みことばの花 181127「未来を見て歩く」

みことばの花181127「未来を見て歩く」

「イエスは彼に言われた、『起きて、あなたの床を取りあげ、そして歩きなさい』。」(ヨハネ 5:8)

今朝も歩くことにまつわる聖句です。この聖句は、38年もの間、病気に悩みずっと横になって生活していた人が、キリストのみ言葉によって歩くことへのスタートを切ったという話です。これは本当にあった奇跡の物語ですが、ここには隠された教訓もあると思います。それは人生というものは、ずっと過去の経験ににとらわれなくても良いということではないかと思います。この男は「主よ、水が動いた時に、わたしを池の中に入れてくれる人がいません。わたしがはいりかけると、ほかの人が先に降りて行くのです」と、彼は自分が病気から解放されない理由をキリストに説明します。ところがキリストは、その彼に「起きて、あなたの床を取り上げ、そして歩きなさい」と無茶なことを言われます。ですがこの言葉に従った、彼は歩けたと聖書は書いています。いやな過去と決別すると、未来が見えてくるということなのでしょうか。いえそれよりも未来に目を向ける時に、過去から決別できるということなのかも知れません。過去は変えられなくても未来は変えられる。

磯部豊喜

みことばの花 181126「愛のうちを歩く」

みことばの花181126「愛のうちを歩く」

「また愛のうちを歩きなさい。キリストもあなたがたを愛して下さって、わたしたちのために、ご自身を、神へのかんばしいかおりのささげ物、また、いけにえとしてささげられたのである。」(エペソ 5:2)

「寝たきりの老後がイヤなら毎日とにかく歩きなさい!」という本の題に目が止まりました。歩くことは「脳卒中」「認知症」「骨折」などの予防にもなると言われます。実は、わたしは千葉教会へ着任する前の教会時代には、よく歩いた時があります。最高2万以上を目指して歩いた日もありました。目的地に行くまでわざとクチャクニャとジグザグコースを作って進むのです。2万歩となると早歩きであっても2時間以上はかかります。しかし頑張りすぎたのか、足を痛めてしまいました。千葉へ来てからは、目的地が遠いところばかりなので、車ばかり運転をして歩くことが少なくなってしまいました。そうしましたらこれも足のためには良くない。やはり一日7千歩前後は歩くほうが調子が良いようです。さて上記のみ言葉には、「愛のうちを歩きなさい」とのお勧めがあります。今日もキリストの愛を見つめて、歩きたい。この歩き方には決して足の故障とはないでしょう。今日も上を見上げて一歩一歩進みたいと思います。

磯部豊喜

みことばの花 181125「本当の富」

みことばの花181125「本当の富」

「イエスはこれを聞いて言われた、『あなたのする事がまだ一つ残っている。持っているものをみな売り払って、貧しい人々に分けてやりなさい。そうすれば、天に宝を持つようになろう。そして、わたしに従ってきなさい』。」(ルカ 18:22)

11月22日(いい、ふ~ふ)、11月23日(いい、に~さん)、そして昨日は11月24日、私はこれを「いい、不死」と読みました。これは聖書だけが明言している約束。「イエスは彼女に言われた、『わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる』」(ヨハネ11:25)。イエス・キリストは十字架に架けられた後、三日後に死から復活して、このみ言葉が真実であることを証明されました。この事実は同時に彼を信じる者に与えられる「いい、不死」を約束します。さて今日は、11月25日。わたしは「いい、富豪」と読みました。上記は、一人の財産家にイエス・キリストがお語りになられたみ言葉です。厳しい内容ですが、真の価値観を教える言葉です。財産にとらわれていた若者に、この財産を愛の行為に変えて得られる真の喜びを示されました。彼がこの言葉に従ったならば、天に宝を持つ「いい、富豪」になれたに違いありません。今日も主の恵みがありますように。

磯部豊喜

みことばの花 181124「心は熱く」

みことばの花181124「心は熱く」

「霊はわたしをもたげ、わたしを取り去ったので、わたしは心を熱くし、苦々しい思いで出て行った。主の手が強くわたしの上にあった。」(エゼキエル 3:14)

今週は、グ~ンと涼しくなりました。我が家にもついに電気じゅうたんが、姿を見せました。ストーブもまだ作動はしてはないもののスタンバイしております。ところで今週の火曜日、北海道では観測史上最も遅い初雪が舞ったといいます。今年の冬は、どのような気候の冬になるのでしょうか。今年はとても暑い夏でした。冬は反動でとても寒い冬になるのか、それとも暖冬になるのか、予想しにくいのが昨今の気象事情でしょう。ところでどんなに寒くなっても、いつも「心は熱く」過ごしたいと思います。熱い思いで祈り、熱い唇で語り合い、熱い足で動き回り、熱いメッセージをPCに打つ…、これらは「熱い心」がなければ決して出来ないこと。「道々お話しになったとき、また聖書を説き明してくださったとき、お互の心が内に燃えたではないか」(ルカ 24:32)と語ったのは、死から甦られたキリストによって聖書の手ほどきを受けた弟子たちでした。今日は、第七日安息日。聖書に触れて、冬の寒さに決して負けない「熱い心」を養う一日でありたいと願います。ハッピーサバス!

部豊喜

みことばの花 181123「恥を恐れない」

みことばの花181123「恥を恐れない」

「人とその妻とは、ふたりとも裸であったが、恥ずかしいとは思わなかった。」(創世記 2:25)

昨日は11月22日でした。巷(ちまた)では「いい、ふ~ふ」と読むとのこと。この日にあやかってか昨夜のTV番組で、スーパーに買い物に来ていた夫婦に「恥ずかしくなる」ようなイベントを行なっていました。それは店内で、くじを引き、くじの内容をやってのける…というもの。寄り添うツーショット撮影を行なう(この場合買い物の3割引)とか、店内でお互いに大声で「愛しています!」を掛け合う(この場合は6割引)という内容。二人で仲良く買い物へ来ている人たちですから、撮影されたペア夫婦は、これを見事にやってのけていました。買い物の恩典があるとはいえ、もし自分があの場にいたら「恥ずかしがらずに出来るかどうか…」。「愛しています!」は言えるかもしれませんが、放送だけはNGにしたい。ところで「いい、ふ~ふ」のルーツは、人祖アダムとエバにも見られます。この二人が罪を犯すまでは、上記聖句のように互いに「恥ずかしいとは思わなかった」。愛には裸(隠したくなる心を含めて)の恥は無い。何事も「恥を恐れない」、本当の愛の人になれたら幸いです。

磯部豊喜

みことばの花 181122「二都物語」

みことばの花181122「二都物語」

「彼は力強い声で叫んで言った、『倒れた、大いなるバビロンは倒れた。そして、それは悪魔の住む所、あらゆる汚れた霊の巣くつ、また、あらゆる汚れた憎むべき鳥の巣くつとなった。』」(黙示録 18:2)

昨日「二頭追う者は一頭をも得ず」と書きました。すると敬愛する読者の方から、「『二兎を追う者は一兎も得ず』ではないでしょうか」とのご指摘がありました。こうして浅薄さを露呈してしまう私でありますが、ありがたき読者を持つ我が身は幸なり…です。カッコつけて英語を書いてみるとスペルを間違えていたり…。赤恥を書きながら「みことばの花」の配信は3年以上も続いているのは奇跡です。さてこの「二兎」から「二都物語」という言葉が浮かびました。「二都物語」というとディケンズの長編小説。フランス革命のころのパリとロンドンを舞台に四人の男女の複雑に変転する運命が描かれています。ところで聖書の黙示録にも「二都物語」と言える内容があります。それは新エルサレム(天の都=神の世界)とバビロン(地の都=悪魔の世界)です。最後はバビロンは滅亡し、新エルサレムは永遠に続く。「あなたはそのどちらの都を求めますか?」との問いを常に聖書は訴えています。今日もよき選びをしたいものですね。

磯部豊喜

 

みことばの花 181121「ふたりの主人」

みことばの花181121「ふたりの主人」

「だれも、ふたりの主人に兼ね仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛し、あるいは、一方に親しんで他方をうとんじるからである。あなたがたは、神と富とに兼ね仕えることはできない。」(マタイ6:24)

「二頭追う者は一頭をも得ず」といいます。欲張る心をたしなめる言葉です。これと似た言葉がレバノンを含む中東のことわざにもあるという。「スイカ二つを片手では持てない」という言葉。昨日の新聞やニュースで「日産ゴーン会長逮捕」「報酬50億円過少記載容疑」という言葉が、並べられていました。すべてが明らかとは言えないのですが、東京地検特捜部が逮捕したというのですから、これは事実なのかも知れません。それにしても50億円とは私にとっては高嶺の花です。年間に500万円稼ぐ人でも40年働いて得るのは、2億円程度です。有り余るほど持っている人なのに、欲と言うものには勝てないものなのでしょうか。ところでキリストのみ言葉には、「ふたりの主人に兼ね仕えることはできない」とある。特に「神と富に兼ね仕えることはできない」となれば、どちらに価値を持つか、これが人に問われているような気がします。本当に価値のあるものを選びたいものです。

磯部豊喜

みことばの花 181120「忘れてはならないもの」

みことばの花181120「忘れてはならないもの」

「その時、あなたはみずから慎み、エジプトの地、奴隷の家から導き出された主を忘れてはならない。」(申命記 6:12)

現代は情報配信の多い時代です。スマホをいじっていましたらこんな動画を発見しました。「みんなの替え歌」。その中に一人のご婦人が登場。「中島みゆき」さんの名曲「地上の星」の替え歌でした。聞いていて思わず笑ってしまいました。替え歌の題は「日常のドジ」。歌詞は「したはずのメガネ 買ったはずの豆腐 みんなどこへ行った 記憶たどるけど無く 財布忘れて行った 街角のスーパー 自転車乗って出かけた 徒歩で帰宅をします 前を走る車 急いで左折すると つられて自分も左折 つばめよ教えておくれ 今何をしに行った つばめよ私の豆腐 今どこにあるのだろう」。いや実はわたしもこの歌詞のような生き方をしています。特にどこに置いたかを忘れ、探すことの多いこと…。忘れて良いものがあります。怨念とかいやな思い出。しかし決して忘れてはならないものもあります。それは恩。してもらったことは忘れてはならない。上記の聖句もそうです。神様に奴隷の家から導いていただいたことを忘れてはならない。常に感謝できるから…。

磯部豊喜

みことばの花 181119「筒抜けの言葉」

みことばの花181119「筒抜けの言葉」

「彼らはヨセフが聞きわけているのを知らなかった。相互の間に通訳者がいたからである。」(創世記 42:23)

今日はまずホットな話題を。言葉は、地方によって異なっていますが、ある雑誌編集者の観察によれば、「京都は『はひふへほ』、大坂は『ばびぶべぼ』、神戸は『パピプペポ』」だそうです。京都弁は確かに…、納得します。大坂には「難波、道頓堀、堂島…」など濁音のものが多い。神戸となると、そんなイメージかも。では千葉は?私(磯部)イメージは「だべぶぺぽ」です。「だべ」とか「すっぺ」とかの語尾。さて、言葉遊びは興味が尽きませんが、外国語圏の人が、私の語る言葉を知っていたらドキッとします。上記はエジプトの宰相になったヨセフの物語の中の聖句です。ヨセフは少年の頃に兄たちにエジプト行きの隊商に売られてしまいましたが、神の導きでエジプトの総理大臣になった。そこへ飢饉のために兄たちがエジプトにやってきて再会しますが、兄たちは彼がヨセフだと気づかない。彼らの話は実はヨセフは通訳をつけていたものの筒抜けでした。実は私の心の会話も神様の前では筒抜けなのです。独り言であっても良い会話を自分自身の心の中でしたいものです。

磯部豊喜

みことばの花 181118「迷う」

みことばの花181118「迷う」

「主よ、わたしをさばいてください。わたしは誠実に歩み、迷うことなく主に信頼しています。」(詩篇 26:1)

「迷う」ということ、それは私にとって金魚のフンのように追いかけてきます。スパスパ!と決定できて「迷い」のない人生を送れたらどんなに良いかと時々思います。ところで「迷い」について、落語家の柳家小三治さんは「安心しているときが、一番危ないときだよ。迷ってねぇときは、危ない。迷っているときは、もっと危ない。要するにいつも危ない」と言っておられます。また毎日新聞記者の小国綾子さんは「迷うのは、自分で選ぼうとしている証拠、自分の頭で考えれいる人だけが得られる『勲章』みたいなものだ」と言っておられます。どちらも納得します。人生はとにかく二者択一という場面が多いです。

要は「迷って良いもの」と「迷ってはいけない」ものがあるということでしょうか。上記の「迷うことなく主に信頼しています」と語る詩篇記者の言葉は、いいなあと思います。自分の小さな選択は迷ったとしても、人生と言う大きな選択だけは迷いたくないものです。今日も主の恵みがありますように。

磯部豊喜