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みことばの花 201031「ヘルプ・ミー」

みことばの花 201031「ヘルプ・ミー」

「しかし、風を見て恐ろしくなり、そしておぼれかけたので、彼は叫んで、「主よ、お助けください」と言った。」(マタイ 14:30 口語訳)

今日は、3週間ぶりに千葉教会で説教を行うことになります。説教を語るにも一つのリズムがあります。
新型コロナの第一次感染の時には、緊急事態宣言がなされ教会も集会自粛の運びとなり、
今年3月28日から7月4日まではゲストを招くことなく毎安息日(土曜日)に15週間連続の説教(ライブを含めて)を行いました。
その次の週から、毎週ではなくなりましたが、2週も空きますと気持ちが落ち着かないのです。
その時、わたしは一つの言葉を思いだしました。それは「(主よ)ヘルプ・ミー(私を助けて!)」です。
そこで今日の説教題は、この言葉を背後に「人生珠玉の叫び」としました。
今日は、私の心境に乗せて上句の聖句を中心に語ってみたいと考えています。
今日も心に主の安息がありますように。
ハッピーサバス!

磯部豊喜

みことばの花 201030「耐え忍ぶ心」

みことばの花 201030「耐え忍ぶ心」

「事の終りはその初めよりも良い。耐え忍ぶ心は、おごり高ぶる心にまさる。」(伝道 7:8 口語訳)

昔、中国では生まれた乳をあげる前に行ったとされる「五香の儀式」というものを知りました。
それはまず「酢をなめさせる」、次に「塩をなめさせ」「にがい薬をなめさせ」「とげのある、かぎかずらをなめさせる」。
最後に「砂糖をなめさせる」ことを順番に行ったそうです。
これは人生においてすっぱく、からく、にがく、そして痛い目にあって、ようやく甘いものにありつけることを体験させる意味があったとのこと。
確かに、人の幸福感や達成感は、おそらく叱られ、悩み、壁にぶちあたり、多くの苦難を乗り越えて、初めて味わえるもの。
真の喜びは、これを経て深まることを教えてくれます。こういう体験もなく、人生の荒波に飛び込むとどうなるでしょう。
いきなり甘い汁を味わうのは、とても危険な気がします。
聖書の人物や物語を調べる時、確かに人生の苦難を経、「耐え忍ぶ心」が鍛えられ、その向こうに輝く人生があるように思います。

磯部豊喜
・・・・・・・
10/31(土)ライブ配信 URL を送ります。

安息日学校(聖書の学び) URL 10月31日(土)10:00 2020年第Ⅳ期 5課「偉大な教師としてのイエス」 磯部豊喜
https://youtu.be/vJ6pSq0Hlds

礼拝説教 URL 10月31(土)11:00 説教題「人生珠玉の叫び」磯部豊喜(子供の話:井本良治)
https://youtu.be/iJ_qhWlGuog

みことばの花 201029「満足」

みことばの花 201029「満足」

「金銭を好む者は金銭をもって満足しない。富を好む者は富を得て満足しない。これもまた空である。」(伝道 5:10 口語訳)

人生を送る上で、私は何をもって満足するのだろうか、と自問することがあります。
先日「幸福度」(みことばの花201023)とかいう一文を書かせて頂きましたが、そこでは「受けるよりも与えるほうが幸いである」とのみ言葉に触れました。
結局「幸福度」というのは「本当に満足できているか、否か」で測られることだと思います。
上記の聖句には金銭、富…という言葉が出ていますが、これらはそれなりの満足を与えるかも知れませんが、人の心に本当の満足を与えないというのが著者の結論です。
これを書いた人はソロモン王。彼は知識も財宝も権力も手にした。ですが彼は真の満足に至らなかった。
真の満足は、そのようなものでは測れない。誰かのために命をかけられる人こそ、本当の満足を堪能できると思います。
人は誰かを生かして、生きがいを持つ。そのように造られているのだと思います。

磯部豊喜

みことばの花 201028「境遇に処する秘訣②」

みことばの花 201028「境遇に処する秘訣②」

「わたしは貧に処する道を知っており、富におる道も知っている。わたしは、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、
ありとあらゆる境遇に処する秘けつを心得ている。」(ピリピ 4:12 口語訳)

今日は、カーネギーの人生(経済)哲学を紹介したい。
彼は常に財産の運用において、どうしたら財産の信託主である社会の利益になるかを考えていました。そこで次のようなことを展開。
①助けるべき相手は、自助努力している人を基本とする。=はじめから働く意志のない者を助けることはしない。
②富をもって死ぬのは不名誉なことである。=得た富は貧しい人々のために役立つ有益な事業に使用する。
彼自身の生活はつつましかった。彼は富に生きず(支配されず)、富を生かす(支配する)者として歩んだのです。
こういう生き方は素敵だと思います。
今日も主の恵みがありますように。

磯部豊喜

みことばの花 201027「境遇に処する秘訣①」

みことばの花 201027「境遇に処する秘訣①」

「わたしは貧に処する道を知っており、富におる道も知っている。わたしは、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、
ありとあらゆる境遇に処する秘けつを心得ている。」(ピリピ 4:12 口語訳)

この聖句に触れ、わたしは鉄鋼王と呼ばれたアンドリュー・カーネギー(1835-1916年)という人を思います。
彼はスコットランドから米国へ渡った貧しい移民者の子。学校教育は10歳までしか受けていない。彼は極貧の中で「いつか貧困を追い出してやる」と決意した。
12歳になって初めて紡績工場に就職し、1ドル20セントの週給を得た時、決して高くはないが、とても感謝したという。
カーネギーは18歳になるまで4度転職したが、その間、勉強だけは欠かせなかった。
4度目の就職先は、ペンシルヴァニア鉄道。月給は35ドルで人並み以上の収入。その後、寝台車会社への投資が成功し、それをもとに起業家となった。
ですが彼は「自分のために地上に宝を積む」(マタイ6:19 口語訳)富豪ではなかったのです。

磯部豊喜