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みことばの花 200830「励む」

みことばの花 200830「励む」

「だから、愛する兄弟たちよ。堅く立って動かされず、いつも全力を注いで主のわざに励みなさい。主にあっては、あなたがたの労苦がむだになることはないと、あなたがたは知っているからである。」(Ⅰコリント 15:58 口語訳)

安倍首相の辞任に伴い、後継者が誰になるのか…と関心が高まりつつありますが、新型コロナの収束も見られない今、日本社会には課題が山積みのような気がします。
こういう時、「私が総理になれば…」などとビジョンを掲げ、声高にそれを語れる人が果たしているのでしょうか。
単に総理という座席を求めるのではく、明確なビジョンを掲げ実行する人に後を継いで欲しいと私は願い祈ります。
さて、上記の御言葉には「堅く立って動かされず、いつも全力を注いで主のわざに励みなさい」とあります。
国政も信仰の世界も、こういう人が求められていると思います。
「主よ、わたしは今、隣人を祝福するために何をすればいいのでしょうか」と謙虚に主の指示を仰ぎ、歩んで行きたいものです。
今週も主の恵みがありますように。

磯部豊喜

みことばの花 200829「安息日の休み」

みことばの花 200829「安息日の休み」 

「こういうわけで、安息日の休みが、神の民のためにまだ残されているのである。」(ヘブル 4:9 口語訳)

昨日、安倍晋三首相が持病再発のために総理大臣をお辞めになると発表されました。
総理大臣という仕事の重責感は、筆舌に尽くしがたいものがあると思います。
良くやって当たり前、少ししくじれば突かれる…これがリーダーの宿命です。
さて、総理大臣とまでは言いませんが、おそらく人は誰でもストレスを抱える者だと思います。
私も痛風持ちなのですが、痛風に結び付くと言われる飲食はしていません。
医者によれば、遺伝かストレスとのことですが、こういうとき、「安息日の休み」があることは有難いことです。
セブンスデー・アドベンチストのクリスチャンは第七日安息日(土曜日)には世間の喧騒から離れて、心の休みの世界(教会)に入ることが出来ます。
仕事や学業から離れ、安息日の休みを味わえる人は幸いです。
ハッピーサバス!

※今日は、素敵なメッセンジャーを招待しています。
ライブ配信を覗いてみてください。

磯部豊喜
・・・・・・・

安息日学校(聖書の学び) URL 8月29(土)10:00 第3期第9課「人を引き付ける態度を育てる」 花田憲彦(教団メディア出版局長)
https://youtu.be/ACoJQECuZB8
礼拝説教  URL 8月29(土)11:00 説教題:「主よ、『はい』と言わせて」花田憲彦
https://youtu.be/-DdmXJ62GKg

みことばの花 200828「信仰とは信頼」 

みことばの花 200828「信仰とは信頼」 

「主の恵みふかきことを味わい知れ、主に寄り頼む人はさいわいである。」(詩篇 34:8 口語訳)

聖書の中によく登場する単語の一つに「さいわいである」という言葉があります。
上記もその一つですが、ここでは「主に寄り頼む人はさいわいである」と記されています。
「寄り頼む人」とは、「信仰する人」のことを指しています。というのは「信仰とは信頼」に他ならないからです。
信頼のない信仰は、単なる掛け声であって真の信仰ではない。
私に命を与え、母の胎内でそれを育成してくださった方のことを聖書では創造の神と呼んでいます。
そのような神様ゆえ、何事も任せて大丈夫なのです。ところが神は目には見えないので、この「信頼」することがなかなか出来ません。
そこで目に見えない、見ることの出来ない神は何と、人になって来られた。それがイエス・キリストの本質。
そして神に信頼する生き方を教えてくださった。「主に寄り頼む人はさいわいである」。
日々、私にとって自分の思いではなく、主の最善を見る目を養って生きたいと思います。

磯部豊喜

みことばの花 200827「ほめる」

みことばの花 200827「ほめる」

「自分の口をもって自らをほめることなく、他人にほめさせよ。自分のくちびるをもってせず、ほかの人にあなたをほめさせよ。」(箴言 27:2 口語訳)

「ほめる」ことは、もろ刃の剣。「ほめる」ことで人は元気づけられる場合もありますし、それが過ぎると鼻が高くなってしまいます。
ですから箴言25章27節には「蜜を多く食べるのはよくない、ほめる言葉は控え目にするがよい」と釘を刺します。
それでも人は欠点を羅列されるよりも、ほめられて良くなる場合があります。
9月号のサインズ誌より「ほめ達」(ほめることが達者)という言葉を知りました。依頼された職場へ客となって、その店の姿をチェックするという役割です。
そのとき欠点100、良い点20が見えた場合、良い点はすべて報せ、欠点は改善できそうなものを2点に絞って伝えるという。
そうしますと不思議なことに他の欠点も解消されるという。人の欠点を多く告げるよりも、良い所を探す訓練をしたいものです。
しかしほめ過ぎず…ここが人をサポートする勘所のようです。

磯部豊喜

みことばの花 200826「義とされる人」

みことばの花 200826「義とされる人」

「あなたがたに言っておく。神に義とされて自分の家に帰ったのは、この取税人であって、あのパリサイ人ではなかった。
おおよそ、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう。(ルカ 18:14 口語訳)

「義とされる」ということは、正しい者、あるいは罪が清められることを指しています。
上記には、神から義とされた人のことが書かれています。
ここには二人の人の祈る姿が登場します。一人は取税人(徴税人)であり、もう一人はパリサイ人(ユダヤ教の主流の一派)。
パリサイ人は、自分の清い事、立派なことを次々に並べて祈ります。一方、取税人は自分の罪深さに心を痛めて許しを神に請いました。
その両者の祈りを聞かれた神は、どのように受け止めたかというのが、上記の聖句です。
自分の正しさを追求し、自分を高めてしまうと人は退けられます。
むしろ自分の罪に敏感になり、罪を赦してくださる神の前に悔い改めるとき人は高くされます。
へりくだることはとても大切なこと。そのように生きたいと思います。

磯部豊喜