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みことばの花 201010「二人の主人」
みことばの花 201010「二人の主人」
「だれも、ふたりの主人に兼ね仕えることはできない。」(マタイ 6:24 口語訳)
人生は常に選択の連続。また解釈の連続です。良い選択が人の幸福に結びつきますし、良い解釈は人の心を平和に導きます。
上記に「ふたりの主人」という言葉があります。
これも選択の岐路に立つときに、あなたはどちらを選びますかとの問いを語るキリストの言葉です。
「二者択一」を迫る言葉です。これには次のような言葉が続きます。
「一方を憎んで他方を愛し、あるいは、一方に親しんで他方をうとんじるからである。あなたがたは、神と富とに兼ね仕えることはできない。」
自分が幸せであるためにはどちらを選ぶのが本当に幸せなのかをよく考えたい。
また同じことに遭遇しても、解釈の選択は大切。例えば新型コロナをどう解釈するか。
単に「嫌なやつ」と解釈するか「私の自分の人生を見直す何かを教えている」と解釈するか。
10日は「コロナからの手紙」というメッセージを用意しました。
SDA千葉教会ホームページを開いて覗いて頂ければ幸いです。
ホームページアドレスは http://sda-chiba.org/
磯部豊喜
みことばの花 201009「そして神にいたる」
みことばの花 201009「そして神にいたる」
「エノス、セツ、アダム、そして神にいたる。」(ルカ 3:38 口語訳)
「わたしはどこから来たのか」…これはこの世界に生を受けた者の基本的な問いだと思います。
人間は、自分の意志で生まれてきたのでもなければ、自分の力で存在することは決してありません。
自分以外の何者かがあって私は存在します。まず両親があって私はいます。ですがその両親もまたそれぞれの両親のもとで誕生しています。
ところでユダヤ人は系図を大切に保管しています。ルカ3章23~38節に、なんとイエス・キリストの系図が正確にメモされています。
そしてその系図は、人類祖先のアダムに遡ります。実は、この系図はどこからか枝分かれをして今の私も生まれています。
聖書はさらに、「そして神にいたる」とある。アダムは神に造られた。
私どもはみなアダム、いえ神を頂点にしているゆえ人はみな親戚とも言える。
お互いを差別なく大切にできればと思う。
磯部豊喜
・・・・・・・
10/10(土)ライブ配信 URL です。
安息日学校 URL 10月10日(土)10:00 聖書の学び2020年第四期 2課「家族」 磯部豊喜
https://youtu.be/um75ng4FOus
礼拝説教 URL 10月10(土)11:00 説教「コロナからの手紙」(コロナは今の私に何を語っているか?) 磯部豊喜
https://youtu.be/fWFaXz3SfQs
みことばの花 201008「和合」
みことばの花 201008「和合」
「見よ、兄弟が和合して共におるのは/いかに麗しく楽しいことであろう。」(詩篇 133:1 口語訳)
時々、反目しても自分の主義を貫くことが大切だ…と思う時があります。
これが人の生死に関係する場合は、この主義を守らなくてはならないでしょう。
ところが、人生を送る上で、「命にかかわるような事態」に出会うことはそう多くはありません。
それなのに「ここは譲れない」とか、「負けてなるものか」と意地を張りたくなるのは、実は愚かなこと。
「和を以て貴しとなす(わをもってとうとしとなす)」という名言があります。
その意味は「何事をやるにも、みんなが仲良くやり、いさかいを起こさないのが良い」ということです。
聖書にも、上記のみ言葉があります。「兄弟が和合して」という言葉は、魅力的です。
「和合している」所には人が集まる。ですが「いがみ合う」所を人は敬遠する。
貴重な人生、笑顔の時間を少しでも多くしたいものです。
これにご同意いただける方は、「はい!」マークを…どうぞ。主の恵みが今日もありますように。
磯部豊喜
みことばの花 201007「信仰は聞くこと」
みことばの花 201007「信仰は聞くこと」
「したがって、信仰は聞くことによるのであり、聞くことはキリストの言葉から来るのである。」(ローマ 10:17 口語訳)
「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」という言葉があります。
英語には、“Asking makes one appear foolish, but not asking makes one .(聞くと愚かに見えるが、聞かなければ本当の愚か者になる)“
という類似語もあります。
わたしはこれら言葉を置き換え、「聞くは一時の損、聞かぬは一生の損」などと語ることもあります。
つまらない話を聞く場合は時間の無駄。ですが、いい話に出会うとそれは大きな利得です。
さて、キリストの福音を聞くことは人生の利得です。なぜ?そこには「永遠の命」という、何物にも代えがたい宝があるからです。
人はよい話を聞くことによって、心の畑を開墾することができます。
とくにキリストの言葉にまさるメッセージは他にない。キリストの御言葉なる聖書の語られる所には、積極的に時間をとりたいと思う。
今日も私の信仰を育てる主の恵みがありますように。
磯部豊喜
みことばの花 201006「春の雨」
みことばの花 201006「春の雨」
「兄弟たち、主が来られるときまで忍耐しなさい。農夫は、秋の雨と春の雨が降るまで忍耐しながら、大地の尊い実りを待つのです。」(ヤコブ 5:7/新共同訳)
「秋の雨」という言葉とよくペアで登場するのが「春の雨」。今日は、「春の雨」にも触れておきたいと思います。
特に上記の聖句では、「春の雨」は世界の終りと深く関係します。
主イエスは終末預言、すなわちキリストが再臨し(再び来られること)世界が終わるとの預言を語っておられます。
弟子たちに教えられた時に、終末が近づくと戦争とか地震とか飢饉…などの前兆があると言われました(マタイ24章 口語訳)。
ですが終末・再臨の最大の前兆は、「そして、御国のこの福音は…、全世界に宣べ伝えられる。それから、終わりが来る」(マタイ24:14 口語訳)。
この全世界的宣教運動を「春の雨」といいます。そして主が来られ、墓に眠る義人は復活します。キリストの再臨は希望に満ちています。
ところで今、セブンスデー・アドベンチスト天沼キリスト教会で、名説教家の河原久牧師が、
毎晩7時から興味深いインターネット配信によるキリスト教講演会(10/24まで)を行っています。
ぜひご視聴ください。
磯部豊喜