みことばの花 180702「天の財産」

みことばの花180702「天の財産」

 「また、あなたがたのために天に蓄えられている、朽ちず、汚れず、しぼまない財産を受け継ぐ者としてくださいました。」(Ⅰペテロ1:4【新共同訳】)

昨晩TVで、江戸の大火のことが報じられていました。江戸の大火の中で明暦の大火(めいれきのたいか=明暦3年1月18日<西暦1657年3月2日>)は特に有名です。乾燥していたのでしょうか。18-19日にわたって山の手3箇所から出火し、江戸城の天守を含む江戸の大半が焼失。死者数は6~10万くらいと推計されています。江戸の火事は関ヶ原の戦いの翌年(1601年)から大政奉還(たいせいほうかん)が行なわれた1867年に意たる267年間に49回(5~6年に1回)も大火が発生したといいます。このことはこの地上の住まいが、いかに不安定であるかを示しています。ですが天にある住まいには大火は起こらない。しかもそこでの人の命の永遠です。この永遠の世界こそが「天の財産」だと御言葉は教えます。今日も天の財産を受け継ぐ者としての歩み(救い主イエス・キリストを心から信じて、神を愛し、人を愛する生活)をさせていただきたいものです。今日も主の恵みがありますように。

磯部豊喜

みことばの花 180701「命を損したら」

みことばの花180701「命を損したら」

「たとい人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか。また、人はどんな代価を払って、その命を買いもどすことができようか。」(マタイ 16:26)

今朝もワールドカップのことをまず書いてみたい。日本第三戦の西野監督の采配(最後の10分のパス回し)に賛否両論が飛び交っています。反対派は、「サムライジャパンの名にそぐわない」という。賛成派は「とにかく結果が良かったのだからそれでよい」という。選手たちに一日でも試合を長く続けさせたい。批判を覚悟での西野さんの決断であったと思います。西野監督が第三戦に見せた采配に、多くの人々が驚いたこもう一つのこと。先発メンバーを6人も入れ替えたことです。西野さんに脳裏には決勝トーナメントが想定されていたのでしょう。主力メンバーを休ませた。すごい監督だと思います。ベルギー戦でもし勝利すれば、この決断は賞賛される。それにしても命はつながれた。キリストの上記の御言葉を思い出しました。「自分の命を損したら…」。長く長く(永遠の命に)生きることを神様は私どもに望まれます。西野ジャパンも生き延びた。「これでいいのだ…」と天才バカボンのお父さんの声?が聞こえます。

磯部豊喜

みことばの花 180630「一緒に」

みことばの花180630「一緒に」

「主は言われた『わたし自身が一緒に行くであろう。そしてあなたに安息を与えるであろう』。」(出エジプト33:14)

「今日は第七日安息日…」といいたいところでしたが、30日は午後11時まで「みことばの花」を書く機会を失っていました。今夜(30日)は東京へ来てPCに向き合いました。安息日は過ぎてしまいましたが、安息日とは安息の日と書きます。そして安息は、私(人間の側)で勝手に持つものではない。安息は主から与えられることが、上記の聖句の中に記されています。そして安息の本当の意味もここに表されていました。「わたし自身が一緒に行く」、神様が一緒に行かない限り、真の安息はないのだと教えられました。ところで神様はどういう時に一緒に行ってくださるのでしょう。キリストのお語りになられた「わたしに来る者を拒みはしない」(ヨハネ6:37)とありますので、キリストを求めキリストのところへ行く人のところへ、主は来てくださるという。安息とは、キリストが共におられてはじめて得ることができます。キリストを拒むことなく、キリストを求め続けて、新しい一週間を過ごせるならば幸いです。

磯部豊喜

みことばの花 180629「負けて勝つ」

みことばの花180629「負けて勝つ」

「そもそも、互に訴え合うこと自体が、すでにあなたがたの敗北なのだ。なぜ、むしろ不義を受けないのか。なぜ、むしろだまされていないのか。」(Ⅰコリント 6:7)

ワールドカップサッカーでは昨晩、日本とポーランド戦が行なわれました。決勝トーナメントにつながる大切な試合で日本は0-1で敗北。気になるのが同グループでのセネガルとコロンビアの戦いの結果。しばらくは0-0でした。このままだと日本はグループ3位になり決勝進出できなくなる。もし日本が引き分けに持ち込めれば、日本とセネガルが決勝へ。コロンビアは必至に戦い1-0になった。これで日本とセネガルは横に並ぶ。そしてルールによれば、反則数の少ない日本が良い。日本の作戦は、なんと0-1のまま攻撃をストップしてコロンビアまかせにすること。こんな選択もあるのかと思いました。そしてコロンビアが勝ち、日本は薄氷の決勝進出。負けて勝った試合となりました。これを見て思いました。目先の勝ち負けよりも目標は決勝進出。これは人生にも通じるのでは…。目標がどこに設定されるかです。上記の聖句も、賢く敗北を生きる生き方が教えられています。先を見据えて泥臭く戦った西野ジャパンと重なるような気がします。

磯部豊喜

みことばの花 180628「彼は争わず」

みことばの花180628「彼は争わず」

「彼は争わず、叫ばず、またその声を大路で聞く者はない。」(マタイ 12:19)

先日、神様の顔や姿のことを書きましたが、「神様の顔はその品性」ということを書かせて頂きました。人もそうですが、真の美しさは外見にあらず人の心の状態にあると思います。4,5年前に知った「泥かぶら」という少女の話。ある村に孤児の醜い少女があって、着物はボロボロ、身体も洗わないので「泥かぶら」と呼ばれ、子供たちから石を投げられ、少女も石を投げ返すという有様で、心はあれていった。ある日少女は「美しくなりたい!」と叫んでいると老法師が通りかかり、美しくなる秘訣を教えた。一つ、自分の醜さを恥じないこと、二つは、いつも微笑むこと、三つは、人の身になっておもうこと。「泥かぶら」は激しく心を動かされ、その言葉のように生きていく。最後には、人買いに売られながらも、明るく生きる少女に人買いの心も変えていく。人買いは「仏のように美しい子よ」との手紙を残し姿を消した。さて神様の御品性を現されたイエス・キリストについて「彼は争わず」と聖書に書かれています。この品性をやさしく身に付けられたら素晴らしいと思うのです。

磯部豊喜

みことばの花 180627「人生の実力」

みことばの花180627「人生の実力」

「だから、わたしはキリストのためならば、弱さと、侮辱と、危機と、迫害と、行き詰まりとに甘んじよう。なぜなら、わたしが弱い時にこそ、わたしは強いからである。」(Ⅱコリント 12:10)

謎解き問答を考えました。「弱い時にこそ、強いものはな~に」。それは本物のクリスチャン!上記の聖句によれば、そういうことになります。ところでこの聖句、リビングバイブルを読むと分かりやすい。「すべてはキリスト様のためであることを知っているので、その『とげ』も、侮辱も、苦しみも、迫害も、困難も、大いに喜んでいます。なぜなら、弱い時にこそ、私は強いからです。―無力であればあるほど、それだけしっかりと、キリスト様によりすがるようになるからです。」この下線部が、補足されています。「どのような状況に置かれても、そこに生きている証を読み取り、その状況を幸せだと思えるかどうかで、人生の実力が決まると思う」(柏木哲夫)と味のある言葉を知りました。「人生の実力」は、逆境をどう包み込むか。上記の御言葉を残されたパウロは、その秘訣を知っていたようです。「わたしが弱い時にこそ、わたしは強い!」と。今日も主の恵みの中でお過ごしください。

磯部豊喜

みことばの花 180626「腹が減っては…」

みことばの花180626「腹が減っては…」

「その時、民のひとりが言った、『あなたの父は、かたく民に誓わせて「きょう、食物を食べる者は、のろわれる」と言われました。それで民は疲れているのです』」(サムエル㊤ 14:28)

いまワールドカップサッカーで日本のイレブンが頑張っているようなので、日本全土が熱く燃えています。「アジア勢はワールドカップには弱い」と言われていますので、つい日本ばかりでなくアジアから出場しているチームも応援したくなります。その中で、日本と互角以上の力を持っているのがサウジアラビア。ところが地元開催国ロシアとはいえ、ずっと格下のロシアにサウジアラビアは0-5の大差で負けてしまいました。ネットの情報でその理由が分かりました。サウジアラビアがロシアと戦った日は、イスラム教の断食の日であったそうです。これでは大敗する理由も納得です。実はこちらは聖書の中に登場する本当の戦争。断食を強いて敵と戦わせたサウル王のことが書かれています。サウル王の息子はヨナタン。この王子は話の分かる人だったので、民の一人が彼に訴えます。「腹ペコでは戦えない!」と。祈るために断食を行なうことは、聖書にも勧められています。ですが、断食しての肉体活動(運動)は厳しい。ところで、主の御言葉だけは断食をせず、今日を過ごしたいものです。

磯部豊喜

 

みことばの花 180625「平和をつくる」

みことばの花180625「平和をつくる」

「最後に、兄弟たちよ。いつも喜びなさい。全き者となりなさい。互に励まし合いなさい。思いを一つにしなさい。平和に過ごしなさい。そうすれば、愛と平和の神があなたがたと共にいて下さるであろう。」(Ⅱコリント 13:11)

懐かしい名前の元プロ野球選手が、昨日の新聞(朝日)の第一面に出ていました。かつて広島東洋カープで活躍した兄や安仁屋宗八(あにやそうはち)氏です。今年の夏の全国高校野球は100回大会と言う記念の節目を迎えて、甲子園に出場できるチームは56チームもあるそうです。この100回は、連続行なわれたのではありません。かつて途切れてしまった時があります。「平和ではないと高校野球は行なわれない」と言われます。第1回大会から29回大会までは全国中学校優勝野球大会との名称で1915年10校でスタートし、1941年の日華事変から、太平洋戦争終結1945年まで中断となりました。1947年に再開し、1948年より全国高等学校野球選手権大会になって今に至る。キリストは「平和をつくり出す人たちは、さいわいである」(マタイ5:9)を教えられました。平和を願うことはもちろんのこと、「つくり出す」という努力は、必要なことだと思います。ノーモア、戦争!平和の主が来られるまで、高校野球が続きますように…。

磯部豊喜

 

みことばの花 180624「生きる」

みことばの花180624「生きる」

「聖書に『最初の人アダムは生きたものとなった』と書いてあるとおりである。しかし最後のアダムは命を与える霊となった。」(Ⅰコリント 15:45)

人祖アダムは「生きたものとなる」ために神様によって造られました。昨日6月23日は、1945年のその日は、太平洋戦争末期の沖縄戦が終った日とされます。激しい地上戦で沖縄県民の4人に1人が亡くなったそうです。その追悼式では中学生の相良倫子さん(14)が平和の詩」を朗読されたとのこと。「みんな、生きていたのだ。私と何も変わらない。懸命に生きる命だったのだ。壊されて、奪われた。生きた時代が違う。ただ、それだけで。無辜(むこ=何の罪もないこと)の命を。あたり前に生きていた、あの日々を。小鳥のさえずりは、恐怖の悲鳴に変わった。優しく響く三線(さんしん)は、爆撃の轟(とどろき)に消えた。青く広がる大空は、鉄の雨に見えなくなった。私は、今をいきている。みんなと一緒に。そして、これからも生きていく。一日一日を大切に。平和を想って。平和を祈って。なぜなら、未来は、この瞬間の延長線上にあるからだ。つまり、未来は、今なんだ。」。この詩のタイトルは「生きる」。私も今日を、もっと丁寧な生き方をしたいと心に刻まねば…申し訳ない。

磯部豊喜