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みことばの花 190910「つながった道」
みことばの花 190910「つながった道」
「イエスは彼に言われた、
『わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。』」
(ヨハネ 14:6 口語訳)
昨日、台風のためにJRは難しいと考えた私は高速バス乗り場へ。
ところが「今日の高速バスは運休です」。
総武線へ移動。 「電車は千葉行きです。ですが台風の影響のため千葉は停電のために幕張までの往復運転を行っています」。
JR秋葉原での駅内放送でした。
ではいかにすれば東京から私の住む千葉教会に行けるのか。
その時、「京葉線」が頭の中に。東京から蘇我へ行く電車は走っていました。
蘇我からどうするかは主イエス様に任せよう。
すると途中、「千葉みなと」駅のコール、ひょっとすると…飛び降りました。
千葉市の中央を走る「モノレール」。幸いに動いていました。
千葉教会に最も近い桜木駅まで行き、無事教会に到着。
この体験を通して、天国への道をつなぐ一つの道を思いました。
その道は「モノレール」ならぬ、「イエス・キリスト」です。
磯部豊喜
みことばの花 190909「神の子が来られた目的」
みことばの花 190909「神の子が来られた目的」
「罪を犯す者は、悪魔から出た者である。悪魔は初めから罪を犯しているからである。
神の子が現れたのは、悪魔のわざを滅ぼしてしまうためである。」(Ⅰヨハネ 3:1 口語訳)
さて私ども人間が、知らずして犯してしまっている罪の種まきをした存在があることを聖書は語っています。
それは悪魔(サタン)です。
これがまたピント来ない話です。
ただ「罪」を考えるとき、少しばかり逃れ道があるのは、人間は自分から積極的に罪を犯したのではないということです。
悪魔という誘惑者があって、罪を犯すように誘惑されたということです。
そしてこの誘惑は、今の時代にもあります。
「わかっちゃいるけれど、やめられない」のスーダラ節の歌詞にあるように、罪への誘惑にすぐに負けてします。
これが罪びとの姿です。
神の子キリストが人間になって来られたのは、この「悪魔のわざ(=罪と死との法則)を滅ぼしてしまうため」でした。
今日も主の守りがありますように。
磯部豊喜
みことばの花 190908「罪とは」
みことばの花 190908「罪とは」
「ただ、あなたがたの不義が/あなたがたと、あなたがたの神との間を隔てたのだ。
またあなたがたの罪が/主の顔をおおったために、お聞きにならないのだ。」(イザヤ59:2 口語訳)
「人は死ぬ定めを持っている」ということは事実ですから、誰も疑問はないと思います。
ですが「罪」が「死」の原因だというとピンとこないかも知れません。
「罪」の定義が分からないからです。
聖書は神の律法を守らない「不法」(Ⅰヨハネ 3:4 口語訳)、善い事が分かっていても行わない「不善」(ヤコブ4:17 口語訳)、
イエス・キリストを信じない「不信」(ヨハネ16:9 口語訳)などが罪であると書いています。
ですが罪のルーツは、アダムとエバの物語にさかのぼります。
罪は結局、神との関係にヒビが入った悲しい行為です。
上記の聖句では「不義」とも呼ばれています。
愛であり命の与え主である神との関係が壊れたこと、これが実は罪の実体です。
愛の神を見上げて「わが父よ!わが神よ!」と呼べなくなった。
ここに私どもの気づかざる罪があります。
磯部豊喜

