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みことばの花 210101「はじめに神」
みことばの花 210101「はじめに神」
「はじめに神は天と地とを創造された。」(創世記 1:1 口語訳)
新しい年、2021年の夜明けを迎えました。
「新年あけましておめでとうございます!」と本来ならば、「みことばの花」の読者の皆様に元気よく挨拶をしたいところですが、
世界的に大流行している新型コロナ渦にあってこの言葉を語るにはいささか痛みを覚えます。
昨日、全国で確認された4520人は過去最高です。
これで昨年の国内感染者数は23万6577人。日本の総人口約1億2600万人から計算すると、すでに530人に1人は感染していることになります。
東京都では230人に1人。このような中ですが、上記の御言葉に目を注ぎたい。「はじめに神」。神が世界を創造された時には、完全で病などなかった。
このときの世界を取り戻す日が必ず来ると聖書は断言しています。
「はじめに神」を忘れた世界ですが、いま一度「はじめに神(創造主)」を見上げたい。
良き一年でありますように!
磯部豊喜
・・・・・・・
1月02日(土)ライブ配信 URL を送ります。明日は、SS聖書の学びは行わず礼拝のみになります。
新年安息日礼拝説教 URL 1月02日(土)11:00 説教題「みことばに生きる」 磯部豊喜
https://youtu.be/XCV1HhhcVFw
みことばの花 201231「密②」
みことばの花 201231「密②」
「神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいて下さるであろう。罪人どもよ、手をきよめよ。二心の者どもよ、心を清くせよ。」(ヤコブ 4:8 口語訳)
昨日は、避けるべき密について考えてみました。しかし一方で、深めて行きたい「密」もあります。上記はその一つではないかと思います。
「神に近づきなさい」と勧められています。「でも~触らぬ神に祟りなし、と言われているのでは…」と考える人もあるでしょう。
ですが聖書の神は、私どもが心を開いて近づくことを喜んでくださるお方です。
「彼らは日々わたしを尋ね求め、義を行い、神のおきてを捨てない国民のように、わが道を知ることを喜ぶ。
彼らは正しいさばきをわたしに求め、神に近づくことを喜ぶ。」(イザヤ58:2 口語訳)とも書かれています。
今、避けなくてはならない「密」もありますが、深める「密」もあることを覚えたい。
「信密(信頼を密に)」「希密(希望を密に)」「愛密(愛を密に)」(※私の造語=Ⅰコリント13:13に基づく)という言葉などはいかがでしょうか。
さて、今日は大晦日。まずは一年の悪しき思いをカシャッ(PC音)とゴミ箱に入れたい。
磯部豊喜
みことばの花 201230「密①」
みことばの花 201230「密①」
「それは、偶像に供えたものと、血と、絞め殺したものと、不品行とを、避けるということである。これらのものから遠ざかっておれば、それでよろしい。以上。」
(使徒 15:29 口語訳)
先日、今年の漢字は「密」ということで決まり発表されました。「秘密の談合」とか、コロナ感染予防として「三密を避ける」などに使われた「密」。
「密を避ける」べきことが聖書にも多く書かれています。上記はその一例です。
上記はキリスト信仰を清く守るために「避ける」べき内容が記されていますが、私どもが健全な人生を過ごすためには、避けなければならないことがたくさんあると思います。
人の悪口を言うとか、不必要に怒ることとかは避けたいし、心を堕落させるものも避けたい。この種の戦いは常にあります。
「これらのものから遠ざかっておれば、それでよろしい。以上。」
磯部豊喜
みことばの花 201229「主の最善を信じて」
みことばの花 201229「主の最善を信じて」
「イエスは言われた、『よくあなたに言っておく。今夜、鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないというだろう』。」(マタイ 26:34 口語訳)
昨日の「みことばの花」の締めくくりに、「主イエスは、この弟子の弱さをすでに見抜いておられ、その裏切りを予見しておられました。
全知の主の前に、私どもは心までも丸裸なのです。」という一文を添えました。
上記聖句は弟子のペテロの行動を正確に予告された主のみ言葉です。
人はしばしば自分の行動さえ予知出来ずにいますが、主イエスには読み取られている事例です。
私は明日の事どころか今日さえどうなっているのか、何をしているのか正確には見当がつきかねます。
予定通りに終える場合もあれば、予期しないことが起こることもあります。
それゆえにもっと謙虚になって、「あなたのみ心がなりますように」と祈りたい。
主の最善を信じて今日の一日のページをめくりたいと思います。
磯部豊喜
みことばの花 201228「鶏が鳴いた」
みことばの花 201228「鶏が鳴いた」
「ペテロはまたそれを打ち消した。するとすぐに、鶏が鳴いた。」(ヨハネ 18:27 口語訳)
千葉教会に住んで5年になります。それなのに近くに鶏を飼っている家があることを知ったのはつい先日。
しかもこの鶏、朝になると「コッケラコッコー」と鳴いています。私の耳に聞こえるのは「コケコッコー」ではないのです。
それで鶏が近くに住んでいるのに気づかなかったのか。いえ私がボーと過ごしているのが原因なのでしょう。
今朝もけたたましく鳴いていました。この声を聴きながら起き上がったのですが、同時に思い出したのが上記の聖句です。
キリストの弟子の筆頭と言われたシモン・ペテロが主を裏切り「私とあの人は関係がない」と主イエスとのつながりを打ち消したとき、「すぐに、鶏が鳴いた」のです。
人間、追い詰められると、弱音の虫が頭を出して心無いことを語ってしまうことがあります。
主イエスは、この弟子の弱さをすでに見抜いておられ、その裏切りを予見しておられました。
全知の主の前に、私どものは心までも丸裸なのです。
磯部豊喜