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みことばの花 200615「永遠を思う」

みことばの花 200615「永遠を思う」

「・・・神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。…」(伝道の書3:11中句 口語訳)

次の一文をみました。

「無限に生きたいという願いは一つの議論です。
もし神がそれをお喜びにならなければ無限に生きたいという気持ちを、すべての人にお与えにならなかったでしょう。
…永遠の愛と生命を望むならばその望みを満足させる永遠の生命と愛があるはずです。」(F・W・ロバートソン)

私たちは自分が死ぬことを知っています。
しかし一方で、自分がずっと生きられるかのような感覚もあります。
「永遠の生命」が聖書には、当然あるものとして記されています。
その思いは神から授けられたもの。永遠の愛と生命のある世界を素直に受け止め、かつ求めていきたい。
今日も主の恵みがありますように。

磯部豊喜

みことばの花 200614「ふさわしく」

みことばの花 200614「ふさわしく」

「語る者は、神の御言を語る者にふさわしく語り、奉仕する者は、神から賜わる力による者にふさわしく奉仕すべきである。」(Ⅰペテロ4:11上 口語訳)

上記の聖句をいろどるもの、それは「ふさわしく」という言葉です。
「語る者は…ふさわしく語り」、「奉仕する者は…ふさわしく奉仕」せよと勧めています。
これは背伸びすることを奨励しているのではありません。身の丈のことをしなさいと教えています。身の丈以上のことをすると、疲れます。
人にはそれぞれ賜物があります。賜物は与えられたものですから、そのまま「ふさわしく」果たせばよいのです。
そしてその目的がこう続けて書かれています。「それは、すべてのことにおいてイエス・キリストによって、神があがめられるためである。
栄光と力とが世々限りなく、彼にあるように、アァメン。」と。
自分を喜ばすためではなく、神をあがめるために「ふさわしく」生活する。
そうすれば決して人は、高慢になったり自慢したりしないと思います。
今日も主の守りがありますように。

磯部豊喜

みことばの花 200613「預言」

みことばの花 200613「預言」

「まことに主なる神は/そのしもべである預言者にその隠れた事を/示さないでは、何事をもなされない。」(アモス 3:7 口語訳)

聖書に良く出てくる単語に「預言者」という言葉とか「預言」があります。この真意は「予言」とは異なります。
「預金」の「預」という漢字が使われています。「予言」の「予」は、「予告」の「予」ですから、将来のことを指しています。
では「預言」は何かと言いますと、「神から預かった言葉」です。「預言者」は「神から言葉を預かった者」となります。
ですが相手は神さまですから、将来のことも指し示すことは得意中の得意です。
ですから漢字の「預」に「予」が入っているように、「預言」には「予言」も含まれています。
上記の御言葉は「予」を強調している内容です。神様は将来のことを含めて「そのしもべである預言者」に告げられます。
そしてその的中率は100%なのですから不思議です。
聖書の「預言」に今日も触れるために教会の扉(ライブ配信を含めて)を開いてください。
ハッピーサバス!

磯部豊喜