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みことばの花 181217「幕引き」

みことばの花181217「幕引き」

「しかし、おまえはヨシュアに命じ、彼を励まし、彼を強くせよ。
彼はこの民に先立って渡って行き、彼らにおまえの見る地を継がせるであろう。」(申命記 3:28)

先週、私は夫婦で教団本部へ行き、これから先の生活の仕方についての講習を受けました。
なぜかと言いますと、来年の3月に定年を迎えるからです。
定年後の生活のアドバイスを受けつつ、私の頭を巡ったのは、定年後の身の振り方です。
牧師の召命を受け38年。どのように仕事の幕引きをするのが一番良いのか…と毎日考えています。
さて上記のみことばは、イスラエル民族のリーダーとして40年もの間、身を捧げたモーセに対して、
神様がお語りになられたメッセージです。
神様はすでにモーセの後継者を選んでおられました。
モーセに許されなかったことは、目標の地カナンへの移住でした。
モーセの役割はカナンの入口まで。カナンの地を踏むときのリーダーは、後継者ヨシュアでした。
上記の言葉は、モーセが普通の人であればガッカリさせられる話です。
ですが神はモーセの幕引きの姿を示されます。「おまえはヨシュアに命じ、彼を励まし、彼を強くせよ」。
これが、モーセに託された最後の使命。私もこれを参考にし、
2年後には、後継者の方に気持ちよくバトンを渡したいと願っています。

磯部豊喜

みことばの花 181216「ひとりにしない」

みことばの花181216「ひとりにしない」
                         
「たとい父母がわたしを捨てても、主がわたしを迎えられるでしょう。」(詩篇27:10)

故桑名正博(ミュージシャン)の息子だと名乗り出て日本全国を旅行している男性が話題になっています。
自称「桑名乃羅(くわなのら=自分は野良猫、野良犬のようだから乃羅と命名したという)。
無銭で全国旅行をし、行先で「僕は、桑名正博の長男です」といい桑名正博氏のヒット曲を歌う。
そしてお金をカンパして頂くという生活。桑名正博氏には、正式な長男がいて、この方は困っているようです。
ですがこの話題の桑名乃羅さん、ある人から「あなたの父親は桑名正博だから、もうその名前を語ってもいい」
と勧められて、息子を語り始めたという。
彼は母子家庭で育ったという。その母も故人となり彼には身内は一人もいない。いわゆる天涯孤独の身だという。
彼の語ることがもし本当であれば、彼の母は桑名正博氏のセカンドレディということになります。
私も昔、「自分は天涯孤独だ」と名乗って近づいて来た人を、自活に向けてサポートさせて頂いたことがありましたが、
やがて母が存名だということを知り実家に帰したことがありました。
「ひとりぽっち」ということを聞くと胸が痛くなります。ですが天の神様は、「天涯孤独」な人の本当の父です。
この父を見上げると、「ひとりぽっち」の人は、この世にはいない。あなたは決して決して一人ではない!
・・・・・・・
磯部豊喜

みことばの花 181215「天国の希望」

みことばの花181215「天国の希望」

「どうか、望みの神が、信仰から来るあらゆる喜びと平安とを、あなたがたに満たし、
聖霊の力によって、あなたがたを、望みにあふれさせて下さるように。」(ローマ15:13) 

クリスチャンには希望があります。
そしてその希望の一つは、人生の終わりが来ても、第二の人生のステップを歩める(復活して天国で住める)という希望です。
ですがこれがクリスチャンの究極の希望なのかと考えていたとき、「天国の希望という言葉が強調しているのは、
まだあなたが地上にとどまっている間でさえ享受できる恵みのことだ。
この希望は、逆境の闇のときでも、あなたに霊的な活力を与え続けてくれる。
あなたの道を明るく照らし、あなたのわたし(神)への意識を高めてくれる」
(サラ・ヤング著「わたしは決してあなたをひとりにしない」p365)という一文に出会いました。
さて、今日は第七日安息日。教会へ集まり、神様の恵みというふところの中へ飛び込んでみませんか。
第七日安息日は、希望の世界である「天国」において永久に守られる日であると聖書にあります。
今は不十分かもしれませんが、天国生活のひとかけらでも地上で味わうことができると私は信じています。
「人々がわたしにむかって『われらは主の家に行こう』/と言ったとき、わたしは喜んだ」(詩篇 122:1)。

磯部豊喜

みことばの花 181214「心」

みことばの花181214「心」

「主はわが力、わが盾。わたしの心は主に寄り頼む。
わたしは助けを得たので、わたしの心は大いに喜び、歌をもって主をほめたたえる。」(詩篇 28:7)

寺田心(こころ)という10才の男の子をご存知でしょうか。私は昨日この男の子のことを知りました。
イタリヤで開催されたミラノ国際映画祭2018において「最優秀主演男優賞」に選ばれた少年です。
出演した映画は「ばあばはだいじょうぶ」での子役。この賞の受賞者としては、史上最年少だそうです。
映画監督は寺田心君のことを天才だと評価しています。
当の本人は「びっくりした」と答え、「ずっと俳優をするのですか」との質問に、「僕は動物も好きだから、
そういう仕事もしてみたい。
ドイツは動物の殺処分はゼロだからそういう仕組みを学びたい」などと答えていました。
受け答えがしっかりしており、語る内容もその名のように「心(こころ)」根(ね)が良い。
さて私の心は、今どんな思いで満たされているでしょうか。
落ち込む心、マイナスの心に自分自身を引き下げてはいまいか。
さて、上記の詩篇記者の「心」は「わたしの心は主に寄り頼む」「わたしの心は大いに喜び」とうたう。
主に寄り頼む…これこそが神を知る人の心の姿勢。これが人生の逆境を乗り越える力になるでしょう。
私の心は、マイナス解釈をしていないか、それともプラスの解釈をするのか、それも心模様でしょう。

磯部豊喜

みことばの花 181213「やさしい言葉」

みことばの花181213「やさしい言葉」

「いつも、塩で味つけられた、やさしい言葉を使いなさい。
そうすれば、ひとりびとりに対してどう答えるべきか、わかるであろう。」(コロサイ 4:6)

ここに「やさしい言葉」というのが書かれています。「やさしい言葉」とはどういうものか。
リビングバイブルでは、「あなたがたの会話が、良識的であり、善意にあふれるよう心がけなさい。
そうすれば、相手の一人一人に適切な答えができます」と訳されています。
「会話が…善意にあふれるように」と書かれています。「善意」は天からの授けものです。
「しかし、御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、」(ガラテヤ5:22)と書かれています。
善意の反対は悪意。「あの人はこういう人だ」と引き下すような解釈をして語る言葉が悪意。
「いいえ、そうではない。こういう良い所もあるよ」と解釈するのが善意。
果たして私はどちらの言葉が多いだろうか、前者もあるな~と内省します。
特に相手から受けた仕打ちのような態度に対して善意で受け止める心は実に難しいですが、
これを育てる訓練が必要な気がします。
相手の良い所を見つめる目を持ちたい。人には必ず良い面がある。どんな悪人にも100%悪に染まっている人はいない。
1%でも良いところがあると信じて関わろうとするならば「善意」が生まれるでしょう。
そして「善意にあふれた」「やさしい言葉」を語れる人になりたいものです。

磯部豊喜