みことばの花 191108「富める青年⑤」

みことばの花 191108「富める青年⑤」

「いましめはあなたの知っているとおりである、『姦淫するな、殺すな、盗むな、偽証を立てるな、父と母とを敬え』」
(ルカ 18:20 口語訳)

これは「何をしたら永遠の生命が受けられましょうか」と質問した青年に対して、イエス・キリストが次に語った言葉です。
「姦淫するな(=7条)、殺すな(=6条)、盗むな(=8条)、偽証を立てるな(=9条)、父と母を敬え(5条)」は、
神様が人類のために授けた「豊かな人間関係」を扱った教えです。
ここには語られていない1~4条は「神との豊かな関係」を扱い、10条の「むさぼるな」は1~9条の土台になる教えです。
マタイによる福音書には、上記に続き「隣人を自分のように愛しなさい」(マタイ18:19 口語訳)
という言葉が付加されていますので、5~9条は人と人を結ぶ愛の教えであることが明らかです。
これらの愛の教えは、「永遠の生命」とは切り離せない大切な内容だとキリストはこの青年に言われるのです。

磯部豊喜

みことばの花 191107「富める青年④」

みことばの花 191107「富める青年④」

「イエスは言われた、『なぜわたしをよき者と言うのか。神ひとりのほかによい者はいない。』」(ルカ 18:19 口語訳)
 
人生の最大の質問があるとすれば、それは「あなたがたはわたし(イエス・キリスト)をだれと言うか」
(マタイ16:15 口語訳)でしょう。
この質問は、かつてキリストはその12人の弟子たちに語った言葉ですが、弟子のペテロの答えは名返答。
「あなたこそ、生ける神の子キリストです」(マタイ16:16 口語訳)。
キリストを誰だと受け止めるか、これによって人生は大きく左右に分かれます。
「富める青年」に対するキリストの上記のみ言葉は、とても大切な要素を含んでいます。
「地の果なるもろもろの人よ、わたしを仰ぎのぞめ、そうすれば救われる。わたしは神であって、ほかに神はないからだ。」
(イザヤ45:22 口語訳)と聖書にありますが、この「わたし」は、イエス・キリストを指すみ言葉です。

磯部豊喜

みことばの花 191106「富める青年③」

みことばの花 191106「富める青年③」
「イエスは言われた、『なぜわたしをよき者と言うのか。神ひとりのほかによい者はいない。』」(ルカ 18:19 口語訳)

「富める青年」の「よき師よ…」という質問に対するキリストの最初の答えが上記です。
目の前にいるキリストを若者は「人生の道を示すよき師」だと認めたのでしょう。
「よき師」というのと「救い主」と呼ぶのは大いなる違いがあります。
そこで語られたキリストの言葉は、暗黙のうちにこの若者の前に立っているのが誰かを明確に語っています。
「神ひとりのほかによい者はいない」。
あなたは私に向かって「よき者」と呼びかけたが、「私はあなたの神なのです」と示しているかのようです。

磯部豊喜

みことばの花 191105「富める青年②」

みことばの花 191105「富める青年②」

「また、ある役人がイエスに尋ねた、『よき師よ、何をしたら永遠の生命が受けられましょうか』。」(ルカ18:18 口語訳)

ルカは「富める青年」について「ある役人」と書いていますが、この青年は、とても良い若者に見えます。
しかも公務員という、堅実な仕事を持っていた人。
それでいて人生を送るうえで「何か足りない」と感じていました。
このような若者が教会に自らやってきたら、高齢化した教会では大歓迎です。
しかも質問内容が良い。
「よき師よ、何をしたら永遠の生命が受けられましょうか」と彼は問います。
真理を求めるいわゆる「求道者」の列に並ぶかのように見えたのです。
聖書に「求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば見いだすであろう。
門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。」(ルカ11:9 口語訳)とあるが、
彼はキリストの前に来て門をたたいた。
ですが彼は「狭き門」(マタイ7:13)をくぐることをしなかったのです。

磯部豊喜

みことばの花 191104「富める青年①」

みことばの花 191104「富める青年①」

「また、ある役人がイエスに尋ねた、『よき師よ、何をしたら永遠の生命が受けられましょうか』。」(ルカ18:18 口語訳)

今朝、私は東京で朝を向かえます。
今はまだあたりは暗いのですが、この「みことばの花」に「富める青年」の話を書くように迫られました。
この「富める青年」は、自らキリストに近づきました。
彼は「永遠の生命」を求めて上記のように質問します。
ですが彼は自分の人生の結論をあまりにも早く出してしまったように見えます。
彼はキリストとのやりとりの中で「この人にはついていくまい」との選択をしました。
キリストが彼に示された難題に向き合うことを人生の損失と考えたのです。
彼は一度、「永遠の生命」という人生最大の宝の入り口には立ちます。
ですが「立ち続けなかった」。
「求道の土俵に立ち続ける」こと、これは救いの一歩です。

※千葉では今日13:30に講演会が始まります。
日ごとの講師(教会員)の前に8回にわたって「私はどうして牧師になったのか」の証もします。

磯部豊喜

みことばの花 191103「逆境の意味」

みことばの花 191103「逆境の意味」

「神は苦しむ者をその苦しみによって救い、/彼らの耳を逆境によって開かれる。」(ヨブ 36:15 口語訳)

これはヨブの友人エリフの語った言葉ですが、聖書に記録された味のある言葉です。
遺書を書いた青年がいました。
「今晩12時にこの世に別れを告げます」と。
彼が書き終えて時計を見ると12時20分前。
「あと20分あるな」と思った青年は極度の緊張感からか眠ってしまった。
「はっと」目を覚ました。
時計を見ると針は12時20分前のまま。時計は壊れていたのです。
彼は思った。「時計が壊れたら時計店に行けばよい。自分は壊れているかも」、と思い自分を造った方を探しに行った。
やがてキリスト教会へ行き、全人類の創造者イエス・キリストの話を聞いた。
こうして彼は人生の逆境に置かれたが、彼の耳は開かれたのです。
明日から、SDA千葉教会では秋の講演会。
9回のメッセージ(教会員と私の9人)が用意されています。

※11/4(月)、5(火)、6(水)、9(土)午前と午後、10(日)、12(火)、13(水)、14(木)。9(土)午前は10:30、
それ以外はすべて13:30です。

磯部豊喜

みことばの花 191102「勝利③」

みことばの花 191102「勝利③」

「しかし感謝すべきことには、神はわたしたちの主イエス・キリストによって、わたしたちに勝利を賜わったのである。」
(Ⅰコリント 15:57 口語訳)

「勝利」という一文の最後の部分です。
「…あなたが会話の中で、友の悪口や批評をしたくなった時、
口をとざすことができるならば、それが勝利である。
あなたの会話の中で、自分のことを話そうと思わず、自分の善行について書いたり、
あるいは人の賞賛を求めたりする気持ちが全くなくなり、あなたが世に知られない人であることを、
ほんとうに愛することができる時、それが勝利である。」(作者不詳)
このような内容が「勝利」だとすると、私なんぞは自分を振り返るとき、「勝利」どころか「敗北」だらけ。
ですが上記の「神はわたしたちの主イエス・キリストによって、
わたしたちに勝利を賜わったのである」という言葉に希望を持ちます。
主によって「勝利」を得たいものです。
ハッピーサバス!

磯部豊喜

みことばの花 191101「勝利②」

みことばの花191101「勝利②」

「しかし感謝すべきことには、神はわたしたちの主イエス・キリストによって、わたしたちに勝利を賜わったのである。」
(Ⅰコリント 15:57 口語訳)

今日も「勝利」という一文の続きです。
「…あなたがどんな食物にも、衣服にも、気候にも、社会にも、どんな孤独にも、
あるいは人のどんな妨害にも甘んじる時、それが勝利である。
あなたがどんな不調和、不規則また時間を守らない事、その他気にさわるどんなことに会っても、
忍耐できる時、それが勝利である。
あなたがむだ使いや愚かさ、ぜいたくや霊的な無感覚さを見て、イエスが忍耐なさったように、
すべてに耐えるとき、それが勝利である。…」
また明日に続きます。
なかなか出来ないことの多い一文ですが、心に留めたいものです。
今日も主の守りがありますように。

磯部豊喜