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みことばの花 190918「素晴らしい交換」

みことばの花 190918「素晴らしい交換」

「神はわたしたちの罪のために、罪を知らないかたを罪とされた。
それは、わたしたちが、彼にあって神の義となるためなのである。」(Ⅱコリント 5:21 口語訳)

上記の聖句は私の大好きな聖句の一つです。
ここには破格の交換の約束が語られています。
「罪を知らないかた」とは神の御子イエス・キリストのことです。
このイエス・キリストが「わたしたちの罪のために…罪とされた」とある。
さらに「わたしたちが、彼にあって神の義となる」とあります。
言い換えれば、「義をまったく持ち合わせていない」私が「神の義」を持つ者のようになるという。
「私の罪と、キリストの義を交換しよう」という。例えるならば私のゴミ屋敷と、キリストの新築家屋を交換しようというのです。
この神の申し出に応じるのが信仰です。
今日の主の恵みがありますように。

磯部豊喜

みことばの花 190917「満ちあふれる恵み」

みことばの花 190917「満ちあふれる恵み」

「律法がはいり込んできたのは、罪過の増し加わるためである。
しかし、罪の増し加わったところには、恵みもますます満ちあふれた。」(ローマ5:20 口語訳)

ここでいう律法というのは十戒を指していると思われます。
この十戒というのは、私の心の中の姿を照らしてくれる心のレントゲンとか内視鏡のようなものです。
この十戒という心の鏡の前に立つと自分の心の汚れが見事に見えてきます。罪深さが見えてきます。
自分には天国とか永遠の命とは途方もない遠いところに見えます。
ですが、この心の汚れをまったく清めてくださる神の恵みがあります。
恵みとは自分に無いものが、無償で一方的に与えられるものです。
働きはなくてももらえるものが神の恵みです。
この恵みはイエス・キリストを通して与えられる永遠の命なのです。
私のものではない永遠の命が、キリストへの信仰によって私のものとして与えられます。
今日も主の恵みがありますように。

磯部豊喜

みことばの花 190916「御子イエスの血」

みことばの花 190916「御子イエスの血」

「しかし、神が光の中にいますように、わたしたちも光の中を歩くならば、わたしたちは互に交わりをもち、そして、御子イエスの血が、すべての罪からわたしたちをきよめるのである。」(Ⅰヨハネ1:7 口語訳)

神の御子イエス・キリストの血は、他の何物よりも勝る血です。
聖書によれば彼は天地万物の創造者、神の独り子、罪なき完全なお方です。
このようなお方が、人間になって死なれた。
その最大の理由は、罪を犯してその罪のために死(永遠の滅び)に向かっている私たち一人一人の罪をきよめ、新しい命(永遠の命)を注ぎ込むためです。
「罪の支払う報酬は死である。
しかし神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスにおける永遠のいのちである。」(ローマ6:23 口語訳)。
罪は全人類を死に導きました。
御子イエスの血は、罪びとを永遠の命へと導くのです。
今日も主の愛が私の心に満ちますように。

磯部豊喜

みことばの花 190915「キリストの血」

みことばの花 190915「キリストの血」

「永遠の聖霊によって、ご自身を傷なき者として神にささげられたキリストの血は、なおさら、わたしたちの良心をきよめて死んだわざを取り除き、生ける神に仕える者としないであろうか。」(ヘブル 9:14 口語訳) 

十字架の上で「キリストの血」が流されました。
この出来事こそキリスト教の神髄です。
なぜ「キリストの血」が重要なのでしょう。
善人や聖天使の血ではダメなのでしょうか。
罪の本質は神に対するものです。
神の禁止事項を破る行為が罪(不法)でしたから、まったく罪を犯したことのないお方にしか罪を清める力はありません。
神は聖なる律法の制定者。
この聖なる律法の制定者ご自身が、人となって来られ十字架で死なれた。
ここに驚くべき神の愛があると言えます。

磯部豊喜