みことばの花 210209「人をさばくな」

みことばの花 210209「人をさばくな」

「人をさばくな。そうすれば、自分もさばかれることがないであろう。また人を罪に定めるな。
そうすれば、自分も罪に定められることがないであろう。ゆるしてやれ。そうすれば、自分もゆるされるであろう。」(ルカ 6:37 口語訳)

人の心を不安定にするものの一つ。それは「さばく」ことです。さばく人の心には安定感がない。
しかし人という者は悲しいかな「人をさばきたくなる」傾向を持っていないだろうか。
「さばかれる」側も同様の「さばき」の心をもって相手にリベンジしたくなる。これが民同士とか国同士になると戦争に発展するのです。
平和な心とは、「さばく」ことをしない心。攻める矛先を人に向けるのでなく、自分の内面に向けてみる。自分も同じことをしていないかと自問するのです。
矛を自分に向ける、そうすれば自分は可愛いので、さばきの手を休めることができるかも知れません。
さて、キリストは「人をさばくな」とか「人を罪に定めるな」と教えられます。
「他人をさばく」ことは実は「自分をさばく」ことに他ならないというのです。
解決先は「ゆるす」以外にない。人をゆるすことは自分もゆるされる保証となる。
心の平安がそのご褒美。
今日、主の平安が私を包みますように。

磯部豊喜

みことばの花 210208「やさしい言葉」

みことばの花 210208「やさしい言葉」

「いつも、塩で味つけられた、やさしい言葉を使いなさい。そうすれば、ひとりびとりに対してどう答えるべきか、わかるであろう。」(コロサイ 4:6 口語訳)

一昨日の新聞にこのような内容(実名は伏せてMさんにしました)の記事が載っていました。「大阪市の中学生のMさんは、テストで書き違いをした。
『肥満』のつもりがなぜか『脂満』に。しょげて話すと、兄が『その方が正解っぽいやん!』。父は父で『おとうさんのお腹は脂に満たされているぞ』。
家族の笑いに救われた」…こういう言葉のやりとりっていいなあとこの記事を読んで思いました。
何か、温かみを感じます。言葉の奥に家族の優しさが流れています。
暗いことに出会い、へこむことの多い人生かも知れませんが、こういう言葉の掛け合いが出来たらいいですね。
上記の聖句のように「やさしい言葉」を語れたらと、私も願うのです。
主の恵みが今日もありますように。

磯部豊喜

みことばの花 210207「忍耐」

みことばの花 210207「忍耐」

「主の前にもだし、耐え忍びて主を待ち望め。おのが道を歩んで栄える者のゆえに、悪いはかりごとを遂げる人のゆえに、心を悩ますな。」(詩篇 37:7 口語訳)

「なるぬ堪忍するが堪忍」という言葉があります。
「これ以上、がまんできないというギリギリの限界をじっと耐えることこそが、真の堪忍というもの」、という意味だそうです。
そうなると「堪忍袋の緒が切れる」というのは、もう堪忍ではないということになります。
昨日、礼拝説教の中で私は、後ろ向きの忍耐と前向きに忍耐があるのでは投げかけました。
ただ我慢するという生き方は、いつか爆発する可能性があるので後ろ向きの忍耐と表現しました。
ですが前向きな忍耐は、忍耐を楽しむ生き方。しかしこれは生身の人間では難しい。上記の聖句には、「主の前にもだし(黙して)、耐え忍びて主を待ち望め」とある。
前向きな忍耐は、主が最善に導かれると信じ黙して待つのです。
今週も主の支えがありますように。

磯部豊喜

みことばの花 210206「間違い」

みことばの花 210206「間違い」

「人々は『あなたは気が狂っている』と言ったが、彼女は自分の言うことに間違いはないと、言い張った。
そこで彼らは『それでは、ペテロの御使だろう』と言った。」(使徒12:15 口語訳)

「自分の言うことに間違いはない」と言える人は幸いです。実は今週、調べ物をしていて私の話に間違いがあったことを発見。
何かといいますと、米国大統領にルーズベルトという人が二人いたことを知ったのです。
私はルーズベルトと名の付く大統領は一人だと思い込んでいました。ところが事実は二人のルーズベルトがいました。
第25代大統領のセオドア・ルーズベルトと第32代のフランクリン・ルーズベルト。この二人は遠縁の「いとこ」でした。
セオドア・ルーズベルトは、ノーベル平和賞を授与されたルーズベルト。後者のフランクリン・ルーズベルトは、日本と戦った時の大統領でした。
それとは知らず、先週のライブ配信で「ノーベル平和賞を授与されたルーズベルトが日米間戦にもかかわった」と語ってしまいました。
時々、このような失敗をしてしまいます。この間違いは直ちに修正したいと思います。
明日のライブもどうぞ。
ハッピーサバス!

磯部豊喜
・・・・・・・
2月06日(土)ライブ配信 URL を送ります。
安息日学校 URL 2月06日(土)10:00 聖書の学び(イザヤーわが民をなぐさめよ)第6課「神を演じる」磯部豊喜
https://youtu.be/GGW0mL2oP0g
礼拝説教  URL 2月06日(土)11:00 説教題「ヨブの忍耐」磯部豊喜
https://youtu.be/VJM8A19qQBU

みことばの花 210205「柔和」

みことばの花 210205「柔和」

「柔和な人たちは、さいわいである、彼らは地を受けつぐであろう。」(マタイ 5:5 口語訳)

こういう一文があります。「山上の祝福の言葉の中には、クリスチャン経験の進歩のあとがたどられています。
キリストの必要を感じ、罪のために悲しみ、苦難の学校でキリストと共にすわった者は、天よりの教師から柔和を学ぶでしょう。」(思いわずらってはいけませんp17)
この世は罪の世ゆえ、不正な取り扱いを受けることがあります。そういうとき心は悲しくなるでしょう。あるいは、爆発したくなるかもしれません。
そういう理不尽とも思える境遇の中に置かれて、忍耐し、柔和であるということは難しい。
ですがキリストは「柔和な人たちは、さいわいである」と教えられます。イエス様は、彼の王国の主要な資格としてこの柔和を置かれます。
「彼らは地を受けつぐ」とある。どんなときにもぶれずに柔和と謙遜を身に着けることが出来たら幸いです。
今日も主の守りがありますように。

磯部豊喜

みことばの花 210204「魂に休みが」

みことばの花 210204「魂に休みが」

「わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。
そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。」(マタイ 11:29 口語訳)

上記の聖句を分かりやすいリビングバイブルでは、「わたしはやさしく、謙遜だから、あなたがたにふさわしい荷物をあげよう。
それを背負って、わたしの教えを聞きなさい。そうすれば、あなたがたのたましいは安らかになります。」私どもの背に負いかかる荷物。
時には「もう負いきれない、人生を閉じたほうが楽になる」と思い詰めてしまうことがあるでしょう。
キリストは、その私の荷物が完全になくなるとは語っておられません。
ただ「あなたがたにふさわしい荷物」に調整してくださるという。換言すれば「押しつぶされる荷物からは必ず解放します」、との約束です。
祈る時心の胆力(耐える力)も強めてくださる。こうして私どもの魂に休みが得られる。
この主の御言葉を覚えたいと思います。

磯部豊喜

みことばの花 210203「重荷を負って苦労している者は」

みことばの花 210203「重荷を負って苦労している者は」

「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。」(マタイ11:28 口語訳)

人間関係という蜘蛛の巣にかかり、お辛い状態に置かれているSさん。この方に、どんな言葉を送れば良いのだろう。
上記の御言葉と次のような一文を送りました。【「辛い」という字は、十字架の上に立つと書きます。一人で重荷を背負うと人生は辛い。
ですが、Sさんの傍には、目には見えないお方がおられて、その方が一緒にその重荷を背負ってくださっておられます。
この方に、荷を背負ってもらいつつ生活すると「幸せ」になります。「幸せ」の「幸」には十字架と十字架の中に立つがあります。
つまり、一人で重荷を負う状態は「辛い」のですが、イエス・キリストと共に十字架を負うと「幸せ」になります。
「幸」の上の十字架はわたしの負う重荷、その荷を背負う私をさらに背負って立ってくださる十字架のキリストがおられます。…】
私と私の重荷を背負ってくださる主がおられることは感謝です。

磯部豊喜

みことばの花 210202「キリスト復活の目撃者」

みことばの花 210202「キリスト復活の目撃者」

「わたしが最も大事なこととしてあなたがたに伝えたのは、わたし自身も受けたことであった。
すなわちキリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死んだこと、」(Ⅰコリント15:3 口語訳)

昨日「パウロの中心メッセージが十字架と復活」だと書きましたが、上記聖句箇所にもそれが記されています。
「キリストの復活はパウロだけの体験ではないか」と思う人もあるかもしれません。ですがパウロは続いてこのようにも書いています。
「そして葬られたこと、聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえったこと、ケパに現れ、次に、十二人に現れたことである。
そののち、五百人以上の兄弟たちに、同時に現れた」(Ⅰコリント15:4~6 口語訳)。
キリストが復活されたことを味わった体験者がパウロ一人ではなかったことが分かります。
キリストの復活は、パウロという一人の秘密体験ではないのです。
そしてこのキリストの復活という事実は、キリスト者の死後の復活を約束します。
ここにキリスト者の究極の希望があります!
今日も主の守りがありますように。

磯部豊喜

みことばの花 210201「パウロの証④―中心メッセージ」

みことばの花 210201「パウロの証④―中心メッセージ」

「すなわち、キリストが苦難を受けること、また、死人の中から最初によみがえって、この国民と異邦人とに、光を宣べ伝えるに至ることを、あかししたのです」(使徒 26:23 口語訳)

上記をリビングバイブルでは次のように訳されています。
「私が話しているのは、キリストは苦しみを受け、死人の中から最初に復活して、ユダヤ人にも外国人にも光をもたらす、ということだけなのです」(同上23節)。
回心後のパウロの中心メッセージがここに述べられています。それはキリストの苦難と死、そして死からの復活です。
彼はよみがえったキリストを目撃しました。そのことによって人生の意味と目的が分かった。
「生きることはキリストであり、死ぬことは益である」(ピリピ1:21)のだと。
キリストと結ばれる人にとって死は「一巻の終わり」ではなく、死は「第二巻の始まり」の序章に過ぎません。
パウロの中心メッセージである「死と復活」には大いなる希望があります。
今日も主の恵みがありますように。

磯部豊喜

みことばの花 210131「パウロの証③―任命」

みことばの花 210131「パウロの証③―任命」

「さあ、起きあがって、自分の足で立ちなさい。わたしがあなたに現れたのは、あなたがわたしに会った事と、
あなたに現れて示そうとしている事とをあかしし、これを伝える務に、あなたを任じるためである。」(使徒 26:16 口語訳)

これはパウロに語られて復活の主の言葉です。上記の続きをさらに紹介しましょう。
「心配はいらない。あなたを、ユダヤ人からも外国人からも守ろう。あなたは外国人のところに派遣するのですから。
人々の目を開き、自分の本当の姿に気づかせ、罪を悔い改め、悪魔の暗やみから出て、神様の光の中に生きるようにするために。
わたしを信じる信仰によって、彼らは罪の赦しを受け、きよくされたすべての人たちと共に、神様の相続財産を受けるようになるのだ。」(リビングバイブル・使徒26:17、18)
キリストはパウロを任命するにあたり、彼がその役割を果たすまで、彼を守ることを約束されるのです。

磯部豊喜