みことばの花 190220「悩みの日に」

みことばの花190220「悩みの日に」

「悩みの日にわたしを呼べ、わたしはあなたを助け、あなたはわたしをあがめるであろう」(詩篇50:15) 

辛いブログを拝見しました。「
22日には手術です。舌の半分以上を切除。首のリンパに転移した腫瘍も同時に切除します。
切除した舌には、自分の皮膚の一部を移植します。…先生方を信頼して、身を委ねてお任せしたいと思います。
なってしまった事は、いろいろ後悔しても始まらない。
ただ前だけを向いて、ポジティブに生きていこうと。私は負けません。力いっぱい闘って、必ず戻ってきます。
…私は負けない!」歌手の堀ちえみさんの言葉です。ステージ4の舌がんを公表し書き連ねています。
主の守りとは、病気に押しつぶされないこと。
主の支えが、人知を超えて堀さんのみならず、同様に病と闘っている人の上にありますように。

磯部豊喜

みことばの花 190219「試練を乗り越え」

みことばの花190219「試練を乗り越え」

「主ご自身、試錬を受けて苦しまれたからこそ、試練の中にある者たちを助けることができるのである。」(ヘブル 2:18) 

「いじめられて教員退職のモデル」というニュースを拝見。
ミス・ジャパン神奈川大会での話。モデル西谷地(にしやち)利穂さん(25)がグランプリに輝きました。
この人は「コンプレックスが強く、自分が人と違うところを探しがちです」と悩みを告白。
それでも、ステージに立つと人が変わったように自信に満ちあふれた姿で、審査員の心をつかんだ。
度重なる人生の試練を乗り越えての栄冠だったという。
「小中学校ではいじめを受け、大学卒業後は教員になったもののそこでもいじめを受けて退職」。
ですが「一度の人生、挑戦しないのはもったいない」ということで挑んだとのこと。
このニュースを見、私は上記のみ言葉を思い出しました。

磯部豊喜

みことばの花 190218「求むべきもの」

みことばの花190218「求むべきもの」

「あなたは自分のために大いなる事を求めるのか、これを求めてはならない。
見よ、わたしはすべての人に災を下そうとしている。
しかしあなたの命はあなたの行くすべての所で、ぶんどり物としてあなたに与えると主は言われる」(エレミヤ45:5)

主のみ言葉は「あなたは自分のために大いなることを求めるな」と言われます。
ここでいう「大いなること」とは、人生の十字架を負うよりも自分のために冠を求めることを指しています。
人生の本当の目標は、この世的な報酬を受けるよりもその義務を果たすこと、昇級するよりも正義のために熱心であることだと思います。
もし病を背負っているならば、それに静かに耐えている人を神様は心に留めてくださるでしょう。
「自分の十字架を負うて、わたしに従いなさい」(マルコ8:35)と言われた主は、その人に最高の報酬を用意してくださる。
それは永遠に続く、本当の命に違いないのです。

磯部豊喜

みことばの花 190217「敵と和らぐ」

みことばの花190217「敵と和らぐ」

「人の道が主を喜ばせる時、主はその人の敵をもその人と和らがせられる。」(箴言 16:7) 

敵と和解する秘訣、それは第一に主(神様)との関係です。
敵に対して、「あなたの敵を愛よ」「あなたはあなたを迫害する者のために祈れ」(マタイ5:44参照)と主は教えられました。
主との関係とは、主の教えを心から受け入れる時に、築かれます。
主が私に教えてくださったように生きる。
そうすれば敵を敵としてでなく、むしろ味方に変えることが出来るということなのでしょう。
天国とは敵のいない世界です。
これはこの地上では、実に難しいことかも知れませんが、
主との和解こそが、敵との和解に発展する可能性が広がるということでしょう。
今日も主の恵みと愛がありますように。

磯部豊喜

みことばの花 190216「心という顔」

みことばの花190216「心という顔」

「水にうつせば顔と顔とが応じるように、人の心はその人をうつす。」(箴言 27:19)

鏡のない時代は、自分の顔を知るためにはどのようにしていたのかと考えることがあります。
肖像画なのか、井戸水の表面なのか。
今は精巧な鏡があるので自分の顔がどんな顔なのかをはっきりと知ることが出来ます。
しかし自分の心はどうでしょう。
上記に「人の心はその人をうつす」とありますが、リビングバイブルではここを次のように訳しています。
「人のほんとうの心はどんな友だちを選ぶかでわかります」。
なるほど…と思いました。確かに自分自身の心の顔を映すのはその友達なのかも知れません。
今日は第七日安息日、ここに集まる人の顔こそ、私の心の顔を映す鏡かも…。
私の顔は友の心の顔、友の顔は私の心の顔。
素晴らしい交わりの一日を持ちたいと思います。

磯部豊喜

みことばの花 190215「わたしは神である?」

みことばの花190215「わたしは神である?」

「人の子よ、ツロの君に言え、主なる神はこう言われる、あなたは心に高ぶって言う、
『わたしは神である、神々の座にすわって、海の中にいる』と。
しかし、あなたは自分を神のように賢いと思っても、人であって、神ではない。」(エゼキエル 28:2)

自分自身を「わたしは神である」と呼ぶ人がいると聖書に書かれています。
上記は、その最たるものでツロの君のことが描かれています。
彼は心高ぶり「わたしは神である…」と自己申告しました。
こういう告白に対して創造主は敏感です。
「あなたは…人であって、神ではない」と言われます。
自分を神とする人の特長。それは自己主張が強い人。自分の人生は自分のものだから自分勝手に生きて当然と考える。
ですが人はあくまで人であって神ではない。神を神とする人こそ、健全な人であると私は信じています。
常に主を見上げて日々を謙虚に過ごしたいものです。
今日も主の恵みがありますように。

磯部豊喜

みことばの花 190214「試練と同時に」

みことばの花190214「試練と同時に」

「あなたがたの会った試錬で、世の常でないものはない。
神は真実である。あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、
試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。」(Ⅰコリント 10:13)

トップアスリートの一人池江璃花子(いけえりかこ)選手が白血病であるとご自分で公表されて後、
彼女のツイッタにこういう言葉が書き込まれたという。
「私は、神様は乗り越えられない試練は与えない、自分に乗り越えられない壁はないと思っています」。
これをみて何と素敵な選手だろうと思うと同時に、私の頭に浮かんだのが上記のみ言葉です。
「試練と同時に、それに耐えられるように、のがれの道も備えて下さる」との約束です。
池江選手に神様の癒しがあるように心から信じて祈り求めたい。

磯部豊喜

みことばの花 190213「月のLOVE」

みことばの花190213「月のLOVE」

「ヨハネの子シモンよ、あなたはこの人たちが愛する以上に、わたしを愛するか」(マタイ 17:5) 

上記は弟子のペテロに言われた主イエスのみ言葉です。
「愛するか」という問いは、このときのペテロばかりではなく、常に私の心にも迫ってきます。
「主を愛するとは、目の前の人を愛すること…」と分かってはいても、相手によっては、そのようになかなかいかないことも事実です。
とろこで、誰が見つけたかわかりませんが、
月の表面にアルファベットの「LOVE」の4文字が浮かび上がっているように見える地形があるといいます。
ほぼ中央に「V」、下部に「L」と裏返しの「E」、「O」はたくさんあるクレータの一つ。拡大するとくっきりと見える。
このように「LOVE」は、地球の人の心のみならず宇宙にも書き記されているのでしょうか。
今日も「愛する」ことを求めて歩みたい。
「主よ、愛されることよりも愛する者とならせてください」。

磯部豊喜

みことばの花 190211「孤児とはしない」

みことばの花190211「孤児とはしない」

「わたしはあなたがたを捨てて孤児とはしない。」(ヨハネ 14:18)

昨日、「僕は、23年前に電話ボックスの中にへその緒がついたまま置かれていた赤ちゃんだった」という新聞記事が載っていました。
17歳になって、父に本当の子ではないと言われ、母子手帳から自分のルーツを知った。
そしてたどり着いたのが、彼の名付け親であり、その人が見つけたという電話ボックスのことを知った。
「立派に成長なさって」と聞き、生きてほしかったんだ、という人の思いに触れたという。
上記は、いかにして生まれようとも、励ましてくださるキリストのみ言葉です。
主こそ私どもの魂の親なのです。

磯部豊喜

みことばの花 190210「主張」

みことばの花190210「主張」

「そのとき、彼らもまた答えて言うであろう、
『主よ、いつ、あなたが空腹であり、かわいておられ、旅人であり、裸であり、病気であり、獄におられたのを見て、
わたしたちはお世話をしませんでしたか』。」(マタイ 25:49)

昨日の続きです。
これは左側にいる人々の主張です。
他者に対する善行は、王に対する善行だということを彼らは聞きましたが、左側の人々に対する王の評価は低い。
「あなた方は、私に何もしれくれなかった」と王は語る。
これに対して左側の人々は、「そんなことはありません」と主張。
彼らの記憶は全開。その記憶は正しかったのかも知れない。
しかし王は「わたしにしてくれなかった」という。この真相は何か。
自分の善行を記憶し、それを誇っているという驕(おご)りが問題なのかも知れません。
讃美歌の一節に「与えて心にとめぬ、まことの愛の人」とあります。
真の善行とはきっと記憶されないものなのでしょう。

磯部豊喜