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みことばの花 190208「人事表」
みことばの花190208「人事表」
「彼は地の果までもみそなわし、/天が下を見きわめられるからだ。」(ヨブ 28:24)
「みそなわし」という言葉があります。
これは私の持っている小さな国語辞典にはない言葉です。
そこで新共同訳聖書を参照しますと「神は地の果てまで見渡し/天の下、すべてのものを見ておられる」とあります。
「みそなわし」とは「見渡す」とか「見下ろす」という意味です。
先日、次年度牧師人事表が配布されました。
私には今回より【磯部豊喜】と【】が付いています。
【】は名誉牧師と呼ばれるそうですが、身の引き締まる呼び名です。
私に関して言えば、引退後居残り牧師のほうが気が楽なのです。
とはいえ、主の御目に見渡されていることは確実ゆえ、心を引き締めなくてはと…。
今日も主の恵みがありますように。
磯部豊喜
みことばの花 190207「ドンキー法廷」
みことばの花190207「ドンキー法廷」
「しかし、わたしはあなたがたに言う。兄弟に対して怒る者は、だれでも裁判を受けねばならない。
兄弟にむかって愚か者と言う者は、議会に引きわたされるであろう。
また、ばか者と言う者は、地獄の火に投げ込まれるであろう。」(マタイ 5:22)
今日も言葉の瞑想です。上記は、キリストが語られたとても怖い言葉です。
「兄弟にむかって愚か者という者は、議会に引き渡される」とあります。
ここで浮かんだのは、スペインの作家ミゲル・デ・セルバンテスの冒険小説に登場する主役名の「ドン・キホーテ」です。
ところが私はこれを「ドンキー」「法廷」と読んでしまいました。
ドンキーはロバを意味する英単語ですが、「うすのろ」「マヌケ」を指しているとのこと。
聖書は人に対して「愚か者(ドンキー)」と呼ぶものは「議会(法廷)に引き渡される」という。
やはり言葉使いには要注意しなくてはなりませんね!
磯部豊喜
みことばの花 190206「すべるもの」
みことばの花190206「すべるもの」
「わたしの歩みはあなたの道に堅く立ち、わたしの足はすべることがなかったのです。」(詩篇 17:5)
今は受験シーズン。このような時に一番聞きたくない言葉、それは「すべる」という言葉ではないかと思います。
合格ラインに止まれたら幸いなことです。
ところで他にも災いを運んで「すべる」のものがあります。
それは口です。言ってはいけないことを深く考えることなく言ってしまうことを「口がすべる」といいます。
振り返ってみますと、どれほどこのすべる口のために泣いたことか。
「励ます」と言うつもりが「〇ます?」などと言ってしまったり…。
自虐ネタとしてはユーモアがありますが、他人の容姿に関するものなどは禁物です。
「口は災いの元」、この口をコントロールする制御装置が欲しい。
上記の詩篇記者のように、神様の道に堅く立ち、足も口もすべらせないようにしたいものです。
磯部豊喜
みことばの花 190205「代名詞」
みことばの花190205「代名詞」
「信仰によって、アベルはカインよりもまさったいけにえを神にささげ、信仰によって義なる者と認められた。
…彼は死んだが、信仰によって今もなお語っている。」(ヘブル 11:4)
「彼は死んだが、信仰によって今もなお語っている」という言葉に、ジーンと来ます。
一昨日の日曜日、Kさん(婦人)の葬儀を行いました。
Kさんは「愛の人であった」ということが、家族の人の言葉に証明されていました。
私は死んだら何という代名詞を頂けるのであろう。
過分に評価されたくはありませんが、悪い評価もされたくもない。
私を知り尽くす家族の評価は、一番気になるところなのです。
磯部豊喜
みことばの花 190204「欲心」
みことばの花190204「欲心」
「これによって、その所の名はキブロテ・ハッタワと呼ばれた。
欲心を起した民を、そこに埋めたからである。」(民数記 11:34)
人間には「こうしたい、ああしたい」という欲求があります。
過激な欲の心を、欲心と呼びます。
慾という常用外の漢字がありますが、これがそうなのでしょう。
しかし欲は欲でも気分転換とか、新しい切り替えをするために願う欲求はあっても良いと思います。
上記のみ言葉は、欲心の民のことが書かれています。
完全食といわれるマナという天から降ってきてパンに飽き足らずに、
「肉が食べたい」という欲心を持った人々に神はうずらを用意されました。
人々はこれを貪った。その姿が主の怒りに触れました。
「キプロテ・ハッダワ」とは「貪欲の墓」と呼ばれます。
「貪欲」のために命を閉ざされた悲しい記念碑の名です。
行き過ぎた欲心には常に気を付けなければならないと思います。
磯部豊喜