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みことばの花 200731「バプテスマ」

みことばの花 200731「バプテスマ」

「自分の罪を告白し、ヨルダン川でヨハネからバプテスマを受けた。」(マタイ 3:6 口語訳) 

以前に書いたことがありますが人生には選べるものと選べないものがあります。
まず自分の人生の始まりは、選べない。生みの親や自分に備えられた遺伝子も選ぶことは出来ません。
ですが人生に深く関わりのある次の三つは選ぶことができます。①結婚、②仕事、③人生の価値観。
私はこの三つのうちで最も大切なものは、③人生の価値観の選択だと受け止めています。
さて、上記の聖句は、創造の神を知った人が、そこに人生の価値を見いだし、自らが神に人生の拠り所があると表明する行為で「バプテスマ」と呼びます。
神の御子イエスは、罪なきお方でしたのでバプテスマを受ける必要がありませんでした。
しかし自ら進んで人類の模範としてヨハネからバプテスマを受けました(マタイ3章13~17節】口語訳)。
バプテスマは人生の最良の選択なのです。
今日も主の恵みがありますように。

磯部豊喜
・・・・・・・
明日8月1日のライブ配信 URL です。明日の礼拝時に、上記にあるバプテスマ式が予定されています。人生の拠り所を得られた方々の最初の行為をどうぞご視聴ください。
安息日学校(聖書の学び) URL 8月1日(土)10:00 第5課「聖霊に力づけられてあかしする」磯部豊喜
https://youtu.be/uhPgmAstLF8
礼拝説教  URL 8月1日(土)11:00 「新しい人生の出発―バプテスマ」 磯部豊喜
https://youtu.be/IIzNy8gOwOY

みことばの花 200730「正しいさばき」

みことばの花 200730「正しいさばき」

「わたしは主が苦しむ者の訴えをたすけ、貧しい者のために正しいさばきを行われることを知っています。」(詩篇140:12 口語訳) 

75年前に原爆が投下されました。あの時に降った黒い雨はかなりの広範囲に及んだそうです。
昨日、その黒い雨を浴びた人たちが被爆者と認められるよう求めた訴訟が行われ、原告の勝訴で幕を閉じました。
この訴えは75年間退けられていたのでしょうか。これまでは黒い雨の雨量の大小で機械的な線引きが定められていたとのことです。
小雨と判断された地域の方々は、被爆の影響と思われる症状と闘っていたとのこと。
それにしても75年も経て訴えが認められたというのは驚きです。人の世界に「正しい裁き」は難しい。
ところで上記には、「主が…正しいさばきを行われることを知っている」とあります。
過つことのない天のさばきがあることを覚えたい。地球の歴史が一新する時には、すべての出来事の顛末が明らかにされると私は心から信じています。
それまで信仰と忍耐…が必要です。
主の守りが今日もありますように。

磯部豊喜

みことばの花 200729「免疫力」

みことばの花 200729「免疫力」

「悪に負けてはいけない。かえって、善をもって悪に勝ちなさい。」(ローマ 12:21 口語訳)

ユーチューブで、若いお医者さんの「免疫力をつける方法」という話を視聴しました。
なかなか上手なスピーカーで、「コロナにかかっても大丈夫な免疫力をつける方法3つ」という話でした。
①適度な筋力をつける、②食事(魚と野菜を食べよう)、③複式呼吸を訓練…こういう話だったと思います。
特に③がオリジナルとのことですが、これを視聴し試みた人の投稿に「COPD(慢性閉塞性肺疾患)になった父がこの呼吸方法を練習しているうちに、
結構症状が軽くなった!」とありました。
備えあれば憂いなし。実践したいですね。
ところで免疫力とは、「ばい菌が入って来ても生き残る力」と医師は解説。
これは心にも言える。聖書は「善をもって悪に勝ちなさい」といいます。
善は心の免疫力だと思います。

磯部豊喜

みことばの花 200728「いなずま」

みことばの花 200728「いなずま」

「ちょうど、いなずまが東から西にひらめき渡るように、人の子も現れるであろう。」(マタイ 24:27 口語訳)

ここのところ「空模様が怪しい」。今日は晴れだと思って窓を開けていると、
突然に「ピカー」と光った後に「ドーン」と地響きが届き、急ぎ窓を閉めることが度々です。
「晴れのち曇り、処によってはにわか雨」と、どんな天気でも当たるような天気予報。
今日も「1時間100ミリの雨が降る所もある」とのこと。
ところであの「ピカー」と光る「いなずま」は聖書にもよく記されています。
私は「いなずま」を見るたびに上記の聖句を思い出します。
「人の子も現れるであろう」とありますが、これは、「人の子」なるイエス・キリストが「現われる」との予告です。
聖書はイエス・キリストが再びこの世界に戻って来られることを約束しています。
これは覚えておきたい聖書の珠玉の約束。
罪と死の歴史は終り、真の愛と命の歴史が始まるからです。

磯部豊喜

みことばの花 200727「黄金律」

みことばの花 200727「黄金律」 

「だから、何事でも人々からしてほしいと望むことは、人々にもそのとおりにせよ。これが律法であり預言者である。」(マタイ 7:12 口語訳)

この聖句は、一般に聖書の「黄金律」と呼ばれています。
なぜそうなったのかは分かりませんが、儒教(孔子)「己の欲せざるところ、他に施すなかれ」とか、ヒンドゥー教「人が他人からしてもらいたくないと思ういかなることも他人にしてはならない」、イスラム教(ムハンマド)「自分が人から危害を受けたくなければ、誰にも危害を加えないことである」の教えに似ているからかも知れません。
ですがよく吟味してみますと、キリストの御言葉と他は何かが違うと私は感じます。
他はみな「しない」に重きがおかれていますが、キリストの御言葉には「せよ」という積極性がみられます。
果たして私はどちらの言い回しを好むでしょうか。
「して欲しくないことしない」というのか、「して欲しいことをする」というのか…。
今日も主の恵みがありますように。

磯部豊喜