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みことばの花 180625「平和をつくる」
みことばの花180625「平和をつくる」
「最後に、兄弟たちよ。いつも喜びなさい。全き者となりなさい。互に励まし合いなさい。思いを一つにしなさい。平和に過ごしなさい。そうすれば、愛と平和の神があなたがたと共にいて下さるであろう。」(Ⅱコリント 13:11)
懐かしい名前の元プロ野球選手が、昨日の新聞(朝日)の第一面に出ていました。かつて広島東洋カープで活躍した兄や安仁屋宗八(あにやそうはち)氏です。今年の夏の全国高校野球は100回大会と言う記念の節目を迎えて、甲子園に出場できるチームは56チームもあるそうです。この100回は、連続行なわれたのではありません。かつて途切れてしまった時があります。「平和ではないと高校野球は行なわれない」と言われます。第1回大会から29回大会までは全国中学校優勝野球大会との名称で1915年10校でスタートし、1941年の日華事変から、太平洋戦争終結1945年まで中断となりました。1947年に再開し、1948年より全国高等学校野球選手権大会になって今に至る。キリストは「平和をつくり出す人たちは、さいわいである」(マタイ5:9)を教えられました。平和を願うことはもちろんのこと、「つくり出す」という努力は、必要なことだと思います。ノーモア、戦争!平和の主が来られるまで、高校野球が続きますように…。
磯部豊喜
みことばの花 180624「生きる」
みことばの花180624「生きる」
「聖書に『最初の人アダムは生きたものとなった』と書いてあるとおりである。しかし最後のアダムは命を与える霊となった。」(Ⅰコリント 15:45)
人祖アダムは「生きたものとなる」ために神様によって造られました。昨日6月23日は、1945年のその日は、太平洋戦争末期の沖縄戦が終った日とされます。激しい地上戦で沖縄県民の4人に1人が亡くなったそうです。その追悼式では中学生の相良倫子さん(14)が平和の詩」を朗読されたとのこと。「みんな、生きていたのだ。私と何も変わらない。懸命に生きる命だったのだ。壊されて、奪われた。生きた時代が違う。ただ、それだけで。無辜(むこ=何の罪もないこと)の命を。あたり前に生きていた、あの日々を。小鳥のさえずりは、恐怖の悲鳴に変わった。優しく響く三線(さんしん)は、爆撃の轟(とどろき)に消えた。青く広がる大空は、鉄の雨に見えなくなった。私は、今をいきている。みんなと一緒に。そして、これからも生きていく。一日一日を大切に。平和を想って。平和を祈って。なぜなら、未来は、この瞬間の延長線上にあるからだ。つまり、未来は、今なんだ。」。この詩のタイトルは「生きる」。私も今日を、もっと丁寧な生き方をしたいと心に刻まねば…申し訳ない。
磯部豊喜
今週のお花 (6月23日)
みことばの花 180623「神の御顔(みかお)」
みことばの花180623「神の御顔(みかお)」
「願わくは主がみ顔をもってあなたを照し、/あなたを恵まれるように。」(民数記 6:25)
ある方から「神様はどんな顔(姿)をしておられるのでしょうか」という質問を頂いたことがあります。その時、私は「創世記1章27節が参考になります」と答えました。「神は自分のかたちに人を創造された」(創1:27)。この聖書の記録には、人が神のかたちに創造されたという。それならば、反対に神は人の姿かたちに似ているとなります。ところで米国のクリスチャン511名を対象に「神はどんな顔をしていると思うか?」との調査がなされました。ノースカロナイナ大学チャペルヒル校の心理学者らは、数百枚にも及ぶ顔写真を2枚1組で被検者らに見せて、どちらの顔が神に近いかを選択させました。研究チームはそこから得たデーターをもとに画像を組み合わせ、一枚の顔写真を合成。その合成写真に浮かんだ顔がアメリカの実業家イーロン・マスク(46)に似ているとのこと。しかしこれは人間の想像の結果に過ぎません。神様の御顔は、その御品性の写し。それは「愛」。今日は第七日安息日。「愛の神様」を心に描いて、その御顔を仰ぎ求めたいと思います。「神は愛なり」(Ⅰヨハネ4:8)。
磯部豊喜
みことばの花 180622「大きな愛」
みことばの花180622「大きな愛」
「人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない。」(ヨハネ 15:13)
イエス・キリストがお語りになられたこの一句、拝見するたびに私の心は静まります。先日(6月9日夜)東海道新幹線内で女性2人が男性K(22才)に襲われました。この時、後部座席に座っていた梅田耕太郎さん(38才)が立ち上がって、それを制止したことで、梅田さんが犠牲になってしまいました。突然なことで愛する人を失われたご遺族にとって、とても悲しい出来事でした。優秀な社員を失った会社にとっても「痛恨の極み」と言われる出来事でした。私にとって気になる出来事でしたので、この新聞の記事を保管していましたが、実は、この梅田さんの知り合いの関係者からメールが届きました。梅田さんは私にも身近な人になり、キリストのように人を救済するために自らを犠牲にした結果の梅田さんの最期を考える時、上記の御言葉を思いました。この「大きな愛」を主は必ず祝福してくださるに違いないことでしょう。梅田さんご家族の上に天来の慰めがあるように、心から祈り続けたいと思います。
磯部豊喜
