みことばの花 181213「やさしい言葉」

みことばの花181213「やさしい言葉」

「いつも、塩で味つけられた、やさしい言葉を使いなさい。
そうすれば、ひとりびとりに対してどう答えるべきか、わかるであろう。」(コロサイ 4:6)

ここに「やさしい言葉」というのが書かれています。「やさしい言葉」とはどういうものか。
リビングバイブルでは、「あなたがたの会話が、良識的であり、善意にあふれるよう心がけなさい。
そうすれば、相手の一人一人に適切な答えができます」と訳されています。
「会話が…善意にあふれるように」と書かれています。「善意」は天からの授けものです。
「しかし、御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、」(ガラテヤ5:22)と書かれています。
善意の反対は悪意。「あの人はこういう人だ」と引き下すような解釈をして語る言葉が悪意。
「いいえ、そうではない。こういう良い所もあるよ」と解釈するのが善意。
果たして私はどちらの言葉が多いだろうか、前者もあるな~と内省します。
特に相手から受けた仕打ちのような態度に対して善意で受け止める心は実に難しいですが、
これを育てる訓練が必要な気がします。
相手の良い所を見つめる目を持ちたい。人には必ず良い面がある。どんな悪人にも100%悪に染まっている人はいない。
1%でも良いところがあると信じて関わろうとするならば「善意」が生まれるでしょう。
そして「善意にあふれた」「やさしい言葉」を語れる人になりたいものです。

磯部豊喜

みことばの花 181212「隠れたこと」

みことばの花181212「隠れたこと」

「…すると、隠れた事を見ておられるあなたの父は、報いてくださるであろう。」(マタイ 6:4) 

今日もフィギュア選手のことを書いてみたい。
昨日書きました紀平梨花選手の陰に隠れてしましたが、あと二人の日本人選手にも注目したいのです。
それは坂本花(か)織(おり)選手と宮原知子(さとこ)選手です。
この二人もフィギュアの最高峰であるGP(グランプリ)ファイナルの中に残って見事な演技をされたと思います。
この二人の選手はショートとフリーの合計点をそれぞれ坂本(211.68)、宮原(201.31)と200点越えを行っています。
これも女子のフィギュア競技としては立派な成績です。
ですが坂本さんのコメントは、「表彰台にあがったら、たぶんフワフワした状態で全日本(選手権)に臨むことになっちゃう。
そうしないための神様からのお告げなのかな」と素敵な自己観察。
また宮原さんは「気持ちの部分が一番足りなかった。全日本(選手権)まで、もう日がない。
ひたすら自信をつけてしっかり練習するしかない」とのコメント。二人とも前を見据えています。
上記聖句のようにこういう「隠れた事」が、「天の父に報われるときが来るに違いない」と私は思いました。
この二人のように隠れた事(自己内省)を、大切にして歩みたいものです。

磯部豊喜

みことばの花 181211「翼をはって」

みことばの花181211「翼をはって」

「しかし主を待ち望む者は新たなる力を得、わしのように翼をはって、のぼることができる。
走っても疲れることなく、歩いても弱ることはない。」(イザヤ40:31)

彗星のごとく現れて、今世界中で注目されている人がいます。
フィギュアスケト選手の紀平梨花(きひらりか・16才)さんです。
今年、韓国の平昌(ピョンチャン)で行われた冬季五輪で金メダルを獲得したアリーナ・ザギトワ選手を筆頭に、
優れた選手層の上をいく成績を残され、ショートとフリーの合計点233.12は見事なものでした。
あの銀盤に花が咲くような舞を披露しました。しかしその後のコメントがいい。
2022年北京五輪五輪の金メダルに向けてどれだけ近づいたかと聞かれたとき、「10%くらい」と答え、
「まだ3年以上あるし、けががあってもダメだし、まだまだ色んな危険が迫っている」と、
年下のジュニアクラスには4回転を出来る選手たちがいることを意識して応えています。
決して今の成績に浮かれてはいないのです。銀盤を舞う少女たちの熾烈(しれつ)な戦いの空気を感じます。
私は銀盤どころか縄跳びさえもヨタヨタしてしまいますが、上記の聖句のように「わしのように翼をはって、
のぼることができる」との希望を持っています。
「主を待ち望んで者は新たなる力を得」は、今、私の大いなる希望なのです。

磯部豊喜

みことばの花 181210「導き」

みことばの花181210「導き」

「あなたはそこにもいまし/御手をもってわたしを導き/右の御手をもってわたしをとらえてくださる。」(詩編 139:10)

今朝、スマホを開いて私の目に飛び込んで来たものに、「今日は3億円事件の日」とありました。
東京都府中市で起きた3億円強奪事件は1968年12月10日でした。
今から丁度半世紀(50年)になります。となると私が14歳の時になる。
当時3億円といえば、当時一般の初任給は3万円程度でしたから相当の貨幣価値があったこになります。
私の記憶では、「これだけあれば一生贅沢な生活ができる」と報じられたことは忘れません。
この事件は未解決事件として記録されています。しかし神様を知った今、これは未解決ではない。
天の記録にはしっかりとメモリーされている、と受け止めることが出来ます。
聖書のみ言葉には「あなたはそこにもいまし」とあります。
神様の目は、この地上で起こるすべてがお見通しです。
ですがこの神様が一番心を傾むけてくださるのは、おそらく3億円事件がどうだということよりも、私ども一人一人です。
深い関心を注いでいてくださるのは私やあなたです。
主は「御手をもってわたしを導き、右の御手をもってわたしをとらえてくださる」とあるのですから。・・・・・・・

磯部豊喜

みことばの花 181209「パシュル」

みことばの花181209「パシュル」

「その翌日パシュルがエレミヤを足かせから解き放した時、エレミヤは彼に言った、
『主はあなたの名をパシュルとは呼ばないで、「恐れが周囲にある」と呼ばれる。』」 (エレミヤ 20:3)

パシュルは、旧約聖書に登場する神の人で預言者エレミヤに反対した、ユダヤ教の祭司で
神殿の管理者でした(同20:1参照)。
エレミヤが、神様の御言葉を率直に取り次いだとき、彼は預言者エレミヤを打ち叩き、
足枷までつけてその言動を拘束しようとしました。
翌日には足枷を解いてエレミヤを解放しましたが、エレミヤはこのパシュルについて預言をします。
その預言が上記。「あなたはパシュルという名だが、もうそのような名で呼ばれることよりも
「恐れが周囲にある(おびえながら生きる者)」と呼ばれるという。
パシュルだけでなくその友人たちも恐れつつ生きなくてはならない。
人は自分で蒔いた種は刈り取らねばなりません。
一方、このパシュルとは違ってその人がそこにいればホットする、心が和やかになれる、
こういう人は素敵です。
あなたと会えて私の人生は、豊か(心が)になった、と隣人に言われる人になれたら素晴らしいですね。
今日も主の愛を見つめて歩みたい。

磯部豊喜

みことばの花 181208「原点回帰」

みことばの花181208「原点回帰」

「またこの地の民らがたとい品物または穀物を安息日に携えて来て売ろうとしても、
われわれは安息日または聖日にはそれを買わない。
また七年ごとに耕作をやめ、すべての負債をゆるす。」(ネヘミヤ10:31)

創造主を心から信じる人々のライフスタイルの原点は、古代イスラエルに見られます。
上記は紀元前5世紀頃に、ペルシャ帝国の支配の下、
ユダの知事としての役割を果たしたネヘミヤの物語です。
今日に置き換えるならば天の神様を信じる敬虔なクリスチャン知事がユダの指導者に
選ばれたということです。
ネヘミヤは、当時のペルシャ帝国の王様の好意を得、かつてバビロン帝国によって滅ぼされた
ユダの首都エルサレムの再建を果たし、ユダヤ人のエルサレムへの帰還を進めます。
彼の目指すところは、ユダという国の単なる復興ではありませんでした。
国が復活しても、国民がどのような生き方をするかが彼の関心事でした。
国というものは、国民によって構成されます。
であるならばどういう国民であることがふさわしいのかを追求することが大切。
ネヘミヤは、この国の原点に返る「原点回帰」の政策を訴えます。
それはこの国の人々が創造主に帰ること。そこで創造主の置かれた、
安息日(聖日)を深く意識することによって神様を心に留めるように訴えたのです。
ユダヤ人ばかりでなく人間としての原点回帰もまた、世界の第七日安息日を覚えることだと
私は信じます。

磯部豊喜

みことばの花 181207「ヤベヅの祈りを見ての(提案)」

みことばの花181207「ヤベヅの祈りを見ての(提案)」

「ヤベヅはイスラエルの神に呼ばわって言った、
『どうか、あなたが豊かにわたしを恵み、わたしの国境を広げ、あなたの手がわたしとともにあって、
わたしを災から免れさせ、苦しみをうけさせられないように』。
神は彼の求めるところをゆるされた。」(歴代志上 4:10)

最近、重い病気などに苦しむ人が多いです。
「ヤベヅの祈りを」見つめていて、このような人にこんな提案をしてみたくなりました。
例えば、がんの病の人へ向けて…「どうか、あなたが豊かにわたしを恵み、わたしの免疫細胞の活動を広げ、あなたの手がわたしとともにあって、
わたしをがんの病から免れさせ、苦しみをうけさせられないように」。
こういう祈りをささげても良いのではと考えたのです。
「国境」と「災い」を、今のわたしの必要に置き換えて祈ることをしてみてはいかがでしょう。
そして結果は、「神は彼の求めるところをゆるされた」となれば幸いなのです。
私にとって神様のみこころがそこにあれば、必ず人は病であれその他の災いであれ乗り越える力が与えられるに違いない。
もし病やその他のことで恐れや不安に包まれる人がありますならば、どうぞ主への信頼をもって、このような祈りをささげてみてはいかがでしょうか。

磯部豊喜

みことばの花 181206「ヤベツの祈り」

みことばの花181206「ヤベツの祈り」

「ヤベヅはイスラエルの神に呼ばわって言った、『どうか、あなたが豊かにわたしを恵み、
わたしの国境を広げ、あなたの手がわたしとともにあって、わたしを災から免れさせ、
苦しみをうけさせられないように』。神は彼の求めるところをゆるされた。」(歴代志上 4:10)

上記は、ひところ竹の子が土から出てくるように、あちらからこちらからの説教者に注目
された聖句の一節でこれを「ヤベヅの祈り」と言います。
覚えにくい人は「キャベツの祈り?」と呼んで後、まず訛りをつけて「キャベヅ~の祈り」
として「キ」を差し引けばよい。
なぜこの短い祈りが特別に注目されたのでしょう。
まずこの祈りを唱えたヤベヅは、「悲しむ」という意味で、前節に彼についての情報が書か
れています。
「ヤベヅはその兄弟のうちで最も尊ばれた者であった。
その母が『わたしは苦しんでこの子を産んだから』と言ってその名をヤベヅと名づけたの
である。」(同上4:9)
さてこの祈りのポイントは、一見ひとりよがりで遠慮のない祈りの言葉にみえます。
ですがその底に流れているのは神への信頼。信頼されたら黙ってはいられないのが私ども
の神様です、「神は彼の求めるところをゆるされた」と、この祈りの結果が書かれています。
ヤベヅのように大胆な祈りをささげたいものです。

磯部豊喜

みことばの花 181205「やさしく」

みことばの花181205「やさしく」

「むしろ、あなたがたの間で、ちょうど母がその子供を育てるように、やさしくふるまった。」(Ⅰテサロニケ 2:7)

今日は芸能会からのニュースですが、先に94歳でお亡くなりになられた小田章子(おだあやこ)さんのことを書き留めてみたいと思いました。
小田章子さんといっても、一般人には分からない。この方の芸名は赤木春恵さん。
出世地は中華民国吉林省長春県の日本人です。当時の満州生まれということでしょう。
私はこの人の記憶では、学園ドラマ金八先生の校長先生、ほとんど見た事はありませんが、世間では人気ドラマの「渡る世間は鬼ばかり」の嫁いびり役の姑です。
後者の役柄は強烈で、近所の人が、「あの怖い人とかかわりを持たないほうが良い」と言わしめたほどの芸達者。
しかし女優さんの衣を脱げば、とても「やさしい」人、「決して人の悪口を言わない人」だったそうです。
多くの人から慕われた人物から学ぶことは大きいです。
上記はパウロの言葉ですが、「ちょうど母がその子供を育てるように、やさしくふるまった」というのはパウロのみならず赤木春恵さんにも言える素敵な言葉です。
こんな人になれたら良いですね。まだまだ遥かに遠き、我が身かな…。

磯部豊喜

 

みことばの花 181204「名は不思議」

みことばの花 181204「名は不思議」

「主の使は彼に言った、『わたしの名は不思議です。どうしてあなたはそれをたずねるのですか』。」(士師記 13:18)

昨夜、海の中に生息する生物の中にとても興味深い生物がいることを知りました。
たとえば、魚を釣る魚。背びれの一つが擬似餌のようになっていて、目の前にそれをぶら下げる。
それに引かれて小魚が近づくと、大きな口を開けてぱくりと捕食。
この魚の名はカエルアンコウといいます。
また人間のように二本足で歩く珍しい烏賊(イカ)の種類、彼は餌に近づく時に、「抜き足、差し足で」歩いて餌に近づく時に二本足になるのです。
さらに海の妖精と言われる天使のような姿をしているクリオネが、ジンウキマイマイという浮遊性の巻貝を食する時には悪魔に変身するという。
この餌を発見したクリスオネは、バッカルコーンという6本の触手を出し餌を包み込み、その養分をゆっくりと吸い取る吸血鬼のようになる。
彼らが変化の共通点は食事の時。生きるためには豹変する。
悲しくもどこか人間に似ているような…。それにしてもこれらは創造の知恵。
彼らを生かすために備えられた神様の創造の知恵の世界を垣間見たような気がしました。

磯部豊喜