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みことばの花 200718「自分の郷里では」
みことばの花 200718「自分の郷里では」
「それから言われた、「よく言っておく。預言者は、自分の郷里では歓迎されないものである。」(ルカ 4:24 口語訳)
今朝は、私がクリスチャンとして導かれ育てられた木更津教会へ行きます。
出身教会なのですが、「行きづらいなあ~」という思う時期がありました。
それは若気の至り、ご迷惑をかけた数々が私の頭に浮かぶからです。
そんな私ですが、上記の聖句を勝手に自分に重ねて読んでいました(自分の貧しい過去を棚にあげて…)。
私の場合、フウテンの寅さんが葛飾柴又へ帰郷する心境(過去に自分自身が問題を起こしつつも帰郷する姿)に似ています。
キリストは、人の悪しき過去を常に良き将来に変えてくださる。
今は感謝の心で行けるようになりました。
ハッピーサバス!
※本日、千葉教会では、マインドコントロールされて人生をさ迷っている若者を救済し、社会復帰へと導く働きに生涯を投じておられる和賀眞也先生(名誉牧師)をお招きしライブ配信を行います。
http://sda-chiba.org/(SDA千葉教会ホームページ)または、下記のサイトからご視聴することが出来ます。
磯部豊喜
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安息日学校(聖書の学び)URL 7/18(土) 10:00 (神のためにたくさんの友人をつくる) 第3課「イエスの目で人々を見る」
https://youtu.be/appLDPWx714
礼拝説教URL 7/18(土) 11:00 説教題「どんな人か見たい」 和賀眞也
https://youtu.be/2xJ6G00eaB8
みことばの花 200717「喜びと楽しみ」
みことばの花 200717「喜びと楽しみ」
「わたしはみ言葉を与えられて、それを食べました。み言葉は、わたしに喜びとなり、心の楽しみとなりました。
万軍の神、主よ、わたしは、あなたの名をもって/となえられている者です。」(エレミヤ 15:16 口語訳)
聖書には「喜びと楽しみ」はしばしばペアで紹介されています。
この箇所のリビングバイブル訳は味があります。
「神様のおことばは…ひもじい私のたましいにとっての食べ物です。私の重い心に喜びをもたらし、有頂天にさせてくれます」。
「心が渇き、喜びや楽しみがなくなる時、わたしのように御言葉を食べてみてごらん」と、著者エレミヤは証しします。
辛い心境のとき、「聖書なんか読めるか・・・」という思いは、敵の誘惑。こういう時こそ、聖書に触れることを選択するのです。
力が与えられます。勇気が与えられます。神の愛を聖書によってしっかりと確認することが出来ます。
今日も御言葉が、私を有頂天にしてくれるように。
磯部豊喜
みことばの花 200716「命を懸ける価値」
みことばの花 200716「命を懸ける価値」
「…ほかの者は、更にまさったいのちによみがえるために、拷問の苦しみに甘んじ、放免されることを願わなかった。
なおほかの者たちは、あざけられ、むち打たれ、しばり上げられ、投獄されるほどのめに会った。」(ヘブル 11:35,36 口語訳)
1952年に制作された「クオ・ヴァディス(主よ、何処へ)」という古い映画。これを見る機会がありました。
歴史に残る「皇帝ネロによるローマの大火」とか「クリスチャンの迫害」とかが描かれている映画です。
この映画を視て、私の高校生時代(宗教に否定的な頃)にクリスチャンと呼ばれる人々が命を落とすような目にあっても信仰を捨てない姿に素朴な疑問を持ったことや、上記の聖句などを思い出しました。
「命を懸ける価値」がキリスト教にはある…と知ったのは21歳の時でした。
迫害は避けたい事ですが、戦時中の治安維持法の下に受けた迫害をアドベンチストの人々が越えてきた歴史もあり、
「命を懸ける価値」…を改めてと見つめていけたらと考えるのです。
主の恵みが今日もありますように。
磯部豊喜
みことばの花 200715「友よ」
みことばの花 200715「友よ」
「しかし、イエスは彼に言われた、『友よ、なんのためにきたのか』。このとき、人々は進み寄って、イエスに手をかけてつかまえた。」(マタイ 26:50 口語訳)
上記の聖句の「友よ」とキリストが語りかけられた人物が誰であるかご存知でしょうか。
それはキリストを銀貨30枚で裏切った弟子、「イスカリオテのユダ」です。
ユダは大胆にも、キリストの敵に対して「わたしの接吻する者が、その人だ。その人をつかまえろ」と合図をしており、それを実行しキリストを裏切りました。
キリストは、そのユダの裏切りを予知していました。
にもかかわらず彼に対して「売り切り者よ!」とか「敵に買収されおって!」などの小事を言わずに「友よ」とお語りになられたのです。
とても私にはできないことです。しかしキリストは、これまで友と呼んだユダをここでも「友よ」と呼び続けた。
このキリストの愛と懐の深さに私は圧倒されます。ああ、イエス様は何というお方なのでしょう。
今日もこの主イエスの愛と懐の深さに甘える自分がいます。
磯部豊喜
みことばの花 200714「キリストにまさる良き友はなし」
みことばの花 200714「キリストにまさる良き友はなし」
「あなたがたにわたしが命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。」(ヨハネ 15:14 口語訳)
今週は「友」という言葉の感慨に耽っています。そこで思い出した讃美歌。心をホロリとさせる歌詞です。
「①世には良き友も、数あれど、キリストにまさる良き友はなし、罪びとのかしら我さえも、友と呼びたもう、愛の深さよ!
(※繰り返し→)ああ、わがため、命をも捨てましし友は、主なる君のみ。
②世の中の友は、冷えてゆき、温かき言葉、いつか消ゆとも、変わらぬ愛もて、主は我に、喜びを与え、常に育む、(※…)、
③試みの時も、病む日にも、死ぬる間際にも、そばにいまして、力ある腕を我に伸べ、優しくのたもう、いとやすかれと、(※…)」。
これはフォスター作曲の「主人冷たい土の中に」の讃美歌バージョンです。
これを賛美すると胸が熱くなります。
未だに欠点だらけの者ですが、キリストから友と呼んで頂きたく願うのです。
磯部豊喜