みことばの花 190201「安かれ」

みことばの花190201「安かれ」

「その日、すなわち、一週の初めの日の夕方、
弟子たちはユダヤ人をおそれて、自分たちのおる所の戸をみなしめていると、
イエスがはいってきて、彼らの中に立ち、『安かれ』と言われた。」(使徒 20:19)

人生には時々「おそれに」包まれることがあります。
この日、愛する主を十字架の上で失った弟子たちの心境が上記に記されています。
「弟子たちはユダヤ人をおそれて」とあります。
この「おそれ」のただ中に、何と復活されたキリストが彼らの真ん中に立たれた。
しかも戸が閉まっているというのに…。これは不思議な現象ですが、事実は事実。
キリストは言われます。「安かれ」と。
「おそれることはない、私はあなたと共にいる!」そうなのです。
今でもキリストは目には見えませんが、私のそばに間違いなくいてくださる。
これを復活信仰と呼ぶことが出来ます。
キリストは確かに死から甦った。それゆえ今、私のそばにおられます。
磯部豊喜

みことばの花 190131「いなくなる」

みことばの花190131「いなくなる」

「エノクは神とともに歩み、神が彼を取られたので、いなくなった。」(創世記 5:24)

上記において「いなくなる」という表現は死ぬことでありません。
エノクの場合は死を見ずして天国へ連れ去られ、いなくなった人。
ところで今日、エノクのように死を迎えることなく「いなくなる」人はいない。
ですがキリストは「私を信じる者は、たとい死んでも生きる」と言われます。
今週、Kさんという一人の素敵なキリスト者がお亡くなりになられました。
ですがこの方の場合、亡くなったことに相違はないのですが、
私にとっては、しばらく「いなくなった」に過ぎないという感覚なのです。
いずれ復活し、また会えるのですから。

磯部豊喜

みことばの花 190130「静まれ、黙れ②」

みことばの花190130「静まれ、黙れ②」

「イエスは起きあがって風をしかり、
海にむかって『静まれ、黙れ』と言われると、風はやんで、大なぎになった。」(マルコ 4:39)

昨日の続きです。
数日前に上記の聖句を思い浮かべていましたら、
また「あした浜辺を さ迷えば…」で始まる名曲「浜辺の歌」の替え歌の歌詞(讃美歌)が私の心に浮かびましたので、
今日はそれを紹介しましょう。

磯部豊喜作詞は、「ガリラヤ湖の歌」。
「一、ガリラヤの湖(うみ)の 浜をゆけば 主イエスのことを おもわるる 激しい嵐 迫りくとも ただ一言で 静まりぬ」
「二、この世の嵐も 迫りくとも 主イエスの御顔 仰ぎ見て 祈り求める われに襲う 悲しみ悩みも 消え去りゆく アーメン」。

よかったらどぞ口ずさんでみてください。
先日の母ばかりでなく、今週日曜日に教会の大切なメンバーも一人亡くなり、
どこかセンチメンタル(感傷的)になっているのかも知れませんが…。

磯部豊喜

みことばの花 190129「静まれ、黙れ」

みことばの花190129「静まれ、黙れ」

「イエスは起きあがって風をしかり、海にむかって『静まれ、黙れ』と言われると、風はやんで、大なぎになった。」(マルコ 4:39)

昨日、千葉県の最南端の白浜というところへ行きました。
「野島崎灯台」というのも見ました。昨日は風が強かったのか、大きな白波が強風にあおられて陸に打ち付けていました。
沖に大きな船がありましたが、キリストのおられたガリラヤ湖と嵐を脳裏に描きました。
そうだキリストは、激しい嵐の中に怯える弟子たちの前に舟の上に立って、風をお叱りになり、海に向かって「黙れ、静まれ」といっておられたな~と。
「すると風はやんで、大なぎになった」。この聖書の記録は、激しく揺れ動く私の心にも置き換えられる…と思います。
揺れる心に、キリストをお迎えしたい。そうすれば、きっと心の嵐も大なぎになるに違いない!

磯部豊喜

みことばの花 190128「雪」

みことばの花190128「雪」

「その姿はいなずまのように輝き、その衣は雪のように真白であった。」(マタイ 28:3)

一昨日、九十九里へ行きました。その道中で今年最初の雪が舞い降りていました。
畑一面は白一色。白色というものは良いものです。
これが原爆後に降った黒い雨のようであったら不気味です。
さて上記はキリストが十字架後に納められた墓から復活したときに、そのお手伝いをした天使の姿を描いています。
「その衣は雪のように真白であった」とあります。衣の真白はおそらく心の真白を表しているのでしょう。
天使の「真白な衣(心)」とは違い、今は「けがれた心」とはいえ、主の恵みによって「真白な心」へと一歩でも近づけたなら幸いです。

磯部豊喜

みことばの花 190127「心を強く」

みことばの花190127「心を強く」

「あなたがたも、主の来臨が近づいているから、耐え忍びなさい。心を強くしていなさい。」(ヤコブ 5:8)

今朝の新聞の第一面に「大坂全豪V=テニス4大大会2連勝=世界1位『大坂時代』幕開け」(朝日新聞)とありました。
大坂なおみ選手の快挙に、父の出身国のハイチと母の出身国の日本では喜びが沸いています。
元々、恵まれた体格、ずばぬけた身体能力を持つ大坂選手ですが、2014年では世界ランキング406位の少女。
「自分のメンタルは3歳並み」それが「今回は4歳になった」と自身の心の成長をユーモアを持って語っていました。
心を強くする…ということは、スポーツの世界ばかりではありません。
聖書は「主の来臨が近づいているから、耐え忍びなさい。心を強くしていなさい」と勧めます。
主の来臨とは、イエス・キリストが再びこの世界に来られること。
この信仰も、「心を強く」して持ち続けることが大切なのでしょう。

磯部豊喜

みことばの花 190126「人を救い、生かす日」

みことばの花190126「人を救い、生かす日」

「人々にむかって、『安息日に善を行うのと悪を行うのと、命を救うのと殺すのと、どちらがよいか』と言われた。
彼らは黙っていた。」(マルコ3:4)

金曜日の日没に迎えるのは、第七日安息日です。
今夜から一日、この聖なる神様との交わりに入れる人は幸いです。
ところで安息日を清く守ろうとすることに一所懸命な人々がいました。
神の御子イエス・キリストにかかわりを持ったパリサイ派の人々です。
安息日を清く守ることに熱心で、イエス様の安息日の過ごし方まで彼らはチェックするのです。
片手に障害を持つ人がいましたが、彼らは安息日にイエスがこの人を癒されるか否かに注目しました。
その時言われたのが上記の言葉。
イエス様は、何が一番大切なのかを人々に投げかけます。
安息日は人の生活態度をチェックし、人々の行動を制限する日ではなく、むしろ安息日は人々を救い、生かす日だと言われたのです。

磯部豊喜

みことばの花 190125「心に思い定める」

みことばの花190125「心に思い定める」

「ダニエルは王の食物と、王の飲む酒とをもって、自分を汚すまいと、心に思い定めたので、
自分を汚させることのないように、宦官の長に求めた。」(ダニエル 1:8)

今朝、「心に思い定める」という言葉に私の心は惹かれました。
ダニエルは、バビロン王の支配下におかれたユダヤ人の若者でしたが、是々非々の姿勢を貫きました。
その生き方の一つが「心に思い定める」という主義を持っていたことです。
確かな人生を歩むために、この一本筋の通った生き方に私はあこがれます。

磯部豊喜

みことばの花 190124「試練の解釈」

みことばの花190124「試練の解釈」

「わたしの兄弟たちよ。あなたがたが、いろいろな試錬に会った場合、
それをむしろ非常に喜ばしいことと思いなさい。」(ヤコブ 1:2)

試練のない人生はおそらくないでしょう。
しかし試練は常に仕事をします。
昨日、米国野球大リーグで永久欠番「42」の黒人選手ジャッキー・ロビンソンのことを知りました。
1919年ジョージア州カイロで生まれたジャッキーは、有色人種排除方針の中、
アフリカ系アメリカ人選手として有色人種第一号としてデビューし活躍しました。
肌が黒いというだけの理由で、相手の監督から罵声を浴びせられたり、
彼が所属しているドジャーズはチームそのものがホテルから宿泊拒否を受けたりもありました。
ですが彼の耐えるその姿に、チームは一つにまとまり勝ち進みました。
試練に耐えたジャッキーの姿は、今は大リーガーの勲章になっています。
忍耐はいつか必ず花が開く。
試練を前向きに受け止めて行きたいものです。
磯部豊喜

みことばの花 190123「食べる」

みことばの花190123「食べる」

「わたしはみ言葉を与えられて、それを食べました。
み言葉は、わたしに喜びとなり、心の楽しみとなりました。
万軍の神、主よ、わたしは、あなたの名をもって/となえられている者です。」(エレミヤ15:16)

今年2月号のサインズ誌に「食べ方を変えると人生が変わる」という見出しの特別記事が載っています。
その序文に「食べられることに感謝、作ってくれた人に感謝、
どのように食べるかで人生は変わる、食べ方が生き方となる」とあり、
「食べ方マナー、美しい食べ方」のことが書かれていました。
これを読み、人間の心の食べ物である聖書のみ言葉も食べ方が大切だと思いました。
美しくないみ言葉の食べ方は、他人の欠点を責めるために読むこと。
大切なことは、自分の心が砕かれて清らかな心になるために咀嚼する。
これが美しいみ言葉の食べ方でしょう。
そうすれば「食べ方が生き方となる」に違いない。

磯部豊喜