyw7cLedHIE
礼拝説教URL 11:00 「人は何によって生きるか」 磯部豊喜
https://youtu.be/-rWyWOUAnOo
みことばの花 200515「コロナ」
みことばの花 200515「コロナ」
「今はこの世がさばかれる時である。今こそこの世の君は追い出されるであろう。」(ヨハネ 12:31 口語訳)
「しばらくは 離れて暮らす コとロとナ つぎ逢ふ時は 君といふ字に」。
タナカサダユキさんという人が自身のフェイスブックに書き、ネット上で話題になっているという短歌です。
病院の待合室で新型コロナウイルスに関連する貼り紙を眺めているうちに、ハッと気づいた。
「コ」「ロ」「ナ」は組み合わせると「君」が出来上がると…(朝日新聞5.11より)。
私は上記の聖句を思い出しました。
「この世の君(=コロナは悪魔の作品)は追い出される」。そしてこれに変わり「天の大君」なるイエス・キリストが、座を占める。
そう、少なくとも私の心の座には「この世の君(=悪魔)」ではなく、「イエスと呼ばれる君」を迎えたい。
「コロナ」の意味は「王冠」。
悪の王冠か、善の王冠かを選ぶのは、私の心であろうと思うのです。
主の守りが今日もありますように。
磯部豊喜
みことばの花 200514「悩みの時②」
みことばの花 200514「悩みの時②」
「しかし、悩みの時、彼らがイスラエルの神、主に立ち返り、彼を求めたので彼に会った。」(歴代志下 15:4 口語訳)
昨日書かせて頂いた池江璃花子さんの闘病の放送の最後の場面で彼女が語っていた言葉が良い。
「自分がアスリートとして泳ぐ姿を見て、同じように病に苦しむ人の力になれれば嬉しい」といった内容でした。
この病気になって池江さんは素敵な大人(アスリート)に成長されるのだろうなと思いました。
一流アスリートであったゆえ高成績を自他ともに期待される宿命なのかも知れませんが、何よりも彼女が泳ぐ姿は多くの人の励みになるに違いない。
さて「悩みの時」は、人生の学習をする機会だと思います。
「あの悩みがあって、今がある」と言う時が必ず来ます。
上記の聖句は、「悩みの時」が主に立ち返る機会になっているという。
「あの悩みがあって、今私は主に立ち返ることが出来た」という人が多くいます。
私もその一人です。
「今、悩みの中に置かれている人が、主の御顔を仰ぐ日が来ますように…」と祈りたい。
磯部豊喜