みことばの花 200417「彼のように」

みことばの花 200417「彼のように」

「わたしたちもこの世にあって彼のように生きているので、さばきの日に確信を持って立つことができる。
そのことによって、愛がわたしたちに全うされているのである。」(Ⅰヨハネ 4:17 口語訳)

「この世にあって彼のように生きている」とは、すごい言葉です。
ここでいう彼とは、神の御子イエス・キリストを指しています。
上記の言葉は「この世にあってイエスのように生きている」と書き換えることが出来ます。
イエス・キリストのように生きたい…という願いはあります。
しかし一日の生活を終えて、振り返った時にとてもそのように言い切れない自分がいます。
イエス・キリスト「らしく」でも生きられたら良いのですが、事実はその「らしく」さえもない。
ほど遠い生き方をしている自分がいます。
朝目覚めて「どうぞ主よ、私の心の中にお入りください」と祈る必要を日々感じます。
今日も、愛の主を求めたい!

磯部豊喜

みことばの花 200416「注意」

みことばの花 200416「注意」

「だから、あなたの内なる光が暗くならないように注意しなさい。」(ルカ 11::35 口語訳)

また新型コロナの話ですが、この厄介者の登場は、人の心も変えてしまうような気がします。
他人と2メートルは離れるとか、三密は避けなさいと勧められます。これらは致し方のないこと。
ここでふと思ったこと。それは新型コロナのために「私の内なる光も暗くなってはいまいか」ということです。
新型コロナに関しては自分を守ることは、他人を守ることになるので自粛は必要。
しかしこれが「内なる光も暗くならないように注意し」たい。
このように心を暗くする環境に支配されず、自分は努めて前を向き明るく生きたい。
今日、主が私を明るくしてくださいますように。

磯部豊喜

みことばの花 200415「詳しく調べる」

みことばの花 200415「詳しく調べる」

「テオピロ閣下よ、わたしもすべての事を初めから詳しく調べていますので、ここに、それを順序正しく書きつづって、閣下に献じることにしました。」
(ルカ 1:3 口語訳)

情報の取り扱いかたというものは難しいものです。
近年、フェイクニュースだとかデマメールなどというものが飛び交っていますので、素直に信じてはいけない時代になっています。
この情報は本当に真実なのか、そこから「詳しく調べる」必要があります。
先日、私自身の失敗からそのようなことを学びました。ところで、聖書の中にも「詳しく調べ」という言葉が出てきます。
上記は著者ルカが、その福音書を書くにあたっての前置きの言葉。
ルカは神の御子イエス・キリストのことを詳しく調べて書いたのでした。
信憑性というのは、自分の感覚や思い込みでは生まれない。
正確な情報を調べることの大切さをこの聖句からも教えられます。
今日も主の恵みと守りがありますように。

磯部豊喜

みことばの花 200414「愛の三原則」

みことばの花 200414「愛の三原則」

「わたしたちは、兄弟を愛しているので、死からいのちへ移ってきたことを、知っている。愛さない者は、死のうちにとどまっている。」
(Ⅰヨハネ 3:14 口語訳) 

昨日の続きですが、今年のサインズ誌5月号に記されている天野周一さんは、「新亭主関白道段位認定基準」なるものも書いています。
「初段=三年以上たって、『妻を愛している人』。
二段=家事手伝いが上手な人。
三段=浮気をしたことがない人、バレていない人。
四段=レディファーストを実践している人。
五段=愛妻と手をつないで散歩が出来る人。
六段=愛妻の話を真剣に聞くことが出来る人。
七段=嫁・姑問題を一夜にして解決できる人。…」 続く三つが重要です。
「八段=『ありがとう』をためらわずに言える人。
九段=『ごめんなさい』を恐れずに言える人。
十段=『愛している』を照れずに言える人。」

「ありがとう・ごめんなさい・愛している」。これは愛の三原則だという。
「ウム、難しいと悩む者には伸びしろがある」と自分自身に言い聞かせています。

磯部豊喜

みことばの花 200413「新亭主関白」

みことばの花 200413「新亭主関白」

「夫たる者よ。あなたがたも同じように、女は自分よりも弱い器であることを認めて、知識に従って妻と共に住み、…」(Ⅰペテロ3:7 口語訳)

今年のサインズ誌5月号に興味深い一文がありました。
「よく誤解されるのは、亭主関白ということの本当の意味が理解されていいない…『亭主』とは、お茶をふるまう人、もてなす人という意味があります。
そして『関白』。これは歴史を紐解けばすぐにわかります。
天皇の次の位の天皇を補佐する役目です。では、家庭内で一番の権力者は誰かと言うと、間違いなく奥様ですね。
ですから、真の意味で亭主関白とは、『いかに妻を愛するか』『いかに妻を手助けできるか』ではないかと思うんです。
私たちはそれを『新亭主関白』と呼んでいます」(天野周一)。
上記の聖句と共に、心に刻みたい内容でした。
今日も主の守りがありますように。

磯部豊喜

みことばの花200412「最高の物語」

みことばの花200412「最高の物語」

「御言に仕えた人々が伝えたとおり物語に書き連ねようと、多くの人が手を着けましたが、」(ルカ 1:2 口語訳)

「高原列車は行く」「紺碧の空」「六甲おろし」「暁に祈る」「黒百合の歌」「若鷲の歌」「ラバウル海軍航空隊」「長崎の鐘」「栄光は君に輝く」
「オリンピック・マーチ」…。
その生涯にジャンルを問わず約500曲を作曲されたとされる昭和の名作曲家古関裕而(こせきゆうじ=本名は古関勇治)の代表的な曲です。
これらの作曲の背景には、劇的な歴史があります。
時代に放浪されながら、生き抜かれた作曲家の姿を今年の「NHK朝ドラ『エール』」に描かれているようです。
私どもの人生にも、ときおり劇的なことが起こります。
ところでイエス・キリストの物語は、史上最高の真実の生涯であると私は信じています。
それは聖書の中にあります。
主の恵みが今日もありますように。
新型コロナの感染の流れが止まりますように。

磯部豊喜

みことばの花200411 「会う喜び」

みことばの花200411 「会う喜び」

「しかし、その所からあなたの神、主を求め、もし心をつくし、精神をつくして、主を求めるならば、あなたは主に会うであろう。」
(申命記 4:29 口語訳)

ニュースで研修医のお父さんとハイハイする0歳児の息子とがガラス越しに会い、手を合わせている様子が放送されていました。
息子は、あの人が自分のお父さんと気づいているのでしょう。とても微笑ましい光景。
ですがガラス越しでないと会えない。この切なさも伝わってきます。
新型コロナは、このように愛する者同士を引き裂いています。愛は引き裂かれることを無念に思います。
ですが愛は希望も深く心に刻みます。それが生きる原動力にもなります。
この親子の様子を見ていて、魂の父である神が、その子らである私たちを思う思いを瞑想しました。
神は私と会うことを楽しみにしています。神の心の響きが上記の聖句に描かれています。
今日は主に会う安息日。
ハッピーサバス!

磯部豊喜

みことばの花 200410「眠る」

みことばの花 200410「眠る」

「見よ、イスラエルを守る者は/まどろむこともなく、眠ることもない。」。(詩篇 121:4 口語訳)

「眠る」ことは心地よく気持ちの良いもの。
ところが仮眠のつもりが熟睡してしまうとどうでしょうか。予定が狂ってしまうことがあります。
ところで決して眠ることのないお方のことが上記の御言葉に書かれています。
聖書に登場する「イスラエル(=神の民)」とは私たちの象徴として読みたい。
私を「守る者は、まどろみこともなく、眠ることもない」。
またやがてきたる神の国では決して疲れない。
私どももまた「まどろむことも、眠ることもない」エネルギーに満ちた世界であることを覚えたい。
今日も主の恵みと守りがありますように。

磯部豊喜

みことばの花 200409「二種の赤」

みことばの花 200409「二種の赤」 

「すると今度は、赤い馬が出てきた。そして、それに乗っている者は、人々が互に殺し合うようになるために、地上から平和を奪い取ることを許され、
また、大きなつるぎを与えられた。」(黙示録 6:4 口語訳)

昨日の夕方の月をご覧になられたでしょうか。それは「赤い月」でした。
聖書には「赤い」という文字で何かを象徴する箇所がいくつかあります。
グループ①「赤い雌牛」(民19:2 口語訳)、「赤い糸のひも」(ヨシュア2:18 口語訳)、「赤い外套」(マタイ27:28 口語訳)
グループ②「赤い龍」(黙12:3 口語訳)、「赤い獣」(黙17:3 口語訳)、そして上記の「赤い馬」(黙6:4 口語訳)。
赤は主に二つの意味が象徴されています。
一つはキリストの血を象徴し、救済に関するもの(上記のグループ①)。
今一つは、サタン(神の敵)的なものを象徴しています(上記のグループ②)。
人の救済として「赤」があり、人の滅亡としての「赤」がある。
人生は二者択一、中間はない。
果たして私はどちらの「赤」を選ぶのでしょうか。

磯部豊喜

みことばの花 200408「初めて」

みことばの花 200408「初めて」

「…ふたりは、まる一年、ともどもに教会で集まりをし、大ぜいの人々を教えた。
このアンテオケで初めて、弟子たちがクリスチャンと呼ばれるようになった。」(使徒 11:26 口語訳)

ここ近年、「初めて」の体験が次々と起こっています。
その数があまりにも多い。昨年は台風災害というものを体験し、私の牧師経験の中で初めて教会での礼拝を休止しました。
あれから半年にもならないのに、今度は感染力の強い新型コロナなるものがやってきて、礼拝が初めて連続の休会となっています。
今朝の新聞の見出しは、大きく「緊急事態宣言」とあり、これも初めて。
さて聖書にも「初めて」の出来事がいくつかありますが、上記はまったく正反対の内容での「初めて」。
教会での集まりに大勢の人々を数え、彼らは初めてクリスチャンと命名されたとある。
今は各家庭に向けて礼拝のライブ配信を行っています。
これまで当たり前のことが、当たり前でなくなっています。
もっと当たり前のことを感謝しなくてはと思います。

磯部豊喜