みことばの花 180928「私がなぜ罪人?」

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みことばの花180928「私がなぜ罪人?」

「すなわち、すべての人は罪を犯したため、神の栄光を受けられなくなっており、」(ローマ 3:23)

教会へ行くようになると必ず聞かされる言葉があります。それは「私たちは罪人です」という言葉。これを嫌う人がいます。「教会へ来て気持ち良く帰りたいのに『罪人、罪人!』となぜ呼ばれなければならないのか」と感じる人もいます。なぜこのように感じてしまうのかというと、それは罪というものを道徳的なものに置き換えて受けとめているからです。確かに罪は不義と同列であり、道徳的な視点も無視は出来ません。しかし罪の本質は、不道徳ではない。「すべての人は罪を犯したため」とありますが、すべての人が罪と結びついています。その証拠は、すべての人が「死ぬ」という現実です。この罪の本質は何でしょうか。それは命の与え主である創造者なる神様から離れていることです。それゆえに生まれながらに真の命(永遠の命)を持っている人はいません。聖書は、この罪から私たちを解放するためにイエス・キリストが来られて十字架にかかって死んでくださったという。これを「よき訪れ」と呼びます。

磯部豊喜

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