みことばの花 00708「男と女」

みことばの花 00708「男と女」

「しかし、天地創造の初めから、『神は人を男と女とに造られた。…」(マルコ 10:6 口語訳 )

これまで何事も感じることなく読んでいた聖句ですが、今年のサインズ7月号の「男と女の違いを知れ」(著者:石井希尚)という記事を読み、
妙にこの聖句の深みを感じています。
その冒頭には「男と女の間には、古今東西すれ違いが絶えません。
それは、男と女が別の星からやってきた宇宙人だと思えるほど、全く違う生き物であるがゆえに起こることなのです」とあり、
男女の基本的な違いを分かりやすくまとめています。
両者の典型的な違いの一つが、男性は「達成願望」が強く、女性は「共有願望」が強い。
さらに女性は言語中枢が発達しているので会話を求める。男は優先度の低い内容のものは聞き流す傾向がある。
「言ったじゃない」「聞いていないよ」という会話。まさにこれは我が家の会話です。
要は、男女の違いを認め合うことが大切とのこと。
今日も主の恵みがありますように。

磯部豊喜

みことばの花 200707「箱舟に入った」

みことばの花 200707「箱舟に入った」

「ノアは子らと、妻と、子らの妻たちと共に洪水を避けて箱舟にはいった。」(創世記 7:7 口語訳)

今日は1年に1回の7月7日。この日には私どもの教団では朝7時~夜7時まで断食祈祷が奨励されています。
言い換えるならば、朝7時~7時まで神様との交わりに特別に招かれている12時間ということになるでしょう。
「あっ、すでに7時を過ぎて食事をしてしまった」と言う方もあると思います。
しかし断食祈祷は強制ではありません。可能な方は朝食後12時間、食を断ち、水だけで過ごしてみる。
上記は、創世記の7章7節。今日にピッタリの聖句だと思いました。
真の心の箱舟は神様。洪水はこの世の災禍。今日は主を覚えて特別に12時間を過ごしたいものです。
主の恵みがありますように。

磯部豊喜

みことばの花 200706「孫」

みことばの花 200706「孫」

「孫は老人の冠である、父は子の栄えである。」(箴言 17:6 口語訳)

昨日、ようやくコロナ禍によって会うことが妨げられていた初孫(孫娘)に会うことが出来ました。
しばしば「孫は子よりも可愛い」という言葉を耳にします。
直接に会うまでは、他の赤ん坊と大差ないとの思いがありましたが、実際に会ってみるとやはり違う。
「可愛い~」とか「めんこい」とかを連発したくなる。そしていつの間にか、爺バカになっている自分…。
ここまで書いて、ハッと「そうか、自分はお祖父さんになっていたのか」と我に返ります。
さて「孫は老人の冠である」と聖句にあります。
ピンと来ないので、リビングバイブルという聖書を見てみますとここには「孫は老人自慢の種、父親は子供の尊敬の的です」とありました。
「孫は老人自慢の種」も良いですが、将来、孫が自慢できる祖父になりたいと思いました。
また新たな人生への挑戦の始まりです。
今日は爺バカにて失礼しました!

磯部豊喜

みことばの花 200705「元気をだしなさい」

みことばの花 200705「元気をだしなさい」

「すると、人々が中風の者を床の上に寝かせたままでみもとに運んできた。
イエスは彼らの信仰を見て、中風の者に、『子よ、しっかりしなさい。あなたの罪はゆるされたのだ』と言われた。」(マタイ 9:2 口語訳)

「また巣ごもり?戸惑い」という小見出しが今朝の新聞にありました。内容は「都外への自粛要請」とのこと。
昨日の東京都の新型コロナ感染者数は131人、全国では274人になっています。不安が日本中に広がりつつあります。
こういう時、上記の中風の人に語られた主の御言葉は、私どもの聞きたい言葉です。
「しっかりしなさい」という言葉は「元気をだしなさい」とも訳されます。
このみ言葉は、単なる言葉ですが、人に勇気と免疫力を増してくれる言葉ではないかと思います。
主イエスのみ言葉を集めてみて思いますが、その多くの御言葉は励みに満ちています。
人が失望や落胆のただ中にあって、前向きな言葉が実に多い。
私たちも安易な言葉は避けつつも、前向きな言葉を語って行けたらと思います。
互いに主を見上げて「元気をだして」歩みましょう!
主の守りがありますように。

磯部豊喜

みことばの花 200704「神の武具④」

みことばの花 200704「神の武具④」

「また、救のかぶとをかぶり、御霊の剣、すなわち、神の言を取りなさい。」(エペソ 6:17 口語訳)

「悪魔の策略に対抗して立ちうるために、神の武具で身を固めなさい」と聖書は教えます。
悪魔の攻撃対象は私たちの心。人の心に罪を犯させて失望に追いやる。
そうならないために「神の武具を身につけよ」とパウロは勧めます。
「真理の帯」「正義の胸当」「平和の福音の備え」「信仰の盾」に続き、「救いのかぶと」「御霊の剣」があります。
兜(かぶと)は「頭」を守ります。「人の心」はどこにあるのか、それは頭にあります。心の発信地である頭が救われることが必要です。
「剣」は攻撃的な武器。ですが自分を守る役割も持ちます。
キリストが悪魔の誘惑にあったとき、「こう書いてある」と「聖書の言葉」を掲げて応戦し、勝利されました。
今日は第七日安息日、日々迫って来る心の戦いに備えて「神の武具」を身に着けたいと思います。
ハッピーサバス!

磯部豊喜

みことばの花 200703「神の武具③」

みことばの花 200703「神の武具③」

「その上に、信仰のたてを手に取りなさい。それをもって、悪しき者の放つ火の矢を消すことができるであろう。」(エペソ 6:16 口語訳)

矛盾という言葉は、ご承知のようにある武器商人の故事からきています。
商人は矛(ほこ)を見せてこういう。「これはどんな盾(たて)でも突き通せる代物(しろもの)だ」と。
次に盾を見せて「これはどんな矛も突き通せない盾だ」と。
これは一致しないので「矛盾」となった。
さて、上記は「盾」。この盾は悪しき者の放つ火の矢を消すことが出来るもので「信仰の盾」と呼ぶ。
私が無信心の頃は「信仰は弱い者が持つ者」と言い切っていました。
ですが聖書を知り、数多くの信仰者の生き方を知ったとき、「信仰のある人」は強い、と察しました。
信仰は神への信頼、神に信頼しているので決して揺るがない。これこそ矛盾なき盾。
主に信頼し、たとえ病になっても、死を目前に控えても「私は幸せです」と言える人になりたいと思う。
人生の不幸に見舞われても、「主が与え、主が取られたのだ。主のみ名はほむべきかな」(ヨブ1:21 口語訳)
と語ったあのヨブのような信仰を持ちたいものです。
主の恵みが今日もありますように。

磯部豊喜

みことばの花 200702「神の武具②」

みことばの花 200702「神の武具②」

「平和の福音の備えを足にはき、」(エペソ 6:15 口語訳)

今日も「神の武具」について考えます。
ここに「真理の帯」「正義の胸当」に続き「平和の福音の備え」というのが登場しています。
「平和」は誰しもが望むことだと思います。「争う」より「平和」でありたい。
ですが「平和社会の実現のために」と掲げて戦争をする。実に矛盾する話です。
その背後にあるのが、自分ファーストの平和を描くからでしょう。君も僕もOKというスタイルが本当の平和の基本だと思います。
キリストの福音は、君も僕も主にあってOKという。
主は「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」(ヨハネ15:12 口語訳)と言われました。
自分ファーストでなく共にファーストの道を探したいのです。

磯部豊喜

みことばの花 200701「神の武具①」

みことばの花 200701「神の武具①」

「すなわち、立って真理の帯を腰にしめ、正義の胸当を胸につけ、」(エペソ 6:14 口語訳)

心を襲い苦しめる細菌への抵抗力を高める「神の武具」のことがエペソ6:14~17節に書かれています。
絵に描くとそれは鎧(よろい)姿を想像させます。その武具の第一は「真理の帯」。
「真理」で思い出すのは「わたしは道であり、真理であり、命である」(ヨハネ14:6 口語訳)です。
また「正義」については「その日ユダは救を得、…その名は『主はわれわれの正義』ととなえられる」(エレミヤ23:6 口語訳)を思います。
これらの聖句によれば、「真理」も「正義」も神の御子イエス・キリストを指しています。
真理も正義もキリストだとすると、「すなわち、立ってキリストという真理の帯を腰にしめ、キリストという正義の胸当てを胸につける」となる。
キリストを仰いで心を襲うウィルスに抵抗できるという。
「わたしを仰ぎ望め、そうすれば救われる」(イザヤ45:22 口語訳)。
今日、自分の思いではなく、主イエスというお方を見上げて歩むことが出来ますように。

磯部豊喜

みことばの花 200630「抵抗力」

みことばの花 200630「抵抗力」

「それだから、悪しき日にあたって、よく抵抗し、完全に勝ち抜いて、堅く立ちうるために、神の武具を身につけなさい。」(エペソ 6:13 口語訳)

今朝の新聞の第一面に「世界の死者50万人 感染者1000万人」とあり「コロナ新興・途上国で猛威」との記載もありました。
わずか2日で8千人もの死者が出ています。
国内のここ三日間の感染者数が92人、113人、110人という状況は気になりますが、死者0というのが慰めです。
医療現場が良い対応をしてくださっているお陰かと思いますが、新型コロナの最高の良薬は免疫力です。
つまり細菌が入って来ても、抵抗力さえ強ければ大丈夫ということ。
新型コロナウィルスを悪魔の力に置き換えるならば、免疫力は何か。上記の聖句にはそのことが「神の武具」という表現で記されています。
この「神の武具」こそ「免疫の力」。
新型コロナに関しては、軽い運動とか十分な睡眠が良いとされます。
明日より、心を襲うウィルスについての「抵抗力」を考えてみたいと思います。

磯部豊喜

みことばの花 200629「キリストを眺める者の特徴」

みことばの花 200629「キリストを眺める者の特徴」

「主は正しくいまして、正しい事を愛されるからである。直き者は主のみ顔を仰ぎ見るであろう。」(詩篇11:7 口語訳)

私の好きな讃美歌の歌詞の一つを紹介します。
「眺めよイエスよ、仰げよ御顔を、世の栄えうせゆきぬ、み恵みの光に」。
聖書を読んで気づくことがあります。
それはキリストの弟子と呼ばれる人や預言者たちが、誰一人として「自分には罪がないとか清くなった」とか主張する者がいないということです。
むしろ皆、自分たちの性質の罪深さを告白しています。
そしてキリストの義(正しいこと)を告白し、このお方に絶対的な信頼を置きます。
事実、私たちがキリストに近づけば近づくほど、自分の醜さ、汚れた心の中が見えてきます。
それと同時に、自己をほめたり、誇りや自惚れが影を潜めるようになる。
これが主の御顔を眺める人の特徴となるのです。
今日も主の恵みがありますように。

磯部豊喜