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みことばの花 190316「人の子も三日三晩」
みことばの花190316「人の子も三日三晩」
「すなわち、ヨナが三日三晩、大魚の腹の中にいたように、人の子も三日三晩、地の中にいるであろう。」(マタイ 12:40)
昨日のヨナの体験に合わせ「人の子」と自称されたキリストの出来事が予告されています。
上記はキリスト自らの言葉です。
「人の子も三日三晩、地の中にいるであろう」とは、キリストは十字架で死なれ三日間ほど眠られた後に、復活することを表しています。
キリストが地の中に丸一日置かれたのは、土曜日でした。
「土」は十(十字架)と一(地)の合成文字。主が唯一24時間を休まれたのが「第七日安息日」。
この主を覚えて「土曜日」を過ごしたいものです。
磯部豊喜
みことばの花 190315「魚の腹」
みことばの花190315「魚の腹」
「主は大いなる魚(うお)を備えて、ヨナをのませられた。ヨナは三日三晩その魚(うお)の腹の中にいた」(ヨナ 1:17)
南アフリカの海でこの2月にサメの撮影をしていたダイバーが、クジラに飲み込まれそうになりました。
クジラは深く海へ潜ることが出来ますが、この絶対絶命の危機にクジラは「これは餌とは違う」と思ったのか、
彼をペッと吐き出して事なきを得ました。
このニュースに触れて、聖書の中に登場するユニークな話を思い出しました。
それは預言者ヨナの話。わずか3ページの短い聖書の話ですが、とても興味深いドラマがそこにあります。
ヨナの場合は、「三日三晩その魚の中にいた」とあります。
彼の不信仰を戒められる出来事ですが、神の保護もあったという。
彼が悔い改めの祈りをささげた時、「魚はヨナを陸に吐き出した」とあります。
まだ読んだことがないのでしたら是非、一度お読みください。
「神の愛」がこの書の主題です。
磯部豊喜
みことばの花 190314「関係」
みことばの花190314「関係」
「ペテロはイエスに言った、『わたしの足を決して洗わないで下さい』。
イエスは彼に答えられた、『もしわたしがあなたの足を洗わないなら、あなたはわたしとなんの係わりもなくなる』。」(ヨハネ 13:8)
「本当の贅沢というものは、たったひとつしかない。
それは人間関係に恵まれることだ」とサン・テグジュベリ氏(フランスの作家)は語っていますが、
イエス・キリストと弟子ペテロとの恵まれた関係づくりの一面がここに記されています。
ペテロは師であるキリストに、汚れた自分の足を洗ってもらうなんてとんでもないと拒みました。
ところがキリストはこれを拒むならば、「あなたとわたしはなんの係わりもなくなる」と言われます。
「わたしはあなたのためにしたいのだ」、この親切を拒んではならないというのです。
親切を受けるということも関係作りには必要です。
心からの親切であれば受け取って良いと思います。良き人間関係のために。
磯部豊喜
みことばの花 190313「彼の旗は愛」
みことばの花190313「彼の旗は愛」
「彼はわたしを酒宴の家に連れて行った。わたしの上にひるがえる彼の旗は愛であった。」(雅歌 2:4)
「旗色を鮮明に」…という言葉を、私は信仰の恩師から幾度となく聞かされてきました。
どういうことかといいますと自分の立ち位置、自分は何を信じているのか、
どのような人生の指針を持っているのかを決して隠さない生き方をするということです。
しかし臆病な自分がいて、その旗を引っ込めてしまいたくなる時があります。
そのとき、上記の聖句が、私の心に迫りました。「彼の旗は愛」。
私にとってこの彼とはキリスト。キリストの「旗は愛」。
この旗色を忘れないよいうにしたいのです。
磯部豊喜
みことばの花 190312「アリマタヤのヨセフ」
みことばの花190312「アリマタヤのヨセフ」
「そののち、ユダヤ人をはばかって、ひそかにイエスの弟子となったアリマタヤのヨセフという人が、
イエスの死体を取りおろしたいと、ピラトに願い出た。
ピラトはそれを許したので、彼はイエスの死体を取りおろしに行った。」(ヨハネ 19:31)
昨日、私は父と妹と共に、母の遺骨を納めるため墓地に行きました。
すでに母の息は神様のもとに戻り、残されたのは小さな骨壺にある骨だけです。
母は復活を願って眠っています。
ところでキリストの十字架後に、キリストのご遺体を受け入れることを名乗り出られた人がいました。
その人はアリマタヤのヨセフというユダヤ議会の議員さんでした。
彼は公然とキリストへの信仰表明こそはしていませんでしたが、密(ひそ)かなるキリストの弟子でした。
しかしキリストの死後、自分の人生の道筋をはっきと表明しました。
人生を正しく送るためには、時としてヨセフのような決断が必要な気がします。
磯部豊喜