みことばの花 180618「足は…」

みことばの花180618「足は…」

「この四十年の間、あなたの着物はすり切れず、あなたの足は、はれなかった。」(申命記 8:4)

今日は足を鍛える話です。サインズ誌7月号の特別記事に「スクワットで体も心の若返る!」という題で、順天堂大学医学部教授の小林弘幸氏が、ものぐさな私でも出来る健康の提案を書いてくださっていました。スクワットをすると、足腰が丈夫になり、免疫力は上がり、認知症の予防にもなる、心も前向きになる…などと利点があげられていました。スクワットとは、両足を開いて、背を延ばしつつ、ゆっくりと(1,2,3,4と数えて)膝を90度あたりまで曲げて延ばすだけの運動。意識を太ももに集中させ、腰は曲げない。手を頭の後ろに組むと良い。食前や入浴前に行なうとさらに良いらしい。毎日朝晩10回程度ですから1~2分もあればすぐ終ります。これはいいですね。イスラエルの人々は昔、荒れ野を歩き回っていました。ですが足は、はれなかった。これは浮腫(むく)まなかったということでしょうか。彼らもスクワット体操をしていたのかも?…。どうぞ試してみてください。良い事はすぐにしたくなる私なのです。主の守りが今日もありますように。

磯部豊喜

みことばの花 180617「健康」

みことばの花180617「健康」

「見よ、わたしは健康と、いやしとを、ここにもたらして人々をいやし、豊かな繁栄と安全とを彼らに示す。」(エレミヤ 33:6)

講演会などで人生の関心度アンケートを取りますと、①健康、②老後、③人間関係、④教育(子育て)、⑤宗教(人生)といった順番になる場合が多いです。断トツで関心が深いのは何といっても健康です。今月のサインズ誌7月号は、「健康」が取り上げられていました。そのサインズの巻頭言を紹介しましょう。「規則正しい生活は、人に健康と富、そして賢明さを与えてくれる」(ベンジャミン。フランクリン)。確かに健康の鍵は、規則正しい生活かも知れないと思います。一番良いのは早寝早起き。これが私が今一番苦手な一日のサイクル。心に留めたいと思いました。次ぎに「人生にとって健康は目的ではない。しかし最初の条件なのである」(武者小路実篤)。この言葉もう~んと感じ入るものがあります。私にとって人生の目的は、神様を知ることですが、これも健康を損ねてしまうと、そのような思いが弱くなります。サインズには続いて「スクワットで体も心も若返る!」というなかなかいい記事が載っていました。明日はそのポイントを紹介しましょう。私も始めました、スクワット!

磯部豊喜

みことばの花 180616「魂をみ手に」

みことばの花180616「魂をみ手に」

「わ616「魂をみ手に」たしは、わが魂をみ手にゆだねます。主、まことの神よ、あなたはわたしをあがなわれました。」(詩篇 31:5)

先週の安息日のことです。この「みことばの花」を配信させていただいている一人、私の愛すべき主にある兄弟(Yさん)がしばらくの眠りに就かれました。Yさんは、とても優秀な学歴、職歴をお持ちの方でしたが、そんなことを全く出さない謙遜な方でした。この方のおられる教会の若者たちは、Yさんご夫妻をとても慕っておられたことを、告別式の中から教えていただきました。このYさんの最期の日(6月9日の安息日)、体調が少し思わしくなかったようで自宅で集会に。この日の朝、奥様と共にわたしの配信する「みことばの花180609平和の絆」を読み、共に祈って安息日の朝をスタート。そしてインターネット放送の礼拝に参加し、その数時間後に眠りに就かれたとのこと。何と見事な最期でしょうか。Yさんの最期に相応しい聖句を探しました。上記の聖句が、私の目に留まりました。まさに人生を主にゆだね切ったYさんではなかったかと思います。またお会いできる朝を楽しみにしています。主の慰めがYさんご家族の皆様に上にありますように。ハッピ、サバス!

磯部豊喜

みことばの花 180615「みごと」

みことばの花180615「みごと」

「これが枝を出し、実を結び、みごとなぶどうの木となるために、わしはこれを植えた苗床から水の多い良い地に移し植えた。」(エゼキエル 17:8)

天の神様が私どもに期待していることがあるようです。それは私と言う人生のぶどうの木が、「枝を出し、実を結び、みごとなぶどうの木となる」ということです。良い地に移植して、それを願う神様の心があります。私と言うぶどうの木の置かれた環境は、私をどのように成長させてくれるでしょうか。良い地だと思える所でつまづく人があるとおもえば、反対にいやな環境だと思えるところで成長する人もいます。そう考えると、結局、成長の鍵とは人の置かれた場所というよりも、その場所で「いかに咲くか」ということなのでしょうか。「置かれた場所で咲きなさい」と語ったのは、故渡辺和子氏でしたか。しかしどうしても耐えられない時は、つぶされそうな時は、「環境も変えてください」と祈っても良いでしょう。ですが多くの場合、いやな環境を忍耐を持って過ごす時に、人は「みごと」な成長を遂げるような気がします。ところで上記の聖句は、神様に期待され良い環境に置かれたにもかかわらず、枯れてしまう者たちの姿を描いています。人生とは不思議なものです。今日も主の守りがありますように。

磯部豊喜

みことばの花180614 「雨の日にも歌う鳥」

みことばの花180614「雨の日にも歌う鳥」

「わたしは常に主をほめまつる。そのさんびはわたしの口に絶えない。」(詩篇 34:1)

雨の日に歌う鳥はあまりいません。ところが「駒鳥」という鳥は雨の日でも歌うといいます。ある詩人はこの駒鳥を指して「駒鳥だけは雨の中でも歌ってくれる。我々も歌おう」という言葉を残しています。人生の嵐の雨を前にして歌えるでしょうか。しかしここは駒鳥をならいたいと思います。上記の聖句には「常に」「絶えない」という言葉をもって、「主をほめまつる」「さんびはわたしの口に」を彩(いろど)っています。どんな時にも、賛美する心を持つことは感情的には難しいことでしょう。ですが、それでも賛美をしたい。涙を流しつつも賛美したい。そのとき、きっと心は晴れるに違いない。今日も「神様を賛美する」ために「雨の中でも歌うために」、私の人生があることを心に刻んで過ごしたいと思います。人知を超えた主の愛が今日もありますように。

磯部豊喜

みことばの花 180613「平和の神」

みことばの花180613「平和の神」

「最後に、兄弟たちよ。いつも喜びなさい。全き者となりなさい。互に励まし合いなさい。思いを一つにしなさい。平和に過ごしなさい。そうすれば、愛と平和の神があなたがたと共にいて下さるであろう。」(Ⅱコリント13:11)

「そうすれば、平和の神があなたがたと共にいて下さる」という一文が、書かれています。「そうすれば…」というのは、これこれの条件の下で、こういうことになる…という言葉です。「平和の神」が好まれるところがあります。それは「いつも喜ぶ人」「全き者」「互いに励まし合う人々」「思いを一つにする人々」。こういう人(人々)のところへは「平和の神」が共におられるという。ところで「いつも喜ぶ人」「全き者」「互いに励まし合う人々」「思いを一つにする人々」などというと、とても難しく聞こえます。ですが「極力」とか「意識して」とか、あるいは「目指す」…という修飾語を前に添えて読むと分かりやすい。「極力、いつも喜ぶ人」「全き者を目指す人」「極力、励まし合う人々」「意識して、思いを一つにする人々」とするならば、高いハードルと思える内容もが少し低くなると思います。「平和の神」が自分のそばにいてくださる者に一歩でも近づけたら幸いです。主の恵みが今日もご家族の上にありますように。

磯部豊喜

みことばの花 180612「立ち帰るために」

みことばの花180612「立ち帰るために」

「後の日になって、あなたがなやみにあい、これらのすべての事が、あなたに臨むとき、もしあなたの神、主に立ち帰ってその声に聞きしたがうならば、」(申命記 4:30)

おそらく多くの宗教は、苦しみや悲しみ、病気やすべての不幸に思えることは、生前から定まった因縁(いんねん)だからあきらめよ…と教えていると思います。ところがキリスト教は聖書の言葉を通して、苦難や試練、病とか死は、神から離れた結果であると共に、神様はそれらを通して人間本来の立ち位置に戻るように教えます。人間本来の立ち位置とは、神様と向きあって歩む生活です。上記の聖句にも「なやみ」とか「すべての事(歓迎したくない事)」は、「あなたの神、主に立ち帰る」という機会が開かれることを伝えています。悲しみや苦しみなどは皆罪の結果であるけれども、反対にそういうものを通して神は、もう一度神に立ち帰る道を用意しておられるというのです。続く聖句には「あなたの神、主はいつくしみの深い神であるから、あなたを捨てず、あなたを滅ぼさず、またあなたの先祖に誓った契約を忘れられないであろう。」との約束があります。悩みとか苦しみの「るつぼ」の中にも、主の優しい御顔(みかお)がある。今日も主の恵みがありますように。

磯部豊喜

※「るつぼ」=金属をとかすのにつかう壷

みことばの花 180611「悲しみの人」

みことばの花180611「悲しみの人」

「彼は侮られて人に捨てられ、悲しみの人で、病を知っていた。また顔をおおって忌みきらわれる者のように、彼は侮られた。われわれも彼を尊ばなかった。」(イザヤ 53:3)

今日も讃美歌を書かせていただきます。「①身に負いえぬ 悲しみは 深くうずめん ほかぞなき  はやくゆきて ほうむれよ 負いなやみし 汝(な)がおもに」、「②なさけふかき イエス君(きみ)は 汝がかなじみ 知りたもう はやくゆきて 告げまつれ こころのやみ とく晴れなん」、「③こころのやみ はれもせば なおなやめる 世のひとに はやくゆきて 知らせよや すくいぬしの みめぐみを」(旧讃美歌523番)。これは私の好きな讃美歌の一つで、かつてよく口ずさんでいました。私たちの悲しみは、どこにもって行けば良いのでしょう。悲しみを持っていく場を、持っている人は幸いです。それは「悲しみの人」(イエス・キリスト)です。誰よりも人の悲しみを知っているお方は、私どもの悲しみを理解してくださいます。悲しみに包まれるとき、このお方のもとへ告げ知らせましょう!私の悲しみは必ず癒されます。主の恵みが今日もありますように。

磯部豊喜

みことばの花 180610「低くされること」

みことばの花180610「低くされること」

「だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう。」(マタイ 23:12)

讃美歌に「①主よわれをば とらえたまえ さらばわが霊(たま)は 解き放たれん わがやいばを くだきたまえ さらばわが仇(あだ)に 打ち勝つをえん」、「②わがこころは さだかならず 吹く風のごとく たえずかわる 主よみ手もて ひかせたまえ さらば直き道 ふみ行くをえん」、「③わが力は よわく乏し 暗きにさまよい 道に悩む あまつ風を おくりたまえ さらば愛の火は 内にぞ燃えん」、「④わがすべては 主のものなり 主はわがよろこび また幸なり 主よ聖霊(みたま)を 満たしたまえ さらば永遠(とこしえ)の 安きを受けん」(旧讃美歌333番、希望の讃美歌383番)。①~④のどの歌詞も心にズシンときます。人生はガラスのような海をスーと流れるように進めばどんなに良いかと思いますが、嵐があります。特に激しい嵐は心の中に襲う嵐。この嵐の意味を考えてみました。上記の聖句にあるように真に高くされるために「低くされる」嵐があるのでは…。であれば嵐も大きな役割を持っていることになります。今日も主の守りがありますように。

磯部豊喜

みことばの花 180609「平和のきずな」

みことばの花180609「平和のきずな」

「平和のきずなで結ばれて、聖霊による一致を守り続けるように努めなさい。」(エペソ 4:3)

絆(きずな)というのは素敵な言葉です。国語辞典には「断とうにも断ち切れない人の結びつき」とあります。一度、結ばれた絆は出来る限り断ち切らないようにしたいものです。夫婦の絆、親子の絆、友と友の絆…いちど築かれたものは本来とても尊いものです。浅い絆になるのか深い絆になるのかは、当人の心がけ次第でしょう。聖書には、「絆」に加えて「平和の」が加えられています。「平和の絆」を築くことができたら素晴らしいです。そのためのキーワードは、続く言葉に見られます。「聖霊による一致を守る」…換言(かんげん=他の言葉に言いかえると)すれば、「神様を生活の中心にお迎えして、心を一つにされるように努力し、互いに仲良く暮らす」となるでしょうか。神様とまず一つになること、そして人と人の間が一つになることは切り離して考えられないことだと思います。今日は第七日安息日、神様と一つになれるチャンスの日です。キリストの愛に触れて、「平和なきずな」作りの一週間生活のスタートを切りたいと思います。ハッピ、サバス!

磯部豊喜