みことばの花 191003「脱皮」

みことばの花 191003「脱皮」

「互にうそを言ってはならない。
あなたがたは、古き人をその行いと一緒に脱ぎ捨て、 造り主のかたちに従って新しくされ、真の知識に至る新しき人を着たのである。」
(コロサイ 3:9,10 口語訳)

水中昆虫として知られるヤゴが脱皮を繰り返し、やがてトンボになって水の中から脱出し、空を飛び回ることは良く知られています。
トンボの種類によって回数は異なるものの、羽化直前まで脱皮は7~14回を繰り返すとのこと。
羽化の時期が近づくと、捕食をやめ陸にあがり、木や草、岩などの高さのある場所に登って体を固定して素晴らしい羽根を広げて
トンボになります。
このヤゴからトンボになる姿から、人間もどこか似ていると感じました。
人生において様々な風雪に見舞われる体験をし、人は心の脱皮を繰り返すような気がします。
そして多くの脱皮経験をしたものは、やがて天使のような羽をつけて天国に入る。
まさに上記の聖句のようです。
今日も一皮むける主の恵みに預かりたいと思います。

磯部豊喜

みことばの花 191002「わたしたちが神の子と呼ばれるためには」

みことばの花 191002「わたしたちが神の子と呼ばれるためには」

「わたしたちが神の子と呼ばれるためには、どんなに大きな愛を父から賜わったことか、よく考えてみなさい。
わたしたちは、すでに神の子なのである。…」(Ⅰヨハネ 3:1 口語訳) 

上記の聖句がそのまま讃美歌になっている曲があります。

「わたしたちが神の子と呼ばれるためには♪、
どんなに大きな愛を父から賜わったことか♪、
よく考えてみなさい、良く考えてみなさい♪
どんなに大きな愛を父から賜ったことか♪」

曲題は「わたしたちが神の子と呼ばれるためには」。

こんな一文があります。
「アダムは、土のちりで造られたが、『神の子』であった。」(エレンホワイト著「人類のあけぼの」㊤p18)
今、人は罪のために神の子としての称号が失われています。
ですがまた主イエスによって回復されるとの約束があります。この天の父の大きな愛を思いたい。

磯部豊喜

みことばの花 191001「ひとりの人」

みことばの花 191001「ひとりの人」

「このようなわけで、ひとりの人によって、罪がこの世にはいり、また罪によって死がはいってきたように、
こうして、すべての人が罪を犯したので、死が全人類にはいり込んだのである。」(ローマ 5:12 口語訳)

上記の聖句は、内容に特徴があるので、幾度が「みことばの花」の瞑想に取り上げました。
今日は、これまでとは別の視点でこの聖句をみたい。
今日の着目点は「ひとりの人」。
「たったひとりの人が何をできるか」などと冷めた心を持つことがありますが、
先日スウェーデンの16歳の少女グレタ・トゥンベリさんが、国連本部で各国の首脳らを前に涙ながらに
「温暖化対策」のことを訴え人々の心を揺さぶっています。
人類の祖先アダムによって「罪がこの世にはいり」とありますが、この少女の訴えも世界を変えるかも知れません。
「ひとりの人」は小さい。
ですが、ただ一人のイエス・キリストが12人の弟子たちの心を変え、やがてこの人々が世界を変えました。
「ひとりの人」はたかが一人、されど一人でもあるのです。

磯部豊喜

みことばの花 190930「最もよく…」

みことばの花 190930「最もよく…」

「わたしはあなたをほめたたえます。あなたは恐るべく、くすしき方だからです。
あなたのみわざはくすしく、あなたは最もよくわたしを知っておられます。」(詩篇 139:14 口語訳)

時々、自分なのに自分のことが分からなくなることはありませんか。
実際そうです。身体の状態のことも検査にでもいかないと自分の状態は分かりません。
心もそうかも知れません。
自分の心で良いと考えていることが、他の人にとってはそうでない場合があります。
パウロも「わたしは自分のしていることが、わからない。
なぜなら、わたしは自分の欲する事は行わず、かえって自分の憎む事をしているからである」(ローマ7:15 口語訳)
という言葉を残しています。
結論をいえば、私のことを「最もよく」知っているのは神様以外にはいないということなのでしょう。
それならば、主に今日の私をゆだねて行くのが一番です。
心も安定します。
今日も主も恵みがありますように。

磯部豊喜

みことばの花 190929「後ろのものを忘れ」

みことばの花 190929「後ろのものを忘れ」

「ただこの一事を努めている。すなわち、後のものを忘れ、前のものに向かってからだを伸ばしつつ、」(ピリピ 3:13 口語訳)

人が前に進めない最大の理由。
それは恐らく過去の失敗経験が足を引っ張り、前に向かうことを恐れさせてしまうことではないか。
過去の失敗経験は、一つの失敗を学ぶ教訓にはなっても、それをもって前へすすめない材料にしてはならないと思う。
思想家のラフル・ワルド・エマーソンの言葉に「恐れることをやってみろ。
そうすれば恐怖心は跡形もなく消え去る」とある。
今回の世界ラグビーで格上のアイルランドを破った日本のラグビーは、その言葉を連想させます。
ずっと負けていた相手に初めて勝ったのはすごい。
私自身、弱音の虫に打ち勝つ秘訣を教えられた気がします。

磯部豊喜

聖句カード  (人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。 先のものが、すでに過ぎ去ったからである」。黙示録21章4節 口語訳)

聖句カード
(人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。
 先のものが、すでに過ぎ去ったからである」。 黙示録21章4節 口語訳)

みことばの花 190928「愛に根ざし愛を基として」

みことばの花 190928「愛に根ざし愛を基として」

「また、信仰によって、キリストがあなたがたの心のうちに住み、あなたがたが愛に根ざし愛を基として生活することにより、すべての聖徒と共に、その広さ、長さ、高さ、深さを理解することができ、また人知をはるかに越えたキリストの愛を知って、神に満ちているもののすべてをもって、あなたがたが満たされるように、と祈る。」(エペソ 3 :17-19)

ここにキリストの圧倒的な愛の姿が表現されています。
キリストの愛を極めることは難しいでしょう。
これを書いたパウロは、かつてキリスト教を滅ぼすためにその運動の先鋒として励んでいた人物。
ですが復活のキリストに出会い、彼は自分の過ちを知り、キリストに帰依しました。
彼は迫害者である自分を受け入れてくださったキリストの愛の広さを知りました。
その精一杯の表現の一つが上記です。
今日は聖なる第七日安息日、キリストの愛を求めて教会に行きたいと思います。
ハッピーサバス!

磯部豊喜

みことばの花 190927「招きに応える」

みことばの花 190927「招きに応える」

「見よ、おまえたちの家は見捨てられてしまう。」(マタイ 23:38 口語訳)

今日は「選びの大切さ」を考えたい。
昨日の「みことばの花」では、
イスラエル(元ヤコブのこと)が別れ別れになっていた愛する息子ヨセフとの喜びの再会の言葉に触れましたが、
上記はイエス・キリストが言われたみ言葉で、キリストを拒んだエルサレムの人々に語られた嘆きの言葉の一節です。
昔神は預言者を遣わし、最後は御子が来られて熱意をもって天国に入る人々を求め招待されましたが、
それを頑なに拒んだエルサレムの人々に対するみ言葉です。
人を永遠の命に救う天国への門戸は、神の側では常に開かれています。
ただ神はそれを強要はなさらない。
選びは常に自由だからです。
愛の神は常に、愛情をこめて神と天国を選ぶように私を招いておられます。
今日も主の愛がありますように。

磯部豊喜

みことばの花 190926「Live=ライブ」

みことばの花 190926「Live=ライブ」

「そしてイスラエルは言った、『満足だ。わが子ヨセフがまだ生きている。わたしは死ぬ前に行って彼を見よう』。」
(創世記 45:28 口語訳)

昨日、S姉のプロデュースで小さなスナックにて人生初の「賛美ライブ」を行いました。
下手な演奏ですが、ギターの弾き歌いを行いました。
聴衆は約15人くらいでしたが、その多くはノンクリスチャン。
ですが、温かく忍耐深い人たちでした。
私ごときの聖書のショートメッセージを挟みつつ奏でる讃美歌を聴いたり、一緒に歌ってくださいました。
ところで「賛美ライブ」のライブは「Live」と書きます。
これには生演奏という意味があります。
他にも「生きている」といった形容詞でも使われます。
生きていればライブも出来、上記のイスラエルのように愛する人と再会できる。
ですが真の「Live(ライブ)」は、天国での再会です。
主の恵みが今日もありますように。

磯部豊喜