みことばの花180904「災害戦争」

みことばの花180904「災害戦争」

「また、戦争と戦争のうわさとを聞くときにも、あわてるな。それは起らねばならないが、まだ終りではない。」(マルコ 13:7)

日本は戦争が国内から追放されて70年を超える国になりました。今、太平洋戦戦争時代の日本の庶民を描いた「この世界の片隅に」というドラマがTVで放映されていますが、戦争にまつわるドラマや映画を見るたびに思います。平和って大切だ…と。しかし戦争体験者が徐々に少なくなって来ています。今は戦場に行った経験者に会うことは滅多にありません。高齢者施設においては、戦中は疎開をしていたという話を聞きます。ところで戦争は人災ですが、今は戦争のようにあっという間に人の生命が断たれてしまうものが、自然災害。台風がやって来なかったら、まだ生きていられる人はいたはずなのです。今の時代の日本は、災害戦争なのかもしれませんが、災害で命を落とす人が多くいます。今年の20号は超大型と聞いています。災害戦争にならないように心から願っています。また皆様も、災害の備えをされますように心から願っています。

磯部豊喜

 

みことばの花 190903「逃れの町」

みことばの花180903「逃れの町」

「その人は、これらの町の一つにのがれて行って、町の門の入口に立ち、その町の長老たちに、そのわけを述べなければならない。そうすれば、彼らはその人を町に受け入れて、場所を与え、共に住ませるであろう。」(ヨシュア 20:4)

今朝、「高齢者てんかん」についての報道がなされていました。突然に「ボー」となってしまったり、瞬間的に意識がなくなるという。これが認知症だと誤認されやすい。ただ恐ろしいのは、その発作は瞬間的で本人は何も覚えていないので、交通事故を起こしてもその記憶がない。たとえば自動車で人を轢(ひ)いてしまっても本人には全く記憶がないので、そのまま運転が続きます。その結果ひき逃げと判断され罪は重くなります。さて聖書の中に、まったくその意図がなくても、何かの弾みで人を殺(あや)めてしまったという人に対する救済の方法が書かれています。それは「逃れの町」に逃れるということです。昔のイスラエル社会では、意図的な殺人は命をもって償うことが求められましたし、命の報復は許されていました。しかし意図的でない人の場合は無罪とされ、逃れの町が用意されました。意図的か意図的でないかは、とても重要です。ここには私どもの神様が、私どもの本心をしっかりと見分けられるお方だということが分かります。今日も主の守りがありますように。

磯部豊喜

みことばの花 180902「夫婦愛」

みことばの花180902「夫婦愛」

「あなたがたは、真理に従うことによって、たましいをきよめ、偽りのない兄弟愛をいだくに至ったのであるから、互に心から熱く愛し合いなさい。」(Ⅰペテロ 1:22)

結婚式を迎えるカップルに対して、私は「結婚カウンセリング」を行ないます。そのときに必ず紹介する内容は「夫婦愛とは何か」ということです。聖書には「互いに心から熱く愛し合いなさい」とあります。これが夫婦愛の原点です。そして次の言葉を紹介します。「あなたがたの生活の幸福は、神に信頼し、お互いを幸福にすることにある。自制心を働かせなさい。悲しませ、傷つける言葉を語るのは、やさしいことである。お互いの感情を軽んじてはならない。忍耐を実行し、愛を育て、ひとつひとつの言葉と行いに気をつけるように自らを訓練し、どうしたらお互いに祝福となることができるかを研究しなさい。」(E.G.ホワイト著『手紙・1870年』)。「愛がなければ、いっさいは無益である」(Ⅰコリント13:3)とありますが、愛を育てる作業こそが夫婦愛なのでしょう。今日も主の恵みありますように。

磯部豊喜

みことばの花 180901「9月1日ー主の言葉を蓄える」

みことばの花180901「9月1日ー主の言葉を蓄える」

「ダリヨス王の第四年の九月、すなわちキスリウという月の四日に、主の言葉がゼカリヤに臨んだ。」(ゼカリヤ 7:1)

暦をみてハタと気づきました。今年もはや9月か…と。私の体内時計は、最近とても早くグルグルと回るのです。さて9月1日について調べると、杭(くい)の日だとかキウイの日だとかが書かれています。また関東大震災が起きたのが1923年9月1日。それで9月1日は防災の日ともされています。悔い(くい)を残さないために、防災の準備はしておきたい。今朝、布団の中で洪水が家の中にやってきたらどうしたらいいか…を考えていました。ペットボトルを連結して身体にまいておいたらどうか…などを真剣に考えました。ところで聖書にある9月は「キスリウ(【新共同訳】ではキスレウ)の月」と呼ばれます。これはヘブル歴の第9月で、太陽暦では11-12月。この季節は、1年を通じて降水量が最大となるという。ユダヤも防災月ですね。ところで最大の防災は、「主の言葉」。今日の安息日、魂の防災のために「主の言葉」を蓄えたいと思います。

磯部豊喜

みことばの花 180831「優しさ」

みことばの花180831「優しさ」

「むしろ、あなたがたの間で、ちょうど母がその子供を育てるように、やさしくふるまった。」(Ⅰテサロニケ 2:7)

今朝、日本の悪いことと、良いことの二つの出来事が報道されていました。悪いこととは、「17年度の児童虐待、最多13万件」という新聞の見出しです。「子どもの心を言葉や行動で傷つける『心理的虐待』が、2017年度までの5年間で3倍に増えた」とそこにありました。良いことは、「小岩駅近くのふとんのマルキ屋」についてのユーチューブを見た人たちが、この「マルキ屋」に布団を求めて殺到しているとのこと。「おじいちゃんが一人で50年やってきた小さなお店が閉店します。病気で手術が必要ですが、今店にある5倍の在庫を売り切らないと入院できそうにない…」というのを見て、一日20名程度の来客が80名程度になったそうです。ここには日本人の「優しさ」が伝わってきます。「厳しい日本人」されど「優しい日本人」なのかどうか。「優しい」日本人であって欲しいと、私は上記の聖句を見つめて強く思います。今日も主の恵みがありますように。

磯部豊喜

みことばの花 180830「倒れても」

みことばの花180830「倒れても」

「たといその人が倒れても、全く打ち伏せられることはない、主がその手を助けささえられるからである。」(詩篇 37:24)

今シンガポールでアジア大会が行なわれています。日本選手団は良い成績をあげています。2年後の2020年東京オリンピックにつなげようと励んでいるようです。昔、感慨深い競技の一つに、アトランタ五輪での、最後の競技者アフガニスタンのバセル選手の話です。彼は男子マラソン競技に参加。これまでの自己記録は2時間32分。しかし大会前に足を痛めましたが、それでも彼は完走。タイムは何と4時間24分17秒。競技場に戻ってきた時は、「歩いては休み、歩いては休み」。すでに閉会式の準備も始まっていました。ボランティアの人が、彼に気づき人々がゴールに寄ってきた。小さな拍手が、やがて大きな拍手になり競技場を感動で包みました。「戦乱に明け暮れる、祖国アフガニスタンがまだ生きていることを世界に見せたかった…」と彼は完走後にコメントした。使命を心に抱く人は美しい。主がおられるから「倒れても、全く打ち伏せられることはない」という上記のみ言葉に心がとまりました。

磯部豊喜

みことばの花 180829「手入れ」

みことばの花180829「手入れ」

「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。」(ヨハネ 15:1)

一昨日、知人のぶどう農家を訪問して、ぶどう園の仕事をお聞きしました。今最高級のぶどうと言われる「シャインマスカット」の園を拝見。薄い緑の皮に包まれたぶどうはとても甘く絶品ですが、一粒で4~5センチにも実ります。それが40粒くらい集まって一房。説明によれば小さい頃は200粒くらいあるそうです。それを毎日毎日、一房の中で間引きをするそうです。スキマを作りながら大きな粒のぶどうが完成するというのです。その手間隙を考えると気が遠くなる。話を聞きながら、上記のキリストのみことばを思い出しました。上記も続きは、「わたしにつながっている枝で実を結ばないものは、父がすべてこれをとりのぞき、実を結ぶものは、もっと豊かに実らせるために、手入れしてこれをきれいになさるのである」(2節)とあります。「手入れ」を施されたぶどうの実のように、神様の御手は私たちにも手入れをしてくださいます。時にそれは試練とか、辛苦(しんく)という方法で…。人生の苦しみや試練さえ、「私の品性の実を結ぶための」神の愛のわざだと受け止められたらきっと良いのだと思います。

磯部豊喜

みことばの花 180828「今もなお語る生き方」

みことばの花180828「今もなお語る生き方」

「信仰によって、アベルはカインよりもまさったいけにえを神にささげ、信仰によって義なる者と認められた。神が、彼の供え物をよしとされたからである。彼は死んだが、信仰によって今もなお語っている。」(ヘブル 11:4)

その人はもはやいない、しかし今も生きているというものがあります。その一つは、漫画。昨日、「ちびまるこ」で有名な漫画家の「さくらももこ」(ペンネーム)さんが乳がんのために53歳の人生を終えられたと報道されていました。「ちびまるこ」は、あの長谷川町子さんの「さざえさん」のように、作家がいなくなっても、ストーリーは続くのかも知れません。それにしても漫画のキャラクターの特徴は、年を取らない。子供はいつも子供のまま。年を取り、やがて老化して、最後は死に向かう人間にとって漫画は理想の世界なのかも知れません。ですが漫画の世界ではなくたとえ死んでも、ずっと語り継がれるものもあります。それはその人の生き方。アベルという人は、人類最初の夫婦、アダムとエバの生んだ息子の一人でした。ところが彼は、兄のために絶命。しかし彼の真実な信仰姿勢は現代の21世紀にまで、聖書に記録されて語り継がれています。死んでもなお語る…そういう生き方が出来れば幸いです。

磯部豊喜

みことばの花 180827「マナ3」

みことばの花 180827「マナ3」

「耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい。勝利を得る者には、隠されているマナを与えよう。」(黙示録 2:17)

一昨日、昨日と「天から下ってきたマナ」のことを考えました。最初の「マナ」は食物のない荒野で命をつなぐために神はその愛するイスラエル民族に与えたパンでした。それは後に、人類に与えられる神の御子であり救い主なるイエス・キリストを象徴していました。イエス・キリストは全人類の救い主として天から下りてきました。その結果、全人類を救う道が開かれました。ただこの事実は、全人類が無条件で救われて天国とか永遠の命に入るというものではありません。人は勝利を得なくてはならないと聖書に書かれています。勝利とは何でしょう。救い主を与えてくださった愛の神様を心に受け止めるか、受け止めないか。神様が与えてくださった救い主を信じて歩むか歩まないかです。私たちの魂の敵(サタン)は、救い主に目を向けさせまいとしています。悲しむべきことに多くの人々は、このために救い主に目を向けることが出来なくなっています。しかし勝利を得る者は、「隠されているマナ(キリスト)」を受けることが出来ます。キリストこそ我が命です。日々キリストを求めて歩みたいと思います。

磯部豊喜

みことばの花 180826「マナ2」

みことばの花180826「マナ2」

「わたしは天から下ってきた生きたパンである。それを食べる者は、いつまでも生きるであろう。わたしが与えるパンは、世の命のために与えるわたしの肉である」(ヨハネ 6:51)

上記のみことばの直前の言葉はこうです。「あなたがたの先祖は荒野でマナを食べたが、死んでしまった。しかし、天から下ってきたパンを食べる人は、決して死ぬことはない」(ヨハネ6:49,50)。昨日、イスラエル民族の荒野生活において天から降ってきたマナのことを紹介しました。実は、この天から降ってきたマナを指して、キリストは「わたしは天から下ってきて生きたパンである」と言われました。そして「それを食べる者は、いつまでも生きる」とも言われます。「いつまでも生きる」とは「永遠の命が与えられる」ということです。昔、秦の始皇帝は「不老長寿の薬」を求めて、多額の資金を使ったといいます。ただ彼の願いはかないませんでした。ですがここに真の「不老長寿の薬」があります。それはイエス・キリストです。イエス様を信仰によって食べる(受け止める)人は、いつもでも生きることができます。今日も主の祝福がありますように。

磯部豊喜