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みことばの花 200820「口」
みことばの花 200820「口」
「口を守る者はその命を守る、くちびるを大きく開く者には滅びが来る。」(箴言 13:3 口語訳)
「口は災いの元」とはよく知られた言葉です。実に聖書にも口にまつわる聖句がたくさんあります。
例えば「舌は小さな器官ではあるが、よく大言壮語する。見よ、ごく小さな火でも、非常に大きな森を燃やすではないか。」(ヤコブ3:5 口語訳)とか、
口のために要職を辞した人もいます。口を制する人は、最も賢い人かも知れません。
となると一番の安全は無口なのでしょうが、私どもが生活する上にしゃべらない訳には行きません。
「たった一言が、人を苦しめ、たった一言が、人を慰める。主よどうか後者の口をください」と、日々祈りつつ生活をしたいと思います。
「口を守る者はその命を守る」。隣人を祝福する口を持ちたいものです。
主の恵みが今日もありますように。
磯部豊喜
みことばの花 2008019「夏のうちに」
みことばの花 2008019「夏のうちに」
「ありは力のない種類だが、その食糧を夏のうちに備える。」(箴言 30:25 口語訳)
昨日の新聞の見出しに二つのことが記されていました。
一つは「GDP(国内総生産)戦後最悪の下落」、今一つは「浜松41.1度」…これまでの国内最高と並ぶ」とありました。
両者の記事は低いことと高いことでは実に対象的ですが、私ども人間にとっていずれも生活することにおいて心地の良いものではありません。
そのような中で発見した聖句が上記の御言葉。このみ言葉には「夏のうちに備える」という言葉があります。
いつ何時何が起きても大丈夫という備えの必要がこのメッセージの中にあります。夏は暑く、厳しい。
ですが同時に雨さえあれば作物が成る。これをチャンスと考え、冬に向けてこつこつと備えるアリの勤勉さにならえと教えているようです。
アリを参考に厳しさの中にチャンスの風穴はないかと活路を見いだす生き方をしたいものです。
磯部豊喜
みことばの花 200818「優しい舌&心」
みことばの花 200818「優しい舌&心」
「優しい舌は命の木である、乱暴な言葉は魂を傷つける。」(箴言 15:4 口語訳)
俳優の渡哲也さんが78歳の生涯を閉じられたとTVや新聞で知りました。
「男気のある人」、「男が惚れる男」…いろいろと報道されています。
渡哲也さんについて誰もが異口同音に語っているのは「優しい人」。やはり人の心に残る人というのは「優しい人」なのでしょう。
ちょっとした心配り、常に心のアンテナを他人の心に合わせて受信できる人は素晴らしいと思います。
御言葉に、「優しい舌は命の木である」とあります。人の心を慰め元気づけが出来る優しい舌を持ちたい。
ですが「優しい舌」は、きっと心の優しさに比例する。私は自分の語る舌を録音し続けたらどんな結果になるのか…と時々考えます。
それと同時に心を覗いてみたい。私の語る心の言葉も果たして優しいのだろうかと。
真に優しいキリストの心を、私の心にも移せればと願うのです。
磯部豊喜
みことばの花 200817「心にとめる」
みことばの花 200817「心にとめる」
「最後に、兄弟たちよ。すべて真実なこと、すべて尊ぶべきこと、すべて正しいこと、すべて純真なこと、すべて愛すべきこと、すべてほまれあること、
また徳といわれるもの、称賛に値するものがあれば、それらのものを心にとめなさい。」(ピリピ 4:8 口語訳)
「悪魔は人の心を悪い思いで満たすだけでなく、人の心から良い思いを取り除こうとする」(CSルイス)という言葉を見たことがあります。
これは言い換えると、良い心にしてくれる思想に触れないようにするということでしょう。
人の心が汚されないためには、良い思想を常に補うことが大切です。
上記の聖句には「すべて真実なこと、すべて尊ぶべきこと、すべて正しいこと、すべて愛すべきこと、すべてほまれあること、
また徳といわれるもの…それらのものを心にとめなさい」と勧められています。
聖書の中には、人の心を良くしてくれる内容が満ちています。上記の御言葉もその一つだと思います。
人に精神的真空状態はなく、何かを取り込みつつ生きていると思います。
出来る限り、心に良きものを取り込む選択をしたいものです。
磯部豊喜
みことばの花 200816「誇るべきもの」
みことばの花 200816「誇るべきもの」
「それは、『誇る者は主を誇れ』と書いてあるとおりである。」(Ⅰコリント 1:31 口語訳)
車のナンバープレートで人気のある地域調査では1位「横浜」、2位「湘南」、3位「品川」、4位「神戸」、5位「川越」…となっているとのこと。
私が30代の頃は「品川」が断トツ1位で、当時東京大田区に住んでいた私の車のナンバープレートはその「品川」。
転勤になっても替え難くしばらくそのままに。
ですが今日、新型コロナの影響を受け、東京都内ナンバーの車の持ち主は、他県での走行に心が小さくなっているような気がします。
現在、私の車は「多摩」ナンバーですが「千葉在中だよ」と心の中で小さくつぶやきます。これも妙な気持ちです。
さて、人の誇りは自分がどこに住んでいるとか、どんな名称のナンバープレートを持っているかではない。
聖書には「誇る者は主を誇れ」とあります。主イエスを誇る…これはどこに住もうと、都民であろうが、どこの県民であろうが、関係のないことです。
命を懸けて私どもの救い主となられた主イエスこそ私の人生の誇りです。
今日も主の恵みがありますように。
磯部豊喜