みことばの花 200513「悩みの時」

みことばの花 200513「悩みの時」

「あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている」(ヨハネ16:33 口語訳)

キリストは言われます。「あなたがたは、この世ではなやみがある。」(ヨハネ16:33 口語訳)。
私どもの人生と悩み・・・確かにこの二つは悲しいかな堅い結びつきがあるようです。
悩みのない人生はありません。先日、池江璃花子選手の白血病に向き合う姿を見ました。
気丈と思われていた池江さんとは言え、まだ10代。厳しい治療のために体重は10キロも落ち、身体は細くなっていました。
それでも治療は成功し、命の危険から脱出した。時に弱った言葉も出ていました。
それでも今はアスリート魂も復活し体力回復の一途を歩んでいます。
悩みのどん底に落ちた人が立ち上がる時、その人は以前にもまして強くなる予感がします。
「フレ!フレ!璃花子!」と以前にも増して応援したくなりました。
今日も主も恵みがありますように。

磯部豊喜

みことばの花 200512「道は開け」

みことばの花 200512「道は開け」

「その祭司は彼らに言った、『安心して行きなさい。あなたがたが行く道は主が見守っておられます』。」(士師記 18:6 口語訳)

「お先真っ暗」という言葉があります。
先を見つめ、予想を立てることは良い事ですが、これから先の人生を否定的に考える思いの傾向には勝ちたい。
先日、「みことばの花」の読者の方から一つの讃美歌が届きました。
オンラインで作ったテレワーク四重奏です。4人組の讃美歌。各自ご家庭において賛美をしたようです。

「①黒い雲が道をおおい、明るい光を消すとき、イエス様に話しすれば道は開けきれいになる。
祈れ、イエス様に祈れ今、イエス様に話せ今、お祈りを聞きたもう…主は助け守りたもう。
②目に涙があふれるとき、優しい友なるイエス様、私の悩みを取り去り、いつでも助けてくださる…」

「主は道を開いてくださる」「主はは私の悩みを取り去る」という讃美歌の歌詞。
この主の真実を受け止めて今日を過ごしたいと思います。
今日も主の守りがありますように。

磯部豊喜

*オンラインで作ったテレワーク四重奏を聞くには、どうそ次のサイトを試しにタップしてみてください。 http://www.youtube.com/watch?v=bbu7_3fIypk

みことばの花 200511「主の御声」

みことばの花 200511「主の御声」

「主は彼に言われた、『安心せよ、恐れるな。あなたは死ぬことはない』。」(士師記 6:23 口語訳)

上記はミデアン人の脅威からイスラエルを救ったギデオンという人に、主が天使を送って彼に語られたみ言葉です。
ギデオンはこの主の御声に力を得て、このミデアンに対して大勝利をもたらしました。
さて、私どもの人生にもこの主の御声が必要です。
古い讃美歌に、
「①行けどもゆけども ただ砂原、道なきところを ひとり辿る。ささやく如くに み声きこゆ、『疲れしわが友、我にきたれ』、
②やけたる砂原 いたむ裸足、渇きのきわみに 絶ゆる生命、しずかにやさしき み声きこゆ、『生命のいずみに 来たりて飲め』」
(日基讃美歌244番 *生命(いのち))という歌詞があります。
この主の御声は今も健在です。
主の御声を心にとめ今日をお過ごしください。

磯部豊喜

みことばの花 200510「やがて」

みことばの花 200510「やがて」

「わたしは思う。今のこの時の苦しみは、やがてわたしたちに現されようとする栄光に比べると、言うに足りない。」(ローマ 8:18 口語訳)

今朝、私の脳裏にこんな一句が生まれました。
「五月雨(さみだれ)や、畑が消えて、駐車場」。
今朝、小雨が降っています。犬の散歩で4階の扉を開くと、パッと目に入るのは真新しいアスファルトの駐車場。
先には、ビニールハウスと畑がありました。畑の風情は名残惜しい。
ですが賃貸し駐車場は教会にとっては有難い。思いは複雑です。
あっという間に完成した駐車場のように、この五月雨と共に日本のみならず世界から新型コロナが収束することを私は願っています。
まずは延長された緊急事態宣言の解除がなされることを5月末までに期待します。
上記の聖句には、今この苦しみは、「やがて」主の栄光に替わるとある。
今しばらく忍耐です。
今日も主の支えがありますように!

磯部豊喜

みことばの花 200509「太陽の光」

みことばの花 200509「太陽の光」

「あなたの太陽は再び没せず、あなたの月はかけることがない。主がとこしえにあなたの光となり、あなたの悲しみの日が終るからである。」
(イザヤ 60:20 口語訳)

緊急事態宣言・・・自粛要請・・・もううんざりだ!と言われる方があるでしょうか。
これまでの新型コロナ登場のおさらい。「原因不明の肺炎」は昨年12月、中国・武漢市で確認。
新型コロナの上陸が1月に分かった。2月には大型クルーズ船に集団感染が発生。
国民生活が一変したのは2月末。3月に入り選抜高校野球大会が中止。3月末に東京オリンピック・パラリンピックの一年延期が発表。
経済の失速を懸念していた政府は4月7日、緊急事態宣言を宣言。そして5月4日、緊急事態宣言延期を発表。」
今は黒雲が日本ばかりでなく世界を覆っています。
ですがこの人生の黒雲はかならず退く。なぜかというと黒雲の上にはキリストという太陽がずっと輝いているから。
今日の第七日安息日の説教題を「黒雲の上にあるもの」としました。
ハッピーサバス!   *サバス=とは「第七日安息日」のことです。

磯部豊喜
・・・・・・・
明日5月9日(土) ライブ配信 URL。 ご都合がよければ開いてみてください。
※時間外でもSDA千葉教会ホームページで開くことも出来ます。
安息日学校(聖書の学び) 10:00 聖書をいかに解釈するか ⑥「解釈はなぜ必要なのか」磯部豊喜
https://youtu.be/IR-FgTPhhtI
礼拝説教 11:00 「黒雲の上にあるもの」磯部豊喜
https://youtu.be/Fe9GEP5QTN8

みことばの花 200508「取り決め」

みことばの花 200508「取り決め」

「それから彼らは通る町々で、エルサレムの使徒たちや長老たちの取り決めた事項を守るようにと、人々にそれを渡した。」(使徒 16:4 口語訳)

今、私どもの教会ではクラスター発生予防を意識し、新しい生活様式を導入することを考えています。
教団、地区の牧師会もWeb会議なるものを導入してきています。
面倒な時代がついにやってきた…と、IT関係には精通していない古風な私は、この「みことばの花」を配信するのが精一杯。
ですが今、世界は自粛生活に疲れ、新型コロナによる感染が完全に収束していない状況の中で社会生活を再開する方向に舵を切ろうとしています。
三密を保持しつつ、生活様式を変えようとしています。
千葉教会もこれまで試みたことのないライブ配信を行うようになりました。
今、新しい生活様式を取り入れる取り決めが必要です。
「主よ知恵を与えてください」と祈りつつ前を向いて歩きたいと思うのです。
主の守りが今日もありますように。

磯部豊喜

みことばの花 200507「断食祈祷」

みことばの花 200507「断食祈祷」

「そこでヨシャパテは恐れ、主に顔を向けて助けを求め、ユダ全国に断食をふれさせた。」(歴代下 20:3 口語訳) 

今日は私どもの教団(全世界的に)をあげて、上記にあるユダのヨシャパテ王のように断食祈祷が勧められることになりました。
断食の時間は午前7時から午後7時までの12時間です。
空腹に挑戦するのが断食。しかし大切なのは、単に断食することではありません。
今回の断食の目的は、新型コロナウイルス感染の終息を願う祈りをささげること。
休会の続く教会もそうですが、社会全体は私どもの祈りを必要としています。
長く続く緊急事態宣言のために休業が続き不安の中にいる方々が大勢います。
医者、看護師、国や県のリーダーのために祈りたい。
今日はこの一点に集中し、体力に無理のない方はどうぞこの祈りにご参加くださいますように。

磯部豊喜

みことばの花 200506「ゆるしとさばき」

みことばの花 200506「ゆるしとさばき」

「あなたはかつて、『主は怒ることおそく、いつくしみに富み、罪ととがをゆるす者、しかし、罰すべき者は、決してゆるさず、父の罪を子に報いて、三、四代に及ぼす者である』と言われました。」(民数記 14:18 )口語訳

上記は、天の神様の御品性を教えるものです。天の神は「怒ることおそく、いつくしみに富み、罪とがをゆるす者」とあります。これがその御品性の中心です。
ところが一方で「罰すべき者は、決してゆるさず、父の罪を子に報い」ともあります。
これは人の罪を神がどのように扱われるのかを教えています。
神は人の罪をゆるされる哀れみ深いお方。ですがいつまでも罪や悪を野放しにはしないお方でもあるという。
「悪人世にはばかる」という言葉がありますが、悪人がすぐに滅ぼされないのは神の忍耐のあらわれでしょう。
しかし神の愛と忍耐を踏みにじり、罪を犯し続ける人には、厳粛なさばきの日がある。
忍耐深い神を心に留め、日々罪を悔い改めて過ごしたい。
今日も主の恵みがありますように。

磯部豊喜

みことばの花 200505「裁くこと」

みことばの花 200505「裁くこと」

「だから、ああ、すべて人をさばく者よ。あなたには弁解の余地がない。あなたは、他人をさばくことによって、自分自身を罪に定めている。
さばくあなたも、同じことを行っているからである。」(ローマ 2:1 口語訳)

「裁く」という言葉は、否定的に取られる言葉でしょうか。
この世界に正しい裁きがなされなくては、希望がありません。
ところが自分を裁判官に置いてしまうことには注意しなくてはなりません。
人を罪に定める権威は私にはありません。正しい裁きは難しいからです。
上記のみ言葉は、他人を裁くことの危険を教えてくれます。
まず裁くことよりも可能な限りゆるすことを優先したい。

磯部豊喜

みことばの花 200504「分かれる時」

みことばの花 200504「分かれる時」

「そして彼らは永遠の刑罰を受け、正しい者は永遠の生命に入るであろう」。(マタイ25:46 口語訳)

先日の新聞に二つの写真が載っていました。
それは大勢の賑わいを見せている海と人のまったくいない同じ海の写真。
この写真を見て、トワエモアが歌った「誰もいない海」の歌詞を思い出しました。
その歌詞の冒頭の言葉は、1番から3番すべてに「今はもう秋 誰もいない海…」とあるあの曲です。
「今はもう秋」ではなく「今はもう春」。春のゴールデンウィークに誰もいない海…。
このような事態は、果たして誰が想像したでしょう。
ところで聖書の中に「誰もいない海」ならぬ「誰もいない地球」の時期があるという。
それは千年期(英語では「ミレニアム」)と呼ばれる期間です。
キリストの再臨が来て、救われる人は天の都に上り、一方で滅びる人もある。
聖書の記す人生の分かれ目は何か?キリストを友とし、愛に生きるか否か(マタイ25章31~46参照口語訳)。
果たして私はどちらに立つのでしょう。
今日も主の守りがありますように。

磯部豊喜