みことばの花 190607「覚悟」

みことばの花190607「覚悟」

「このように、キリストは肉において苦しまれたのであるから、あなたがたも同じ覚悟で心の武装をしなさい。
肉において苦しんだ人は、それによって罪からのがれたのである。」(Ⅰペテロ 4:1)

「食いしん坊の覚悟」という題で、NHKプロフェッショナル(6/4放送)に登場した人に植野広生(56)さんがいます。
この人は出版不況の中で、発行部数を伸ばす「食の専門誌」の編集長。
「おいしさとは、なにか」、その答えを探し求め、自分の足、目、舌で現場を取材し、
読者目線に立って、編集内容を吟味。表紙は特に重視する。
この人が「プロフェッショナルとは?」の問いに「覚悟」と答えました。
「覚悟」という言葉に情熱を感じます。聖書の中にも「覚悟」という単語があります。
「苦しみを選ばれたキリストのような覚悟で心の武装をせよ」とペテロは語ります。
「覚悟」の乏しき自分には、この「覚悟」の文字がキラリと輝いて見えます。
今日も主の支えがありますように。

磯部豊喜

みことばの花 190606「あなた名を呼ぶ」

みことばの花190606「あなた名を呼ぶ」

「ヤコブよ、あなたを創造された主はこう言われる。
…『恐れるな、わたしはあなたをあがなった。わたしはあなたの名を呼んだ、あなたはわたしのものだ。』」(コロサイ 1:29) 

台風は昔、○〇という個々の呼び名から、〇号に変わったと言います。
これは台風だから良い。
しかし最近気になるのは、病院。病院も名前から番号に変わってきています。
大きな病院ではこれも良い。
ですがある眼科(開業医)で、ぶっきらぼうに「〇番」(~さん、もなく)とだけ呼ばれました。
私には名前があるのに…と、どことなく釈然としませんでした。
イエス・キリストは、一人一人の名前を丁寧に呼ばれる方でした。
名を丁寧に呼ぶことは、これも愛の一つだと思うのです。
今日も、私を覚えてくださる主を見上げてお過ごしください。

磯部豊喜

みことばの花 190605「菜食の祝福」

みことばの花190605「菜食の祝福」

「どうぞ、しもべらを十日の間ためしてください。
わたしたちにただ野菜を与えて食べさせ、水を飲ませ、そしてわたしたちの顔色と、王の食物を食べる若者の顔色とをくらべて見て、
あなたの見るところにしたがって、しもべらを扱ってください」。」(ダニエル 1:12,13)

ダニエルと彼の友人たちは、ユダ王国の若者たちですが国はバビロンによって滅亡し、バビロン王の宮廷に抱えられました。
王様の宮廷では、肉類と酒がふるまわれることになっていましたが、このようなものは口にしたことがなく、上記のようにお願いをしました。
この提案が受け入れられ、結果は他の少年よりも顔色も健康も良く、知恵も理解力も優れていたとのこと。
これも菜食の祝福なのかと思います。
今日も主の恵みがありますように。

磯部豊喜

みことばの花 190604「ありのまま」

みことばの花190604「ありのまま」

「彼らは恐れ驚いて、霊を見ているのだと思った。」(ルカ 24:37)

キリストは死人の中からよみがえりました。
私は聖書の記述は「ありのまま」書かれていると今は信じていますが、初めからそうではありませんでした。
しかし聖書を読めば読むほど、聖書の記述が少しずつ「本当のことだ」と信じられるようになりました。
その理由の一つが、聖書は決して「誇大宣伝はしていない」ということです。
今の私たちの思いを等身大に書いているということです。
上記はキリストの復活後の描写の一こまです。
よみがえったイエス・キリストを目前に見て、「彼らは恐れ驚いて」とありますが当然です。
その当時の様子を「ありのまま」書いている。
何の脚色もないと私には読めるのです。

磯部豊喜

みことばの花 190603「奇跡」

みことばの花190603「奇跡」

「盲人は見え、足なえは歩き、重い皮膚病人はきよまり、耳しいは聞え、死人は生きかえり、貧しい人々は福音を聞かされている。」
(マタイ 11:5) 

常識でない不思議なことが起こることを奇跡といいます。
実は、上記はイエス・キリストの話です。
この一句を見てどのように感じるでしょうか。
今日の医療の進歩は目まぐるしく向上し、上記のようなことは奇跡ではなくなっています。
ですがそれでも限界はあります。
ですから現代医療では果たし得ない出来事が起きた時に、初めてこれは奇跡だと断定されるでしょう。
例えば、交通事故で骨もバラバラになった人が、
祈りの結果、翌日に元の骨に戻っているとしたら…、心配停止で数時間を経ている人が生命活動を行ったら。
今こういうことが現実に起こっています。
私自身、祈りの結果を見たこともあり、また耳にすることもあります。
「みこころ」の中で主の奇跡は起こると私は信じています。
今日も主の守りがありますように。

磯部豊喜

みことばの 花190602「主のもの」

みことばの花190602「主のもの」

「地と、それに満ちるもの、世界と、そのなかに住む者とは主のものである。」(詩篇 24:1)

上記の聖句を繰り返し繰り返し、味わってみました。
そして分かったこと。それは、「私も主のもの」だということです。
「その中に住む者は主のもの」と書いてあります。
ですがこの世界に生きているもののうち、「自分は主のもの」だと理解できるものも、実は本来人間だけです。
ですが、その一面、人間は「自分が主のものだという特権を意識しない」で過ごしているような気がします。
それですから、重荷に潰されてしまいます。
ですが私は「主のもの」だと分かると、まかせるお方がわかる。
人生には数々の重荷がありますが、その重荷を「主のもの」だと言われるお方に背負ってもらうのです。
私に弱さがあり、欠点があっても、その「私も主のもの」だということを覚えたい。
主の守りが今日もありますように。

磯部豊喜

みことばの花 190601「純潔な者」

みことばの花190601「純潔な者」

「彼らは、女にふれたことのない者である。彼らは、純潔な者である。
そして、小羊の行く所へは、どこへでもついて行く。
彼らは、神と小羊とにささげられる初穂として、人間の中からあがなわれた者である。」(黙示録 14:4)

「純潔な者」という言葉があります。純潔な者の反対は不潔な者。
「純潔」とは、心身に汚れがなく、清らかなこと。不潔は当然、その反対です。
上記の聖句に「純潔な者」が登場します。
ところで何が純潔なのでしょうか。
その特徴が「女にふれたことのない者」とありますが、そういうことよりも、「小羊の行く所へは、どこへでもついて行く」がキーポイントです。
小羊はキリストのことです。
「キリストの行く所へは、どこへでもついて行く」となる。
今日は第七日安息日です。キリストが両手を広げてわたしを迎えてくださる聖なる日です。
主の愛が今日もありますように。

磯部豊喜

みことばの花 190531「死人のよみがえり」

みことばの花190531「死人のよみがえり」

「死人のよみがえりのことを聞くと、ある者たちはあざ笑い、またある者たちは、
『この事については、いずれまた聞くことにする』と言った。」(使徒 17:32)  

聖書には「死人のよみがえり」のことを何度となく当然のように書いています。
それは旧約聖書<預言者エリヤが自分を助けてくれた寡婦(やもめ)の息子を死からよみがえらせた話>にもありますし、
イエス・キリストの生涯には3回ほど<ナインの寡婦の息子、会堂長ヤイロの娘、ベタニヤのマリヤ、
マルタの弟ラザロなどが死からよみがえった>あります。
またキリスト以後にも<ペテロもパウロも死人をよみがえらせている>あります。
「死人のよみがえり」で最たるものは神の御子イエス・キリストご自身の十字架の死から数えて三日目のよみがえりです。
人間にとって非常識のような「死人のよりがえり」、ですが神様にとってこれは常識。
これらを歴史的事実として信じられる人は幸いです。

磯部豊喜

みことばの花 190530「朝ごとにさまし」

みことばの花190530「朝ごとにさまし」

「主なる神は教をうけた者の舌をわたしに与えて、疲れた者を言葉をもって助けることを知らせ、
また朝ごとにさまし、わたしの耳をさまして、教をうけた者のように聞かせられる。」(イザヤ50:4)

リビングバイブルでは「神様は私に、知恵のことばを授けました。疲れ切った人に何を言ったらいいかを教えるためです。
朝ごとに、神様は私の目を覚まし、理解力を深め、みこころを示してくださいます」と訳されています。
私の担当する8回にわたる講演会が終わりました。
残すは、あと2回。明日13:30と明後日10:30に行われる小原牧師(東日本教区長)によって準備されたメッセージです。
講演会で気づいたことは、本当にこの聖句のごとくです。
この期間、毎朝4~5時に目が覚めました。
その習慣が今日も続いています。
聖書のみ言葉は常に真実です。

磯部豊喜

みことばの花 190529「父の許しがなければ…」

みことばの花190529「父の許しがなければ…」

「二羽のすずめは一アサリオンで売られているではないか。
しかもあなたがたの父の許しがなければ、その一羽も地に落ちることはない。」(マタイ 10:29)

ある本より、「がんで人は死なない。主の許しが出ない限り、人は死ぬことはない。」という言葉を発見。
これは真実だと私は信じています。
時々、医者は「余命何ヶ月」などと告知することがありますが、それは過去のデーターを見てのことでしょう。
ですが私の知る範囲では、これは決して正確だとは言い切れません。
私の知る精神科医の先生は、5年生存率0パーセントの「質(たち)の悪いがん」に侵されました。
しかし減塩食、玄米菜食中心、ニンジンジュースなどに食生活を変えました。
あれから30年を経ていますが今でも命はつながれています。
「父の許しがなければ、その一羽も地に落ちることはない」のです。

磯部豊喜