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みことばの花 190714「人をさばく者」

みことばの花190714「人をさばく者」

「だから、ああ、すべて人をさばく者よ。あなたには弁解の余地がない。
あなたは、他人をさばくことによって、自分自身を罪に定めている。
さばくあなたも、同じことを行っているからである。」(ローマ2:1)

私の心から取り去りたいもの…それは「さばく心」。
されどなかなか抜けきれいなもの…「さばく心」。
なぜ「さばく心」の剣は、私の心の中に光るのでしょうか。
それは自分こそが正しいと思うからでしょう。
「さばく心」は、隠すことが難しい。
目線とか態度で現れるからです。
「さばく心」が恐ろしいのは、「他人をさばくことによって、自分自身を罪に定めている」ということ。
「さばく心」を追い払う方法はあるのか。
少なくとも人をさばきたくなる時、その人の良いところを探すとよい。
そうすれば「さばきの心」という剣は鞘(さや)に納まると思います。
主の守りが今日もありますように。

磯部豊喜

みことばの花 190713「隣人を愛する」

みことばの花190713「隣人を愛する」

「あなたはあだを返してはならない。…あなた自身のようにあなたの隣人を愛さなければならない。わたしは主である。」(レビ19:18)

しばしば「旧約聖書の神は厳しい神、新約聖書は愛の神」だという声を聞きます。
ですが私は違います。
旧約聖書の神も新約聖書の神も同じ創造の神だと信じています。
上記は旧約聖書に記された神のみ言葉。
「あなた自身のようにあなたの隣人を愛さなければならない」というみ言葉は、
「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくし、力をつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。
第二はこれである、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。これより大事ないましめは、ほかにない』」
(マルコ12:30、31)と語られた主のみ言葉。
神は愛です。
今日は第七日安息日、神の愛を受け止めに教会へ行くのです。

磯部豊喜

みことばの花 190712「することができる」

みことばの花190712「することができる」

「わたしを強くして下さるかたによって、何事でもすることができる。」(ピリピ4:13) 

上記はわたしの好きな聖句の一つです。
ここには「何事もできない」とか「だめだ」という悲観的な言葉は書かれていません。
とはいうもの時々、「できない」とか「だめた」という弱音の虫が私の心の中で騒ぐことがあります。
今朝、高校野球の地方大会で取り上げられた一選手の話を聞きました。
彼は小学校5年生時に脳梗塞を発症し右側がマヒとなりました。
とても悔しい、でもこの少年は「野球をやりたい」一心で懸命にリハビリをしバッドを振れるようになりこの夏、ベンチ入りし代打で出場。
空振り三振で彼の夏の高校野球は終わりましたが、彼の言葉がいい。
「自分は『出来ない』という言葉が嫌いです」。
実際、人にはできないことはたくさんありますが、最初からあきらめない生き方には魅力があります。
今日も上記の聖句を唱えてスタートをしたい!

磯部豊喜