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みことばの花 200920「大衆心理」
みことばの花 200920「大衆心理」
「弟子たちは皆イエスを見捨てて逃げ去った。」(マルコ14:50 口語訳)
新型コロナの登場で、人ごみの中ではマスク着用が常識となりました。
ところでこのマスクの着用を広める方法は、国によって違うとのことです。
米国では「マスクをつける人は英雄だ!」というと国民はマスクをつけると言う。
ところがドイツでは、「マスクをつけるのはルールです!」と言えばマスク着用が広がる。
イタリアの場合は「マスクをつけると異性にモテルよ!」というと人々はマスク着用に関心を持つという。
では我が国日本ではどういう発表をすれば国民はマイクを着用するのか。
次の言葉で十分らしい。「マスクはみんなが付けているよ!」大衆心理に弱いのが日本人。
「赤信号みんなで渡れば怖くはない」が日本人的というわけです。
さて、ではイスラエルは?上記は主イエスが敵に捕らわれた場面です。
この場面では「皆イエスを見捨てて逃げ去った」とあります。「みんなで逃げれば怖くない?」。
果たして私がそこにいたならば、どうするでしょうか?
磯部豊喜
みことばの花 200919「人の徳を高める」
みことばの花 200919「人の徳を高める」
「すべてのことは許されている。しかし、すべてのことが益になるわけではない。すべてのことは許されている。
しかし、すべてのことが人の徳を高めるのではない。」(Ⅰコリント 10:23 口語訳)
「すべてのことは許されている」とはどいうことでしょう。それはおそらく選択の自由を指す言葉。
愛すること、憎むこと。信じること、信じないこと。犯罪に手を染めること、犯罪に加わらないこと。
金銭を自分のために使うこと、人のために使うこと教会で説教を聞くこと、聞かないこと。…これらはすべて人に与えられた自由選択です。
ただし、これが犯罪に関わる事となると社会はそれを許さないので人は用心します。
聖書は「すべてのことが益するわけではない」と書く。続けて「しかし、すべてのことが人の徳を高めるのではない」ともいう。
結論をいうと、選択の自由は「人の徳を高める」ことを選択しなさいと教えているようです。
今日、安息日礼拝(またライブ配信礼拝)に出席するのは、この選択の一つ。
心を豊かに養う選択は第七日安息日のみならず、日々行いたいと自分の心に言い聞かせたいのです。
磯部豊喜
みことばの花 200918「罪と死はひとりの人から」
みことばの花 200918「罪と死はひとりの人から」
「女がその木を見ると、それは食べるに良く、目には美しく、賢くなるには好ましいと思われたから、その実を取って食べ、また共にいた夫にも与えたので、彼も食べた。」(創世記 3:6 口語訳)
「ひとりの人によって、罪がこの世にはいり、また罪によって死がはいってきた」(ローマ5:12 口語訳)と聖書は、人類祖先の罪のことを書いています。
「ひとりの人」とは誰なのか。罪を犯した順番からいくと人祖アダムの妻エバです。
ところが夫アダムを聖書は「ひとりの人」として説明しています。
「アダムにあってすべての人が死んでいるのと同じように、キリストにあってすべての人が生かされるのである」(Ⅰコリント15:22 口語訳)。
「エバにあって」とは書いていない。「アダム」を「ひとりの人」と定めています。エバはアダムの分身だからでしょうか。
いずれにしてもアダム自身も罪を犯したのは事実。あってはならぬ出来事がこの世界に起きました。聖書は死をもたらした罪の恐ろしさを記しています。
「しかし、罪の増し加わったところには、恵みもますます満ちあふれた」(ローマ5:20 口語訳)は希望の約束です。
恵みとは、神がその独り子(キリスト)を賜わったこと。私どもを罪と死から救うために…。
これに勝る天の恵みは他にありません。
今日も主の恵みがありますように。
磯部豊喜
・・・・・・・
9/19(土)ライブ配信 URL です。※過去のライブ配信はSDA千葉教会HP(http://sda-chiba.org/)にあります。
安息日学校(聖書の学び) URL 9月19(土)10:00 ☆2020年第三期 12課「伝えるに値するメッセージ」 磯部豊喜
https://youtu.be/BU_qb-XTmqc
礼拝説教 URL 9月19(土)11:00 ☆説教題「12の門と土台」磯部豊喜 ※やがて来る天国という世界を覗いてみます。
https://youtu.be/zSydyrIDKfw
みことばの花 200917「待つ」
みことばの花 200917「待つ」
「この幻はなお定められたときを待ち、終りをさして急いでいる。それは偽りではない。
もしおそければ待っておれ。それは必ず臨む。…」(ハバクク 2:3 口語訳)
「本当に神がおられるならば、どうしてこういうことが私に起こるのだろう」という疑問の声が聞こえます。
人生の問題に遭遇し、八方塞がりを経験するとなおさらそうです。そのようなとき、上記の御言葉を瞑想したい。
それは待つ必要。人は神のなされることを、すぐに理解することは難しい。現在の新型コロナの登場にしてもそうです。
これは悪魔の仕業だと片づけることは出来るかもしれませんが、そう解釈すると、では神は何をしておられるのかとなる。
そこで私は神が許されたこの背後に意味があるに違いないと受け止め、いつか分かる時が来ると信じ、「待つ」人生を生きたいと思う。
主の恵みがありますように。
磯部豊喜
みことばの花 200916「神はいない…」
みことばの花 200916「神はいない…」
「愚かな者は心のうちに『神はない』と言う。…」(詩篇 53:1 口語訳)
ある方からこういう一文を頂戴しました。「自分の人生に希望が持てず、やり直すには遅すぎる。私の人生は失敗作だとつくづく思います。
これまでの生き方のツケが回って来ただけなのですが。私には、神様はいない…という結論になりました」。
私はこの一文をくださった方が、上記の聖句にあるように愚かな者であるとは思いません。このように書きながらも十分に神を意識しておられるからです。
この人の本音は、「愛の神がいることを期待しているけれど、それを私は感じることができない」と語っておられる…のだと私は受け取りました。
事実、もし神(聖書が記す「創造の神」)がいなければ、人も動植物も存在しない。
しかも実に精巧な仕組みを持つこれらの存在を考えると、偶然にそれが出来たとは考えにくい。…と、私自身はこのように受けとめます。
そしてさらに、神の御言葉、聖書があるのも神の存在を確かに実感する助けとなっています。
今日も主の恵みがありますように。
磯部豊喜