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みことばの花 201201「恵みを数える」
みことばの花 201201「恵みを数える」
「わがたましいよ、主をほめよ。そのすべてのめぐみを心にとめよ。」(詩篇 103:2 口語訳)
聖歌という歌集の中にこういう題の歌があります。題は「のぞみも消えゆくまでに」。
「のぞみも消えゆくまでに、世の嵐に悩むとき、数えてみよ主の恵み、なが心は安きを得ん。
数えてみよ主の恵み、数えてみよ主の恵み、数えてみよ一つずつ、数えてみよ主の恵み」。
これは歌詞の一番ですが、この中に「数えてみよ主の恵み」とあります。
ややもすると恵みを数えるよりも、悲しいこと、辛いこと、嫌なことを、数えすぎてはいないか…と私は自問します。
それよりも「主の恵みを数える」ことのほうが、私の心の衛生には良いに違いない。
朝目覚めて、夜就寝するまで、今日も生かされていた、今日もあの人と会えた、今日もこういうことが出来た、今日も…と感謝の種をかき集めてみる。
この種はきっと、明日、明後日、いえ一年後に芽吹くに違いない。
「すべてのめぐみを心にとめる」習慣を身につけたいものです。
磯部豊喜
みことばの花 201130「最多」
みことばの花 201130「最多」
「…しかし、罪の増し加わったところには、恵みもますます満ちあふれた。」(ローマ 5:20 口語訳)
ここのところ、「最多」という言葉が耳に止まります。何のことかといいますとそれは新型コロナ感染の報告。
今朝も、「東京のコロナ感染数は、日曜日としては過去最多」とか「重傷者最多462人」とかの報道が流れました。
このような折、一つの聖句が浮かびました。それが上記です。
新型コロナと罪は直接には無関係かも知れませんが、なぜかこのみ言葉が浮かぶのです。
罪は人を永遠の死に至らすもので、とても嫌なもの。
罪の究極は「愛の神を必要としないと思うことだ」とある神学者は語っています。
愛の神から心の目をそらそうとする人間に、それでも神は見捨てず、「恵みもますます満ちあふれた」と語る。
今日、その恵みを数えてみませんか。
磯部豊喜
みことばの花 201129「掃除」
みことばの花 201129「掃除」
「そして、戻ってみると、家は掃除をして、整えられていた。」(ルカ 11:25 口語訳)
今日は教会の年末大掃除。年末には各家庭でも大掃除をして、正月を迎えるのではないかと思います。
私は掃除中に一番迷うのが、「これは捨てるべきか残すべきか」などという哲学的考察をしてしまって掃除の手が止まることです。
さて、上記の聖句は「掃除」の話。聖書に「掃除」という言葉の登場する唯一の物語。
「掃除」されている家は気持ちの良いものです。
ですがこの話では、きれいに整えられた所に、「汚れた霊」が戻ってきて、悪いほかの七つの霊を連れてきて、住み着くという。
これは人の心をあらわすたとえです。人の心も油断していると、すぐに「汚れた霊」に支配されるという教訓です。
掃除されて空いた部屋には、何かを入れなくてはならない。
まず心に愛の主キリストをお迎えしたい。そうすれば大丈夫。心の部屋作り注意したい。
今週も主の守りがありますように。
磯部豊喜
みことばの花 201128「父の子となる」
みことばの花 201128「父の子となる」
「『隣り人を愛し、敵を憎め』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。しかし、わたしはあなたがたに言う。
敵を愛し、迫害する者のために祈れ。こうして、天にいますあなたがたの父の子となるためである。…」(マタイ 5:43~45 口語訳)
上記は、果たしてどれほどの人々に受け入れられる言葉でしょうか。
相手は敵なのです。自分の身(存在)を脅かす者です。人は一生の間、きっとどこかに敵という存在に出会うと思います。
気の合わない人、考え方や価値観の異なる者に出会わない人はいないと思う。
こういう人に出会って、上記の言葉を聞いたとしても納得し難い。
しかしこれは神の御子キリストの教え。キリストは「敵を愛し、迫害する者のために祈れ」という。
これは相手のためというより、自分の心の安定のための教えかも知れません。
憎しみの心は、人の心から平和を奪います。ですが敵のために祈るとき、人には届かない世界に入っている。父(神)の子を特徴づける世界に入っている。
父の子となれるならば、この祈りをささげたい。
ハッピーサバス!
磯部豊喜
みことばの花 201126「父よ、彼らを①」
みことばの花201126「父よ、彼らを①」
「イスラエルの王は彼らを見て、エリシャに言った、『わが父よ、彼らを撃ち殺しましょうか。彼らを撃ち殺しましょうか』。」(列王下 6:21 口語訳)
聖書には、「父よ、彼らを」という言葉を調べてみますと、二か所あります。その一つが、上記の聖句です。
イスラエルと戦っていたスリヤの王が、自分たちの作戦がイスラエルに筒抜けなのを知り、エリシャと呼ばれる預言者のわざであることがわかりました。
そこでスリヤの王は、エリシャを捕らえるために大軍を送ります。
ところがエリシャが神に祈ったときにスリヤ軍は目をくらまされ、そのままイスラエルの捕虜になったのです。
この時、イスラエルの王がエリシャに語ったのが上記の言葉です。
敵は袋のネズミ。敵を滅ぼす機会だとイスラエルの王は考えます。
しかしエリシャは答えます。「それはならぬ、むしろ彼らの腹を満たして国に返しなさい」と。
ここに敵をゆるすという神の世界があります。
磯部豊喜