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みことばの花 201110「弱い者となる」
みことばの花 201110「弱い者となる」
「弱い者と、みなしごとを公平に扱い、苦しむ者と乏しい者の権利を擁護せよ。」(詩篇 82:3 口語訳)
強い者よりは弱い者が良い…との教えを聖書の随所から学びます。
上記の聖句もそうで、主は弱い者のそばに立ってくださるという。リンカーン時代の南部連合の無名兵士の詩もそうです。
詩の題は「苦しみを超えて」。
「大きなことを成し遂げるために力を与えてほしいと神に求めたのに、謙遜を学ぶように弱い者とされた。より偉大なことができるように健康を求めたのに、よりよいことができるようにと病気をいただいた。幸せになろうとして富を求めたのに、賢明であるようにと貧しさを授かった。世の人々の称賛を得ようと成功を求めたのに、神を求め続けるようにと弱さを授かった。…」この続きは明日紹介します。
鼻っ柱が強すぎて、なかなか弱い者になれない者ですが、真に弱い者になれたらと願うのです。
神を求め続けるために。
磯部豊喜
みことばの花 201109「天国の鍵」
みことばの花 201109「天国の鍵」
「こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。」(マタイ 5:3 口語訳)
「そして、この人生が小さくとも幸福なものとなり、天国のあなたのもとで永遠の幸福を得ると知っています。アーメン」・・・
これはニーバーの祈りの締めの言葉。この祈りの言葉には、私どもの目指すべき世界のことが語られています。
人が真に幸福であるには「天国」を抜きにして考えられません。
「笑えば天国、怒れば地獄」という精神的なことをあらわす表現もありますが、「天国」とは実在する愛の王国です。
そこは愛の神が統治される永遠の世界です。米国大統領選挙のような自己主張や争いをやめ、平和な主のもとで生活する穏やかな国家です。
この天国に入る人には、一つの条件があります。それは「心の貧しい人」になること。
逆説的ですが、自分には天国にふさわしい良いものがないと心から気づく人に天国はやってくるという。
主の恵みが今週もありますように。
磯部豊喜
みことばの花 201108「ニーバーの祈り④」
みことばの 201108「ニーバーの祈り④」
「だれが、主の心を知っていたか。だれが、主の計画にあずかったか。」(ローマ 11:34 口語訳)
ニーバーの祈り続き④です。
「あなたのご計画にこの身を委ねれば、あなたが全てを正しくされることを信じています。」人は自分で計画を立てます。人生設計などもその一つでしょう。
ですが覚えておきたいこと。それは自分の立てた計画通りに進むとは限らないということ。
そこで確かな計画を瞑想したい。それは「主の計画」というものです。
私の立てる計画は不安定で、本線から脱線してしまうことがありますが、主のご計画には、脱線というものがありません。
ですから私に対する主の計画を求めたい。主の計画の中で確実なものは、主を心から求める者には、天への道があるということ。
永遠の命という祝福の道がある。「主の計画」に歩調を合わせる者になりたい。
「主よ、あなたの計画の中で私を用いてください」と祈るのです。
磯部豊喜
みことばの花 201107「ニーバーの祈り③」
みことばの花 201107「ニーバーの祈り③」
「だれでも、自分の益を求めないで、ほかの人の益を求めるべきである。」(Ⅰコリント 10:24 口語訳)
ニーバーの祈りの続き③です。「これまでの私の考えを捨て、イエス・キリストがされたように、この罪深い世界をそのままに受け入れさせてください」。
人間というものは、どうも自分の歩んできた道のりや、抱いてきた価値観をベストとする傾向があるように思います。
私が人間観察して考えることは「人は簡単には変わらない」ということ。
ですが、生き方や価値観が別人のように変えられた人があるのも事実です。
パウロはまさにその一人。パウロはキリストに出会って、キリストの愛の教えをいつも瞑想した人。
その結果、実に柔軟で心の広い視野を持ち、「自分の益を求めないで、ほかの人の益を求め」ようと語りました。
ニーバーの祈りも同様です。「この罪深い世界をそのままに受け入れさせてください」との祈り。心に覚えたい内容です。
ハッピー・サバス!(幸せな安息日を!)
磯部豊喜
金曜日サンセット礼拝 URL 11月06日(金)16:30 地区内教会のビデオ紹介、
メッセージ:尾上史郎(教育局長・三育学院中学校校長) 特別讃美:三育学院中学校聖歌隊
https://youtu.be/yzgdAAtlKho
安息日学校 URL 11月07日(土)09:40 聖書の学び(パネラー):森祐二(光風台三育小校長)、東清志(牧師)、長谷川徹(牧師)、 教育機関紹介:尾上史郎(教育局長・三育学院中学校校長) 地区発表、ABC(アドベンチストブックセンター)の案内
https://youtu.be/MR9TOd5gU7E
安息日礼拝説教 URL 11月07日(土)11:00 説教者:小濱守宏(千葉茨城地区地区長) 特別讃美:三育学院中学校聖歌隊
https://youtu.be/TsW3JrgIaaQ
土曜サンセット礼拝 URL 11月07(土)16:30 メッセージ:宮本安喜(柏教会牧師) 近隣地域への活動紹介
https://youtu.be/WIaYtqYsBwU
みことばの花 201106「ニーバーの祈り②」
みことばの花 201106「ニーバーの祈り②」
「いつも喜んでいなさい。」(Ⅰテサロニケ 5:16 口語訳)
「一日一日を生き、この時をつねに喜びをもって受け入れ、困難は平穏への道として受け入れさせてください、」これは昨日記しましたニーバーの冒頭の祈りに続く言葉です。
果たして、わたしは毎日、喜びの生活を送っているでしょうか。
「クリスチャンというのは、『いつも喜ぶ』という器用さが要求される人なのだろうか…」などと気難しく考える人がいます。
上記の御言葉は、パウロの書かれた珠玉のメッセージの一つですが、実行は実に難しい。
時折「喜ぶ」ことが出来ても「いつも喜ぶ」となるとどうか。
ニーバー先生は、そのことを知ってかどうかは分かりませんが、「一日一日を生き、この時をつねに喜びをもって受け入れ」と祈りの言葉に変えています。
「困難」に遭遇するのは嫌なことです。しかしこの困難さえも「平穏への道として受け入れ」ることが出来たら素晴らしいことです。
「いつも喜ぶ」ことが実現するには、祈りが不可欠のようです。
磯部豊喜